瀬戸大橋→高松→松山旅行 [その1] 撮影:1992年7月30日
全ての写真の右側に解説文があります 岡山駅前を撮影したこの1枚から、この時の私の旅行は始まりました。92年7月末〜8月初め、私はまだ行った事が無かった四国の北半分、香川県と愛媛県を訪れる旅行に行きました。そして、同じ大阪から四国に行くなら、これもまだ一度も見た事が無かった瀬戸大橋を渡るルートで行こうと思ったのです。というわけで、最初に岡山駅にやってきました。岡山では昼食を摂るために一旦外に出たのですが、折角立ち寄ったのだからとこの後、岡山市電にも足を運んだのでした。


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早速岡山市電を1枚。しかし結局、運行中の岡山市電を撮影したのは、この1枚のみでした。確かに本来の目的ではありませんでしたが、せめてもう1枚ぐらい撮っておけば良かったですね。この頃は、1枚撮ったらそれで終わりというパターンが多く、しかも周りの景色も欲張って一度の撮ろうとするものだから、メインの被写体もご覧の様に小さく写っているわけです。因みにこの市電は84年製の、7000形シリーズ第5弾、7401です。ずっと旧型車の更新で登場していた7000形(車体のみ新製で足回りは流用)が、この1両からは純然たる新型車になりました。岡山市電(正確には民間企業の岡山電気軌道)は、全長で2路線4.7kmという、日本最短の路面電車ですが、積極的に新型車両を導入するなど、この当時も営業意欲の高さが窺えました。さて、この写真、画面右側には、当時はまだ多数存在していたモノコックバスの姿が見えます。また、右端に目を転ずると、『のりば 最上稲荷行き、湯原・奥津温泉行き』と書かれた看板が写っており、バスのりばがあると思われます。


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岡山市電は2路線とも乗ったと思いますが、このショットは東山車庫で撮った1枚です。車庫の入口部分から、中で休んでいた3000形3010を写しました。その右奥にも同型車が見えますが、車番は確認出来ません。3000形は元日光市電(東武鉄道)で、1970年代の、岡山市電の主力車両でした。しかしこの頃(90年代)は、冷房付きの7000形シリーズが増備され、非冷房の3000形は、車庫でお休みでした。写真の3010は、2011年夏現在でも、予備車として残存している様です(元々10両あった内3両が現存)。ワインレッドに車番は金色という、洒落た塗装をしていますが、現在はどうなっているのでしょうか?私の中でも岡山市電といえばこの形が一番ピンと来るので、ぜひ一度乗ってみたいところですね。


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岡山駅に戻ってきて、駅前の様子を撮影しました。一番上の写真でも写っていますが、この当時のタクシーの形が懐かしいですね。画面やや左手には、両備バスのブルドッグも写っていますが、さすがに小さ過ぎてこの写真では分かりません。私は市電に乗った後、岡山駅には岡電バスで戻ってきましたが、その時に、当時既に貴重になってきていた、通称カマボコというスタイルの車両を見かけたと思います。乗れなかったですけどね。
バスに興味の無い方は、何の話かサッパリ解らなくてどうもすみません(汗)。


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岡山での小さな旅(?)を終えた私は、いよいよメインの行程の第一部、瀬戸大橋横断へと向かいました。右側手前に写る電車が、マリンライナーの213系です。岡山−高松間を結ぶマリンライナーは、1988年4月の瀬戸大橋開通と同時に誕生しました。現在、車両は後継の新車に置き換わっています。マリンライナーの左側には湘南色の115系が、さらにホームを挟んで左側にも、国鉄色の特急列車が、それぞれ停車しています。特急列車は『やくも』でしょうか?


