はじめに・・・・・お詫びとお断り

2008(平成20)年10月5日、元幕内(前頭3枚目)時津海の引退相撲が両国国技館にて行われ、私は日帰りで行ってきました。
そして、本来なら昨年(2009年)の10月5日に、1周年を記念してレポートをアップするはずだったのですが、あるとんでもない理由により、それが出来ませんでした。その理由とは・・・・・、

実は、当日撮影した画像データを、消失してしまったのです。

本当に、信じられないミスを犯してしまいました。
最初は無事にパソコンで保存していたのですが、そこからまだCD−ROMにデータを移していない段階で、どうやら「もう移したからパソコンから消去しても大丈夫」と、勘違いをした様です。

結果、様々なシーンを丹念に撮影した貴重な画像は、『帰らぬ画像』となりました。
私としては、これは絶対にあってはならない事で、ただただ悔しいし、「何てドジでバカな事をしたのだ!」と、自分に対して怒りを覚えています。
少しでも良い画像を抜粋してボリュームのあるレポートに仕上げ、出来れば時津風親方ご本人にも見て頂きたいと思っていました。
それも最早叶わぬ夢ですが、これからは、こういう初歩的で、あまりにも不注意というミスを、絶対にしない様に気をつけます。

本当に申し訳ありませんでした。


さて、ここから一応、レポートに参るのですが、何分画像を消失してしまったが故に、載せられる物があまりありません。
つきましては、文章と、せめてものお詫びのしるしに、引退相撲の画像の代わりの画像を、何点か用意致しました。
これによって、少しでも寂しいページが補完されれば幸いです。


先ずはじめに、時津海引退相撲のパンフレットです。端正な顔立ちの時津海の、実によく出来た似顔絵が描かれていますね。そして右側には、記念相撲甚句が載っていますが、当日は幕下・三段目力士トーナメントの後、6名の力士によって披露されました。
時津海の引退の経緯は、この日訪れたファンはみんな知っていた事でしょう。そうです。時津海は体力の限界で引退したのではありません。部屋で起こった事件に関連して、ある時突然、引退せざるを得なくなったのです。
時津海本人としれみれば、本当に気の毒というか、つらい引退劇だったわけですが、そんな本人の、決して自分の口からは表に出せない感情を、代弁した様な甚句(唄)になっています。
この甚句を心中複雑な思いで聴いた人もいた一方、本人の心情を察して涙ぐんだファンも、いたかも知れないですね。
なお、上の画像の右側、相撲甚句の部分をクリックして頂くと、相撲甚句の画像の拡大版が出て参ります。



先ほどのパンフレットの裏面です。当日のプログラムが書かれているのですが、相撲界では『プログラム』という言葉は使わず、『○○襲名披露大相撲取組表』という表現がなされます。確かに十両、幕内と取組もありますしね。2番目のプログラムである力士トーナメントでは、引退相撲の場合、主役と同部屋の力士が出場して、優勝する事になっています。この時のメンバーで見ると、一番右の豊乃國が時津風部屋所属ですね。
そして2段目の右から3番目に、『時津海最後の土俵入り お祝い甚句』とあります(字が小さくて読みにくいかな?申し訳ありません)。これは先ほどの相撲甚句とは別に、同部屋の豊桜が、時津海にはなむけの甚句を披露するものです。
ところで、幕内取組を見てみますと、日馬富士はまだ安馬の四股名です。また、今は幕下に落ちている北桜が中入り後に登場しており、引退した出島、皇司、現東関部屋2代目師匠となった潮丸も取組に名を連ねており、何だか懐かしい感じがします。
そして、このパンフレットの右の方にも細い字で書いてありますが、この日の司会者は、大相撲中継でお馴染みの、NHK吉田賢アナでした。



実は、『時津海最後の土俵入り お祝い甚句』の場面を撮影した画像は、1枚だけ残っていました。
「何か、前に見た憶えがある様な」と思った方は余程の記憶力の持ち主で、これは第97代トップ写真だった画像です。公開期間は08年10月21日〜11月4日で、まだ引退相撲観戦の直後。そしてこの段階では、まだ画像もしっかりパソコン内に保存されていました。
さて、この時津海土俵入り。両側に可愛いお子さんが2人立っていますね。時津海の息子さんです。私と同い年の時津海ですが、2人のお子さんに恵まれているのですね。この時ばかりは、愛息に挟まれて、『父 時津海』も和やかな表情に見えます。館内からも拍手喝采でした。そして土俵下では豊桜が甚句を披露しているのですが、その両側にズラリと子どもたちが並んでいますね。これは交流があった、ある保育園の園児で、お揃いのはっぴを着て、そこに『すもうじんく』と書かれています。子どもたちは、『はーどすこいーどすこい』と声を揃えて歌っていて、とてもかわいかったです。そして一番かわいいと思ったのは、時津海のお子さんの化粧まわし・・・・・。特に青色の方ですよ!
心が穏やかになれない状況にある時津海でしたが、たくさんの子どもたちに囲まれ、心温まる光景でした。この時私は強く思いましたね。
「時津海には、家族の力がある。一人だけではない。部屋のみんなや関係者の支えも勿論だけど、やはり家族という支えがあるのだから、この先どんなに辛くても、絶対的に心強いだろう」と・・・・・。



