瀬戸大橋→高松→松山旅行 [その2] 撮影:1992年7月31日
全ての写真の右側に解説文があります 高松旅行2日目、ホテルの部屋の窓から見た、高松築港付近の街並み2枚です。こちらから拡大版をご覧下さい。左側の写真が高松築港バスターミナルとなるのですが、現在は写真のビル(三代目駅舎)も建て替えられ、現代的なビル(四代目駅舎)となって、この辺りの風景は一変しています。右写真は高松築港(JR高松駅)から延びている幹線道路ですが、画面手前あたりに写っているコトデンバスは、当時の車両陣の中では新鋭で主力でした。新鋭世代が依然モノコック・・・・・、時代を感じますね。さて、ビルが林立している四国一の都市のメインストリートですが、現在はどんな景色なのでしょうか?中央分離帯に木が植わっているのはすごく良いなと思ったし、これは現在もそのままだと思いますが・・・・・。


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高松琴平電鉄の琴平駅です。何故か私は高松築港駅の駅舎や入口の写真を撮るのを忘れていました(汗)。そして琴平駅では、乗ってきた電車の写真を撮っていませんが、画面中央に僅かに見える車両は、当時最新鋭で、琴電初の冷房車でもあった1070形です。琴平線は琴電の中でも一番メインの路線なので、この1070形が特にフル稼働しており(季節も夏だったし)、旧型電車博物館≠堪能したかった私としては、正直、一番敬遠したい車両だったのです(笑)。だから写真も撮らなかったのかも分かりませんが、今となってはこの1070形もラッシュ時限定の運用となっています。琴平駅の駅舎の様子は、現在も変わっていないですね。


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琴平駅前の商店街です。のどかな田舎町らしい商店街、夏休みシーズンだったこの時は、結構活気づいている様に思えました。実は、琴平駅に来た当初は、私は駅前散策だけやって、すぐにまた電車に乗ろうと思っていました。何故なら、元々やってきた理由が「琴電の終点まで乗りたかったから」だけだし、何よりもですね・・・・・、『金刀比羅宮(ことひらぐう)』というものの存在を知らなかったからです(爆&恥)。


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商店街をぶらぶらして、適当なところで引き返そうと思っていた私でしたが、或る方向にしばらく歩くと、やおら階段の断続が見えてきました。「ん?何やいな、この階段は?ここを上がったら何か有るのか?」と不思議がりながら、私は取り敢えず上がってみました。少し上がればすぐに終わると思ったのです。ところが、なかなか終わりません。「どうなってるんだ?」と思いながら歩き続けていると、その内に『本宮まであと何百何十段』という案内碑が立てられているのを発見しました。「え・・・・・?何て!?」と私は驚きましたが、時間はたっぷりあるし、それに何となく、ここは実は有名な所なのではないか?という気がしてきたのです。だとしたら、やはり行っていて良かったという事になるだろうし、偶然この場にやってきたのも何かの縁だから、最後まで上ってみようと思いました。右写真の右側に赤いうちわが写っているのが分かるでしょうか?『金』と書いてある、金刀比羅宮訪問記念のお土産なのですが、私は1個買って早速仰ぎながら上り、うちわは今でも実家に置いてあります。赤に『金』だから、丸で金魚屋の様なうちわだなぁと思ったものでした。


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金刀比羅本宮まで785段(正確には786段で、下りが1段あるため、引き算で785)ある石段を、全部上りました。ここは金刀比羅神社で、右側に見える建物が本宮です。汗を拭き拭き、ここでお参りも行いましたが、単に電車の終点だったから来ただけというつもりが、こういう展開になるとは思いませんでした。『金刀比羅』の読み方も、当初は分からなかったのですが、この写真を撮った時点では分かっており、愛称として『こんぴらさん』と呼ばれている事も知りました。この写真では空いている様に見えますが、実際はかなり観光客で賑わっていました。やはり有名な所だったんだ、その場で急に知れて良かったと思いました。いや〜それにしても良い運動になったです(笑)。ところで金刀比羅宮は、海上交通の守り神として知られているそうで、漁師や船員などが特に崇拝しているとの事です。


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『こんぴらさん』から見た眺めです。手前の山林がかなりアップで写っておりますが、その向こうに琴平の街並みが広がっています。天気も好かったので、運動した後、気持ちの良い眺めでした。地方に来て、山や丘の上から街を眺めるのは好きですね。


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金刀比羅宮“観光参拝”の帰り道、山上から下り方向となる石段を撮影したのが左写真です。こちらに拡大写真も用意しましたが、こうして見るとなかなか傾斜も急で、険しい参道である事が分かります。写っている参拝客が持っている細い杖は、貸し出し用の竹杖です。少年も使っていましたね(^^)。下りの方が油断をすると恐いので、気をつけて下りていきました。そして右写真は桜馬場と呼ばれる石畳の道で、道の両側の木は桜です。向かって右手にはビッシリと細長の石碑(?石製の御塔婆の様な物)が並んでいました。ここは春には素晴らしい桜の道になるそうです。金刀比羅宮について詳しく調べたい方は、公式サイトを御参照下さい。


