左右どちらの画像をクリックしても、拡大版にリンクします。拡大版も、新旧両画像が並んでおります。
なお、古い写真のほうは、私の大叔父(故人)が撮影したのを、譲り受けていたものです。


すべて左右両側に写真があり、あいだに解説文があります。画像をクリックすると拡大版になります。 左=2006年5月撮影/右=1982年秋撮影

豊中市の上野東三丁目の歩道です。現在は歩道も広くなり、沿道のガレージからの合流地点も平になっています。1982年当時は、歩道は狭く、すぐ前に写るガレージとの合流地点も、急傾斜になっています。この歩道を毎日のように自転車でも走っていましたが、ある程度加速しないとこの傾斜部分の通過は難しく、自転車同士のすれ違いも本当にスレスレの状態でした。今の状態から見ると隔世の感がありますね。
すべて左右両側に写真があり、あいだに解説文があります。画像をクリックすると拡大版になります。




左=2006年5月撮影/右=1984年9月撮影

上野西三丁目バス停付近の歩道です。整備されている現在の歩道と比べ、1984年9月当時は、ちょうど歩道自体が整備工事中(若返り工事?)で、工事用車両も見えます。すぐ前にはバス停(標柱は旧型のもの)がありますが、これは工事の影響で通常の位置から移設されているものです。バス停も、歩道が途切れたすぐ前の位置に置かれているため、この部分は自転車で通り過ぎるのも難しそうです。この頃は、思えば車いすの人を見かけたこと自体、ほとんどありませんでした。




左=2006年5月撮影/右=1982年秋撮影

上野西三丁目の、上の写真より少し前方に進んだ地点です。左の写真では、向こう側の歩道上に大きなマンションが建ち、どこか閑散とした雰囲気があります。ここにはかつて、『中野センター』という市場があり、右側の写真に写っていますが、この地域の中心的な商店でした。また、その手前の商店も繁盛していました。あれからずいぶん時代が変わったものだと思います。そして歩道のほうは、右の写真にちょうど合流地点が見えますが、ここが本当に狭く、自転車で通過する時も、毎回緊張していたものです。




左=2006年5月撮影/右=1984年9月撮影

上野東三丁目の、豊中亀岡線(元箕面曽根線)と、神崎刀根山線との交差点です。22年の時代差があっても、交差点の雰囲気はそんなに大きくかわっていないように思えます。右の写真では、手前に写るバスで少々遮られていますが、歩道が工事中の状態です。私は覚えているのですが、この工事以前、この部分の歩道は、ガードレールで区切られているのみで、幅も非常に狭く、自転車でもソロソロとしか走れないものでした。それがこの時の工事で、まともな歩道が誕生したのでした。今ではもう、ずっと歩道がつながっているのが当たり前という光景になっています。




左=2006年11月撮影/右=1975年12月撮影

上の画像の右方向から撮影したものです。画面前方に見えている交差点が、上の写真の交差点です。この位置は上野西三丁目ですが、バリアフリー面では、特に大きな変化は見られないと思います。ただ、左側の現在の写真では、両側に歩道がありますが、それほど広くなく、またこの道は、後ろへ進むとすぐに行き止まりになっているため、交通量も多くなく、あまり意味のない歩道と言えるかも知れません。それでも、頻繁に逆U字型のポールも付けているのは、違法駐車対策でしょうか?因みに右の写真は、右側の子どもが2歳の時の私、左側の人は亡き父親です。




左=2006年11月撮影/右=1980年4月撮影

これも上野西三丁目で、かつて千里中央行きのバス停があった所です。左側の現在の写真では、歩道が完備され、幅もそこそこあって、誰でも歩きやすい状態になっています。それに対して右側は、決して幅は狭過ぎではありませんが(親子が並んで歩けている)、今の歩道と比べると大分狭い、ガードレールで区切られた歩道となっています。この写真では切れてしまって写っていませんが、この手のガードレールは、いったん終わる時に少し内側(歩道側)に向けてカーブを描く形で終わっていたため(状況、お分かりでしょうか?)、その部分だけ一瞬幅が狭くなる難点がありました。




左=2007年3月撮影/右=1978年春頃撮影

ここは豊中亀岡線(元箕面曽根線)と神崎刀根山線との交差点の、上野東三丁目側です。右の写真中央でしゃがんでいる子どもは、4歳当時の私です。そして左の写真が現在の姿ですが、建物が変わったのはもちろん、歩道も、現在は手前部分だけではなく、向こうのほうまで完全に整備されています。しかし右の写真の当時は、曲がり角が終わった地点で歩道は途切れており、その様子がよく分かるのは、次の写真です。ところで点字ブロックの位置を見る限り、建物と歩道の境目の位置も、だいぶん変わったと言えますね。




左=2007年3月撮影/右=1978年秋頃撮影

上の写真を、違う位置から撮影したもので、、上の写真から見れば、右側の道路を渡った地点から撮った事になります。この2枚の写真、右側では、道路の向こう側の歩道はありません。柵があるのが見えますが、柵の向こうはどぶ川となっていました。そして、そのどぶ川を埋めて歩道が整備された現在の姿が、左の写真です。歩道も、最初は白い舗装でしたが、現在は普通のアスファルトになっています。左右で約30年の違いがありますが、建物もすっかり変わりましたね。




左=2007年3月撮影/右=1981年頃撮影

この2枚の写真は、本ページの上から2段目の写真とほとんど同じ位置からの撮影です。今回、敢えてこの写真を掲載したのは、歩道のバリアフリーチェックからは少し外れますが、バス停の名前の移り変わりを示してみようと思ったからです。左右は同じバス停ですが、右側の写真では、『上野八丁目』となっています。これはもともと、上野は東と西に分かれていなかったからですが、撮影時点では既に分かれており、バス停のみが、旧地名の面影を留めていました。1982年12月、『上野西三丁目』に改称され、現在に至っています。




左=2009年2月撮影/右=1982年秋撮影

この写真を、中野センター(現マンション)を挟んで反対方向から撮ったショットです。現在はコンビニが出来、その駐車場になっている部分は、かつては下半分が石垣という、今となっては懐かしいスタイルの塀に囲まれた民家があり、歩道も狭いものでした。傾斜が急で幅が狭く、自転車で、通る度にヒヤッとしていたガレージとの合流地点があったのが忘れられませんが、その民家も今では取り壊されています。右写真では、中野センターの前の違法駐車陣もしっかり写っていますね。そして△マークの横断歩道表示も懐かしいです。




左=2012年7月撮影/右=1976年冬撮影

かつて私の地元では、休日になれば必ず行列が出来る大はやりの店がありました。それは菊一堂です。私も、何せ家がすぐ向かいだったものですから、食事に買い物に、本当に何度通い詰めたか分かりません。右の写真は、その菊一堂が建設工事中だった時です。昭和50年代、入口前の歩道は人で溢れる一方、前の歩道はまだまだ狭くて、並ぶ人も自転車の通行も一苦労、また、高い歩道から低い歩道へ移る段差も急でした。時は流れ、左の写真では菊一堂は跡形も無く消えています。そして歩道は拡張された上、段差も緩やかになって、車いすでも歩きやすくなりました。



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