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旅行の第一目的、瀬戸大橋横断です。マリンライナーの車掌室手前から、後方を撮影しました。左上、やや光が入り過ぎている点をご容赦下さい。それにしても期待通りのスケールのデカさ、延々どこまでも続く橋の景色には、ものすごい迫力も感じました。全長実に13.1kmは、鉄道・道路併用としては世界最長の橋で、両側から工事を進めてきて最後の結合部分に達した時、上下の誤差が1mm以下だったというのは、日本の技術水準の並ではない高さを物語っていると思います。長さのスケールもデカければ歴史のスケールも半端なくデカく、最初に香川県議会議員が瀬戸大橋の架橋を提唱したのが1889(明治22)年というのは、驚くべき事実です。完成が後1年遅れていれば、丁度100年越しの夢実現となっていた分けですね。それにしても、提唱した議員はその時はホラ吹き呼ばわりされたそうですが、100年後はどう世の中が変わっているか、誰にも分かりません。やはり物事、言ってみるものですね。
縦向きの地平線のごとく延びるこの超大橋。上が4車線の自動車道となっています。


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瀬戸大橋から眺める瀬戸内海の写真を、2ショット収めました。上が自動車道という事で、鉄道線から撮ると手前はやや暗い写りになるのは致し方ないところ。瀬戸の小島や、遠くに望む四国の陸地。好天に恵まれ、海もきれいでした。
のどかな島と、最新建造技術の粋を集めて造られた瀬戸大橋。何とも言えないコントラストだと思います。次々と目の前を通過する橋脚の窓間から、じっくり眺め続ける瀬戸内海と島々というのも、なかなか印象深い風景でした。写真では写っていませんが、何隻か船も確認したと思います。
先ほどの写真のように軌道部分を眺めていると、非常に未来的な光景だと感じますが、こうして海を眺めていると、やはりゆったりと、落ち着いた心地になってきますね。
瀬戸大橋、素晴らしかったと思います。


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初めて香川県入りし、高松駅に到着しました。四国の中では一番大きな街となる高松市。その玄関口です。画面奥に停車している車両は、JR四国の1000形気動車ですね。この当時の高松駅は、1959(昭和34)年に完成した三代目駅舎でした。そのため、昭和情緒溢れる、いかにも四国の港町に旅に来たと思える雰囲気でしたが、現在では四代目駅舎となっており、駅自体の位置も少し変わって、辺りの風景は一変しています。やっぱり『国鉄』の香りが残るこの様な駅は、古き良き旅日記の一コマですね。


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高松駅前に在ったホテルで荷物を下ろした後、出掛け直して最初に撮った1枚です。鉄道ファンの私が高松を訪れた理由は決まっていました。高松琴平電鉄に乗る事です。現在もそれなりに車両のバリエーションはありますが、当時の高松琴平電鉄(以下、琴電)は正しく旧型車両の宝庫で、『動く電車の博物館』の名を欲しいままにしていました。そんな琴電の年代物車両たちに乗るべく、早速動き始めた私、高松築港〜瓦町間の踏切にて、先ず持って現れた電車は、1063形1063号でした。半端な数字の形式ですが、元三岐鉄道のモハ120形で、1959(昭和34年)製です。旧型車王国の琴電にあっては寧ろ新しいと言える車両で、2005(平成17)年まで使用されていました。


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さて、琴電目当てで訪問した高松ですが、今の様にインターネットも無い時代、私は高松の交通に関して、琴電以外は何も知らずにいました。例えばバスについても、特に注目する様な車両が走っていると予期する事も無く、何も想像せずに行っていたのです。だから写真の車両が視界に入ってきた時には・・・・・、そりゃあもう、飛び上がらんばかりに驚かずにはいられませんでした。だってこの当時既に地元のバスでは完全に見られなくなっており、恐らく全国でも残り僅かになっていたであろう、『バス窓』の旧型車だったのですから。ここは当地を走るコトデンバスの車庫ですが、私は適当に高松築港駅周辺を散策して、ここに車庫があるのも偶然の発見でした。そしていきなりタイムスリップをした様な旧世代車。同型のバスを地元で見る事が出来ていたのは、もう5年以上前の事です。しかも、本当に衝撃を受けるのはまだこれからでした。


