雲仙・長崎旅行 [その3] 撮影:1986年1月2日〜3日
大浦天主堂をバックに、両親を写した1枚です。ここに行った事も、自分がこの写真を撮った事も、実はあまりハッキリ思い出せなかったりするのですが(笑&照)、長崎には本当に、エキゾチックな、異国情緒のある建造物が多いと思います。まあ、特有の歴史がある訳なのですが、この大浦天主堂は、正式には『日本二十六聖殉教者聖堂』といいます。明治時代になる4年前、1864年建造の、日本最古の教会として、現在は国宝に指定されています。完成翌年には、江戸時代を通じて生き延びた隠れキリシタン(当時信仰は禁止されていた)が訪れたとの事で、キリシタン史上有名な話になっています。


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一見エスカレーターに乗っている様に見えますが、よく見ると足元は平で、これはムービングウォークです。場所はグラバー園で、上写真の大浦天主堂のすぐ横に位置します。公園内に高低差があり、ムービングウォークやエレベーターが存在しています。生意気なツラして写っているのに、この場面も、あまり私の記憶にハッキリ残っていないのは、何故でしょう(笑)?


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グラバー園内の、恐らくは最も高い所から眺めた長崎市内です。夕刻のため元の写真が相当な逆光で、若干補正は加えたものの、薄暗い写りですみません。それにしても長崎は本当に、坂道の多い細長い街です。そういう意味では神戸に似ていますね。


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少々写りが斜めですが、グラバー園内の、旧三菱第2ドックハウスです。ドックというのは人間ドックと同じで、ここでは船のためのドックを指します、即ち、メンテナンス・修理をする場所ですね。そして船がドック入りしている間、その船の船員たちが宿泊する場所が、このドックハウスだったのです。この建造物は移築されたもので、元々建っていた場所は三菱造船所内でした。1972年にグラバー園での移築が実施されています。ところで私が立っている場所は、建物への通路にもなっている、人工池上の石道ですが、現在の写真を見ると、この石道は一切存在せず、しかも私が写っている位置より向かって右側は池が存在せず、地面の通路となっています。従って、形状が変更されたものと思われます。元々の建造年は、1887(明治20)年です。


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エラそうにふんぞり返って座っていますが(笑)、バックに写っているのは旧リンガー住宅です。リンガーは、元々中国茶の検査官をしていて、1868(明治元年)に長崎で『ホーム・リンガー商会』を設立した人です。製茶業に始まって、製粉、発電などの事業をおこなったほか、ロシア・ヨーロッパなどとの貿易にも力を入れました。長崎の興行化・国際化に尽力した人です。この建物の建築年は、リンガーが商会を立ち上げた1868年です。


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グラバー園シリーズ、最後は旧グラバー住宅です。公園の名前の由来にもなっているグラバーは、日本が鎖国を終えた直後の1859年に来日し、1861年に『グラバー商会』を設立しました。明治維新前後には日本の多くの指導者(政治家)の海外視察を斡旋し、明治新政府に活躍した日本の指導者の多くを育てるコーチ的存在となりました。国内各分野の産業を次々と開拓させ、まだ明治維新前の1865年に、長崎の大浦海岸で蒸気機関車を試験走行させたりもしました。グラバー住宅が建てられたのは、まだ江戸時代だった1863年です。


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さて、長崎での、初の九州旅行を終えた私と家族は、帰りは新幹線で帰るため、鉄路、博多へと向かいました。写真は特急『かもめ』の車内です。まだ国鉄の時代でした。車両は485系で、外観は勿論原型の国鉄特急色です。優雅な気分でご満悦といった表情ですが、座席や車内化粧板の色が、昭和時代の国鉄の姿を記録していて、懐かしいですね。国鉄として迎えた、最後から2番目の正月でした。確か反対側の車窓だったと思いますが、途中基山を通過した時は、当時国鉄として廃止間近だった甘木線(現甘木鉄道)の気動車が待機しているのを、一瞬確認したのを覚えています。


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新幹線に乗るために博多に来ましたが、直ぐには乗り換えず、一旦博多の街に出ました。そして私のリクエストで、日本一のバス会社、西鉄バスに乗る事に(笑)。写真がその西鉄バスですが、実際に乗った車両はこれではなく、バスマニアではつとに有名な、いわゆる『カマボコ』という型のバスでした。写真のバスはその次のモデルである、通称53MCで、1997年8月まで活躍したとの事です。西工ボディーのメッカである西鉄バスを生で見たのは初めてでしたが、本当に圧倒されるぐらいの勢いで次々バスがやってきました。なお、写真のバスは、1983年に福岡市営地下鉄開通に伴い部分廃止された、国鉄筑肥線の代替バスとして導入された1台です(従って83年製で、モノコック世代最末期)。


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こちらも西鉄バスを写したつもりの1枚ですが、2台写っていて2台とも途切れており、良くありません(笑)。後ろ側の車両は短尺バージョンと思われますが、当時まだ最新鋭スタイルとして大増殖中だった、初期スケルトンボディーの車両です。右側のリアが写っている車両は、上の写真で述べた『カマボコ』で、リアの形状からして日野車です。阪急バスでは見られませんでしたが、大阪市バスや京都市バスではお馴染みのリアフェイスでした。この日、私は往復で計2回西鉄バスに乗りましたが、いずれもカマボコで、確か往路は車内の下半分化粧板が木目、復路はグレーで、昔どこでも見る事が出来た、上半分が白、下半分がグレーの車内です。復路の車両は、音もMR系だった様に記憶しています。


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西鉄バスを暫し堪能した後は、やおら地下鉄に向かいました。何故急に地下鉄に乗るに至ったか、その経緯は忘れましたが、確か母と2人行動で行ったのはよく覚えています。終点の姪浜駅で、当時唯一の系列だった1000系がバックです。まだ仙台市営地下鉄が開業していなかった当時は、日本で最も新しい地下鉄でした。車内の様子をよく記憶していないのですが(汗)、83年の開業に備えて製造された車両から車いすスペースがあったという事で、バリアフリーという概念がまだ無かった当時としては、非常に先進的な取組だなと思いました。


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姪浜からは更に国鉄筑肥線に乗り、唐津まで足を延ばしました。これは全く予想外と言っていい“オプション行動”で、今振り返っても、よくいきなりこんな遠くまで行ったなと思います。唐津は佐賀県ですが、長崎市から佐賀県唐津まで、結構な移動距離だと思います。唐津駅前でのワンショット。佐賀県に足を踏み入れたのは、現在のところ、この時だけです。姪浜〜唐津は、国鉄103系1500番台に乗りましたが、暖房の非常によく効いた暖色系の車内で、およそ103系からは程遠い雰囲気の中、唸る走行音は完全に103系だったのが印象に残っています(笑)。


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長崎旅行(初の九州旅行)最後の1枚は、唐津駅ホームにて撮影した、国鉄103系1500番台です。この顔も、「何で105系としなかったの?」と思わず言いたくなった程、103系と呼ぶには無理があると感じました。この列車で一路、博多へ向かいましたが、帰りも豪快な高速音を堪能しました。筑肥線、地下鉄直通系統が走る区間は、本当に近代的な路線になっていましたね。そして博多で新幹線に乗る時、遥か向こうの番線に、この2ヶ月前にデビューしたばかりの100系が停まっているのが見えました。ダブルデッカー付きの新車として、当時あまりにも話題になっていた100系はまだ1編成しか無く、それを偶然にも目撃出来たので、思わず「あ!」と叫んだものでした。写真に撮れば良かったなぁ。


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