さて、甚句の披露が終わり、十両の取り組みに続いて、いよいよ断髪式が始まりました。
はじめに後援会会長からあいさつがあり、そのあと、順次挟みが入れられたのですが、時津海は淡々とした表情で、突然我が身に振ってかかった引退劇への思いを、噛み締めているようでした。12年前に入門した時、たった一度の土俵人生がこんな結末を迎えるとは、一体誰が予想した事でしょうか?
何よりも、あと一場所取れれば、次は御当所の九州でした(引退が10月で出身は長崎)。それだけに、無念さはいかばかりかと察します。

断髪式で最も印象的だったのは、お父さんが登場した時です。
挟みを入れた後、盛んに周囲に手を振って愛嬌を振りまき、館内から大いに歓声を集めていたのです。なかなかの『盛り上げ役者』だなぁと思いましたが、これはきっと、我が息子の心情を気遣って、敢えてパフォーマンスをしたと見て間違いないでしょう。元々陽気な性格の持ち主なのかも知れませんが、それにしても、本人は決して悪くなくとも、ある意味『罪クジ』を引いてしまった我が子に対して、心を痛めている事は余りにも想像出来ます。

そして最後は協会関係者による挟みとなるわけですが、ここでいきなり、「横綱・朝青龍です!」とアナウンスが流れた時は、館内から「おーっ!」と歓声が上がりました。
『ドスッドスッドスッドスッ』と、豪快な(?)足音を立てて朝青龍が花道をやってきた時は、無数にフラッシュが焚かれました。
この時は朝青龍は連続休場中。次の九州場所も休場見込みとされていました(実際に全休した)。それだけに、引退相撲とはいえ、国技館に登場してくるとは、みんなあまり予期していなかったのではないでしょうか?私も予期していませんでした。



さあ、いよいよ時津海が、髷に別れを告げる時が来ました。止めばさみはこの人です。元大関・豊山、先代時津風親方(厳密には先々代)。時津海の入門時の師匠であり、同じ東農大出身でもあります。時津風部屋と東農大は深いつながりがあり、今回時津海は、一つには東農大出身という事で、部屋と大学とのパイプを維持すべく、引退して部屋を継承する様、説得をされました。ある意味、出身校が運命を決めたとも言えます。そんな時津海の“決断”を、半分複雑な様な、しかしホッとしたというのも本音であろう、入門時の師匠でした。
時津海、さすがにグッと来ている様子。しかし飽くまで感情を押し殺して、平常心でいようとしています。
先代時津風親方、果たして心の中でどんな言葉をかけたのか。今、しっかりと髷を切り落としました。館内からは拍手とコールの嵐です。
それにしても先代師匠、お元気で本当によかった。そしてこの1枚が手元に残っていた事も、私にとって大変良かったです。
実はこの画像も、第97代トップ写真でした。



断髪後、来場者にあいさつをする、新時津風親方。自ら書き上げたあいさつ文を読み上げ、その中には、部屋で起こった事件に対するお詫びの言葉もありました。これからの時津風部屋の責任者として、やはり謝罪の言葉を述べるのは責務だったのでしょう。同い年として、聞いていて胸が熱くなるものがありました。弱冠35歳でこの様な立場・・・・・、私だったら、正直耐えられません。精神的に、持たなかったと思います。比較するというものでもないのでしょうが、時津海は凄いな、と感じずにはいられません。
館内からも、応援と労い、そして同情が入り混じった拍手が飛んでいたと思います。このシーンは忘れられないですね。
ところでこの画像は、失っていた画像の内、唯一『戻ってきた』ものなのです。誤って削除した事が判明して以降、私はいろいろな『データ復元ソフト』を購入し、画像の復活に執念を燃やしました。まさに何時間も、その作業のためにパソコンに張り付いていたのですが、結果、取り戻せたのはこの一枚きりでした。本当に一枚だけ。せめて本人の写っている物がもう数枚・・・・・と望みましたが、何とも残念な結果に終わってしまいました。しかし、そのたった一枚が、断髪後のあいさつという、最も重要なシーンの一つというのは、今思えば幸いな事です。左画像をクリックすると、拡大版もご覧になれます。



右の画像は、ちょっとオマケの画像です。断髪式のワンシーンですが、画質は荒く、土俵上の力士が誰なのかもよく見えません。そして何よりサイズが小さいですね。
実はこれ、携帯電話で撮影した画像です。断髪式が滞りなく行われている最中、私は相撲ファン仲間の携帯に画像を送るために、1枚だけ携帯で撮影していたのです。それが残っていたために、こちらで掲載する事に相成りました。

まさか携帯で撮影した画像が当サイトに登場する事になろうとは、思ってもいませんでした。
パソコン内の画像が消えてしまった今、携帯で撮った写りの悪い画像も、貴重な記録として“動員”させられる結果になったわけですね。