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上の写真から位置を変えて、車庫全景が見える地点に来ました。「何か、本当に10年一昔前の光景だな・・・・・」と、改めて感嘆しながら見ていました。手前に停まる2台の高速型バスも、私が小学生の頃の遠足のバス・・・・・。と、向こう側から1台のバスが動き始めました。ちょうど1台だけ前に出掛かっているバスですが、今当に出庫せんとしていたのです。私はその前頭部を見て、今度こそどっかに頭をぶつけるぐらい引っくり返りそうになりました。何と、今時もう見れないと思っていた、丸オデコの旧型(MR470)だったのです。最初に発見したバスは、正面の形だけを見れば、まだ当時地元でも見る事が出来ました。しかし丸オデコというのは・・・・・。さすがにもう、昭和時代で全車姿を消したと思っていたのです。車庫の出口であるこちらに向かってくるバスを見て、私は「ハ?!」と声を上げていたと思います。これはもう、琴電もそうですがバスもエライ事注目をしなくてはならなくなりました。この瞬間はもう、電車の事が一旦頭から飛んでいましたね。いや〜それにしても、まさかここまでの骨董品バスを拝見する事になるとは・・・・・。


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丸オデコの出庫を見送った私は先回りをして、これからこのバスが向かうであろう大通りへと走りました。出庫したバスは、間違いなく高松築港のターミナルに行くだろうから、その途中で、公道を走っている姿を1枚撮ろうと思ったのです。そして近道で大通りに抜けて、予想通りやってきたバスを撮影したのがこの1枚です。1992年7月末時点で、正面丸オデコのMRが走っていたという記録になりました。「夢にも思わなかった光景だな」と思いました。
次の瞬間、私はバスのりばに向かって走り出していました。その目的は決まっています。「実際にこのバスに乗りたい!」


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この2枚の写真は、いずれも琴電瓦町駅ですが、一つ上の写真に写っているバスに乗って、また戻ってきたところで撮影しました。
丸オデコのMR470は本当に良かったですね。何がって、特に音が良かったですよ。もう何年も聞いていなかった、70年代初期のMR系バスのエンジン音が、たまらなく良かったです。本当に懐かしかったですね。そして車内で製造年を調べたのですが、1973(昭和48)年製である事が判明しました。従って、この時20年目だったのですが、昭和40年代に出来たバスに思いがけず乗れて、感激でした。


さて、写真の話に戻りますが、琴電瓦町駅。現在は大きく変貌を遂げており、写真の様な地方鉄道色満点の駅は、見る事が出来ません。こちらも古き良き時代といったところですね。瓦町駅は、琴電の3路線全てが集合するジャンクションで、阪急でいえば十三駅に性格が似ていますかね?現在は駅ビルも大きくなっています。


左写真の車両ですが、上側の写真に写るのは60形65号で、元東急の車両です。同型の中で最後まで生き残っていましたが、2007年11月に廃車されました。そしてこの65号は実は2両連結で、もう一両の車両は恐らく850号(850形)だと思われます。下の写真に、側面の一部と扉の車内側部分が写っていますね。
この瓦町駅、漢字こそ違いますが、下の写真の様に平がなで『かわらまち』と書かれますと、思わず阪急京都線の終点か?と思ってしまいます。
高松滞在中、この駅は本当によく利用しました。現在の駅ビルの建設が開始されたのは、この1年後のことです。


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夜の高松築港バス下り場です。画面中央に呉羽ボディーのコトデンバスが写っていますが、これに乗って帰ってきたところです。夜になっても引き続きコトデンバスに乗って往復をし、帰りに乗ったこのバスは1976(昭和51)年製の車両です。窓は上下段式で、バス窓よりは1世代新しいタイプとなりますが、それでも懐かしいエンジン音でした。文字では表現出来ませんが、10年一昔前は、地元のバスでもよく聞いた、低〜く引っ張る様なサウンドです。本当に音を聞いているだけでも、十二分にタイムスリップした心地を味わいました。その右側には高速バスのエアロクイーンが停まっていますが、この新旧のコントラストはなかなか面白いと思いました。

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夜のJR高松駅構内です。前述のように、現在は高松駅も大きく変わりましたので、この昭和チックな駅舎夜景も懐かしい光景となります。そして高松駅の特徴として、全線路が行き止まりで、完全起終点駅というのがあります(これは現在でもそう)。従って、地上の入口からホームまでは同一面で、駅に着くと出口は進行方向正面1ヶ所という、非常に分かりやすい構造をしています。この日は恐らく平日でしょう。四国一のターミナル駅から、家路に向かう人がどんどん改札内へ入って行きます。


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