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片道785段の石段の旅をして汗を流した後は、JRの琴平駅に立ち寄ってみました。土讃線の駅になりますが、琴電同様、レトロな洋館チックの駅舎です。お宮参りの最寄り駅なのに、何故駅舎は西洋がモチーフになっているのか不思議な気がしますが、ともかく私のお目当ては琴電でしたので、JRは駅の撮影だけで終わりました。


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琴電での帰り道、仏生山で途中下車して車庫を撮影しました。当時は皆さん出払っている状態でほとんど車両がいなかったのですが、写っている2列車は、いずれも自社発注車の1010形です。ガルタン駆動の新性能車で、当時まだ釣り掛け天下だった琴電の中では近代的な方でしたが、やがて時代は流れ、2003年に引退しました。画面左端には、一部切れていますが、事業用車デカ1形が写っています。


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琴電の副ターミナル、瓦町駅です。撮影後に乗車したこの車両は、860形の870号車です。琴平線では最新鋭車ばかりやって来て、ここから長尾線に乗り換える事によって、ようやく旧型車に巡り会いました。流線型の二枚窓は、私が好んでいたスタイルです。1941年製の元西武鉄道車両で、その後山形交通に譲渡され、琴電にやってきました。戦前製の旧型車は、この頃はまだ全国各地で散見する事が出来ました。良きタイミングに恵まれていたのに、決してその恵みを活かしたとは言えない事が、今となっては悔やまれてなりません。そんな中で、この860形には乗車してきました。


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上の写真の電車は、長尾線の途中駅、平木が終点でしたので、そこから終点の長尾までは、写真左の27号車に乗ってきました。この27号車は元京浜急行電鉄230形で、琴電では30形として14両が登場。長尾線の主力車両として、当時のファンの間でもよく知られていましたが、1999〜2000年に2両を除いて引退し、最後まで奇跡的に延命した2両(実は写真の車両)も2007年に姿を消しました。京浜急行230形は、1932(昭和7年)製ですが、昭和一桁世代らしからぬ大きな窓、スマートなスタイルは当時の京急ファンの間でも人気があったのではないでしょうか?そして右に留まっている超レトロな車両は、自社発注の3000形300号車で、1926(大正15年)製です。旧型天下の中でも、大正生まれの3000形は最古参車両だったのではないかと思われます。この300号は現在も動態保存車として、戸袋窓が製造時の丸型に復元され、イベント時に運用に就いています。


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長尾線の終点、長尾駅の駅舎です。変に後方から撮影しているのは、駅舎手前の階段部分に人がいて、こちらの様子に気付いていたからです(汗)。しかし離れて撮った事で、逆に駅前の現在との違いがハッキリ分かる1枚になりました。というのは、駅舎横の『コトデン』と書かれた売店は現存せず、建物は取り壊されて駐車場と化しているからです。92年といえばバブル時代の最末期ですが、その後の不況で、店は潰れてしまったという事ですか・・・・・。それにしても駅舎は、一見一戸建ての家みたいで、かわいらしいです。

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夕闇に空が染まってきた頃、私は再び仏生山に行きました。車庫を見たかったのは勿論ですが、私は琴電を訪ねてきて、旧型車勢以外にもう一つ、どうしても乗りたかった車両がありました。それは元阪神5001形の、1050形です。2扉化されたとはいえ、阪神時代の面影をよく残している元ジェットカーに、やはり大阪人としては乗っておきたい気持ちがあったのでした。この頃はまだ主力勢だったと思いますが、なかなか会えず、取り敢えず車庫まで来てみると1編成停泊していたので(右から2番目の電車)、「あれが出庫してこないかなぁ」と思っていました。そしたら、期待に違わず出庫してきたのです。写真はまさに運転士が乗り込まんとしている時で、喜びのあまり思わずシャッターを切りました。


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出庫してきた1050形はホーム入線に先立ち、一旦引込線に入りました。そこでもう1枚撮ったのがこの写真ですが、まだ若干距離が遠いです。ホーム入線後や、終点到着後にアップで撮影するという手段を何故取らなかったのか、不思議な気がします。取り敢えず、この後1051形に乗る事が出来ました。車両も元阪神5001号車の1051で、一番乗りたい1両だったので嬉しかったです。乗車時間後半は、外はもうすっかり夜になっていましたが、走行音は割りに静かだったような印象があります。元阪神5000系列は全部で6両存在していましたが、2003〜2006年に廃車となりました。


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1051で高松築港に到着後、撮影した、発車待ちのこの車両は20形21です。この電車は元近鉄5620形ですが、他社への車両譲渡例が非常に少ない近鉄(特に一般車)の、貴重な譲渡車両の例と言えます。近鉄時代は南大阪線で使用されており、琴電にやってきたのは1962年ですから、この写真撮影時点で、既に30年が経っていた事になります。製造年は1925(大正14)年で、この時67歳でした。撮影後にそのまま乗車したかどうかは憶えていませんが、多分乗ったと思います(どこで降りたかは不明)。


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