ところで、向かって右側、西方力士が土俵に上がる段のところに、人が立っています。これは次に挟み入れをする人で、断髪式ではこの様に、1人が挟みを入れている間、次の出番の人が土俵二字口後ろの階段で、待機しているのです。















断髪式終了後、番外取組として、豊ノ島−時天空の、時津風部屋力士同士による取組が行われ、その後、幕内の取組に入りました。
なお、取組に先立ち、幕内・横綱の土俵入りも披露されましたが、ここでのハイライトは、横綱・白鵬が、愛息を抱いて土俵入りに登場した事でした。
もちろん、ずっと抱いたままでは土俵入りの所作は出来ませんので、土俵上では露払いの力士に子どもを“預けて”いましたが(露払い兼託児所?)、白鵬のこの『演出』に、館内は大喜びでした。花相撲や巡業ならではの、ほほえましい揃い踏み≠ナすね。
厳粛なる横綱の顔と、心安らぐ父親の顔、そのコントラストの妙・・・・・。貴重なこの場面も、もちろんカメラには収めていました。

断髪式では館内の注目を独り占めして登場していた横綱・朝青龍は取組には参加せず、結びの一番は横綱・白鵬と大関・琴光喜の対戦でした。
そして弓取りが終わると、千客万来の内に、ある意味“記憶に残る引退劇”となった、元幕内時津海の引退相撲は終了しました。




ここで、時津海の四股名が載る、懐かしい番付を4点ほどご紹介しましょう(いずれも紙面の一部のみ掲載です)。

平成19年春場所の番付です。時津海が、最後に私の御当所、
大阪にやってきた時のものです。当人番付は西前頭10枚目でした。
平成19年名古屋場所の番付です。私にとって、結果的に時津海の
見納め(生で)となった場所です。当人番付は東前頭11枚目でした。


そしてこれが余りにも有名な番付。場所前の時津海突然の引退に
伴い、『番付空位』が発生した平成19年九州場所の番付です。本来の
当人番付は西前頭11枚目で、長崎出身のため、御当所でした。
最後はこちら。平成18年九州場所の番付です。結果的に、時津海に
とって、最後の御当所場所となったのですが、番付は東十両4枚目
でした。ケガのため十両に下がっていたのです。結局その前の平成
17年が、幕内で迎えた最後の御当所となりました。拡大版はこちら













最後に、時津海引退相撲の参加お礼として贈られてきた、記念品を紹介します。

記念品は2点で、左が『日本相撲協会』の手帳です。
そして右側はストラップですが、詳しくは拡大版でご覧下さい
手帳の表紙を開けたところです。
『相撲手帳』その名もズバリ(笑)。

相撲手帳の中身ですが、本場所の日程や
番付編成会議、相撲教習所卒業・入所式の
日程などが書かれています。拡大版はこちら
中ほどまで進むと、『相撲便覧目次』というの、
があり、実に色々な記録や解説が集約され
ています。まさにこの手帳一冊で、相撲博士
になれますね。拡大版はこちら

『大相撲略史年表』を見てみました。すると
最初に、「642年7月、百済の使者饗応のため
相撲を取らせる」とありまして、『相撲1300年の
歴史だ』と感じました。拡大版はこちら


以上、時津海引退相撲のレポートを、極めて変則的な形ながら、お届けいたしました。ご覧になったみなさん、いかがだったでしょうか?
当日、私は国技館の後ろの方のいす席で観戦していたのですが、最前列の席がずっと空いていたので、途中からは“コッソリ”その席に移って観戦していました。最前列という事で画像も撮りやすかったのに、本当に残念です。

時津海は、最高で12勝3敗の好成績を挙げた事もあり、三賞も4回受賞。その全てが技能賞というのは、いかに技巧派としての評価を受けていたかという事を示しています。確かに金星は無く、上位キラーというイメージはありませんが、それでいて平成15年名古屋場所には終盤まで優勝争いに加わり、最後は4連敗して9勝に終わりながら、この場所も技能賞に輝きました。
幕内在位も50場所を記録。これだけの実績がありながら、三役昇進が一度も無いのは、本当に不思議な気がします。そればかりか、最高位は前頭筆頭でも2枚目でもなく、3枚目。これはハッキリ言って、七不思議としか言いようが無いのではないでしょうか?
調べてもいないのに余り適当な事は言えませんが、もしかしたら、三賞を4回も受賞している力士の中では、最高位が史上最下かも知れません。(^^;
いずれにしましても、これからは(もう断髪式から1年半近く経っているが)時津風部屋の師匠として、若い力で、部屋をよりよいものにして欲しいと思います。
元時津海の誠実な人柄なら、きっと難局を乗り越えてくれるでしょう。

大善(2004年1月)、貴ノ浪(2005年1月)に次ぐ、3回目の引退相撲参戦。久しぶりに味わった断髪式の雰囲気は、やはり重みのある良いものでありました。



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