大阪市営地下鉄開業75周年記念イベント −なつかし車両まつり in 森之宮−【前編】 2008年3月23日

2008年3月23日、大阪市営地下鉄開業75周年を記念しての
イベント『なつかし車両まつり in 森之宮』が開催されました。幼少
より大阪市営地下鉄の車両マニアだった私は、初めてイベントの
情報に接した時からずっと楽しみにしていて、この日、行ってきまし
た。ここは地下鉄森之宮検車場・車両管理事務所の正面です。
この列の画像をクリックすると次に進みます
左画像の画面右上に白いテントが見えますが、そこに貼られていた
チラシとポスターです。私は、かつてよく乗った地下鉄車両の保存車
公開コーナーを見るのを、最も楽しみにしていました。

先ず最初に目にした展示物がこちら。定期観光バス「にじ号」です。
1937年に運行が開始され、71年の歴史を有していたのですが、
このイベントの8日後、3月31日限りで廃止になりました。この展示
は言わば、引退の花道的なものとなった分けですが、ダブルデッカー
よりも別の目的に急いでいた私は、画像だけ撮ってそのまま後にに
しました。このダブルデッカーの「にじ号」、初めて見た時は大層感激
し、乗りたいと思ったものでしたが、その後何度もダブルデッカーに
乗る機会に恵まれた事で、いつしか関心が薄れてしまっていました。

去りゆく「にじ号」の横に掲示されていた、歴代の大阪市営定期観光
バスの写真。私は、かつての大阪市営バスと同じ塗り分けで、色が
やや水色っぽい塗装が、生で見た記憶として残っています。このパネ
ルでいうと、一番右下になります。80年代に何度か見かけました。

さあ、こちらのバス、何だか分かりますか(笑)?これを見て「うわ!
懐かしい」と涙ぐまれる方がいたら、間違いなく相当オールド世代の
乗り物ファンです。この車両、通称「ゼブラバス」と呼ばれており、
1964(昭和39)年〜74(昭和49)年に使用されていました。塗装も
60年代の大阪市営バス標準塗装、リアルタイムを知っている人が
見たら、懐かしいですね。何と言っても正面のこの顔ですよ。現在の
バスしか知らない世代が見たら、「何じゃ?この格好は!」となるで
しょうね。しかし私にとっては、『元祖バス』とも言える形です。

側面を入れて撮りました。この車両、よくよく見ると正面の方向指示
ランプが無くて、何か目だけが無い顔の様に見えますね。でも、指示
ランプはちゃんとあるんですよ。フロントガラスの上の方、ミラーの上
ですね。分かったでしょうか?こんな位置にあるなんて、当時でも非
常にユニークだったと思うのですけど、運転士が見えやすくするため
だったのですかね?いずれにしても、この「ゼブラバス」は、前々から
大阪市交通局のイベントでは登場した事があり、写真ではお馴染み
でしたから、初めて生で拝見出来て嬉しかったです。「大阪2」のナ
ンバーも懐かしいですね。私が小学生の頃はよく見られました。

こちらはゼブラバスのリアです。これと比較的近い形は、阪急バスで
もありましたね。70年代の終わり頃まで、私もよく乗ったものです。
でも、こういう形の方が、どこかバスらしいというか、いかにも庶民の
乗合自動車という雰囲気が漂ってきます。生活臭がするとでもいう
のでしょうかね?画面左上、バス停も含めて撮影しました。このタイ
プのバス停は、見た記憶がある様な無い様な、あいまいですね。何か
じっと見ていたら、エンジンの音が蘇ってきました。ところで行き先表
は、上の画像(前面)では「京橋駅」ですが、こちら(リア)は「大阪駅
⇔茨田(まった)大宮前」となっていますね。幕は自由に回せて遊べ
ました。一つ下の写真では違う表示になっていますし(笑)。

代わって公式面(出入口がある面)です。後乗り前降りですが側面の
字幕が前にあるのは、登場当初は前乗り先払い制だったためです。
この側面の窓も、大変懐かしいものがあります。バス窓と呼ばれ、私
にとっても大変馴染みのあるタイプの窓です。72年頃まで採用されて
いましたが、現在では動態保存のボンネットバスを除いて、見られなく
なっています。それにしてもこのバス、超満員ですね。展示位置が好
かった事もあるでしょうが、人気は絶大でした。こんなに乗るのなら
短尺サイズではなく、もっと長尺を用意した方が好かったかも(笑)。

非公式面(運転席側)とリア面です。非常口の窓だけ二段構造になっ
ていますね。そして側面一番後ろの窓は、一番前の窓と全く同じ格好
です。よく見ると、フロントガラスとリア面ガラスの形も同じに見えます。
そう、このバス、実は前面とリア面を同じ型で接合するという工法で造
られておりまして、『大阪型』と呼ばれています。つまり、大阪圏での
み見られたスタイルで、私も70年代に大阪市営バスや阪急バスで、
この『大阪型』のバスをよく見かけ、阪急バスの方はよく乗りました。

さて、左の画像にも実は写っているのですが、右側の方向指示ランプ
のすぐ下に、『しずかに』と書かれた表示があります。一体どんな状況
の誰に対する言葉なのか、最初は謎でしたが、後になって、これはこ
の車両が現役時代から書かれていた表示で、当時やたらとクラクシ
ョンを鳴らすドライバーが目立っていたため、それを戒める意味もあっ
たそうです。とにかく早く進みたい、そして備わっている機能は何でも
使いたいという、車が普及して日が浅い時代ならではのエピソードで
すね。なお、文字の下のマークは、大阪市章です。

さて、外からの撮影を一通り終えて、いよいよ車内へ入ってみる事
にしました。と、そこで先ずは注目!このエラく高いステップです。60
年代の世の中は、まだバリアフリーのバの字も存在しませんでした。
今のノンステップバスとは当に隔世の感がありますね。この当時は、
こんな、よじ登る様な感覚で乗り込むハイステップが、当たり前だっ
たのでしょう。お年寄りは大変だったでしょうね。

車内に入りました。しかし何ぶん超満員のため、まともに車内全景を
撮る事は不可能です。結局、部分部分を撮るしかありませんでした
が、先ずは座席の配列の全景です。手すりの形といい、座席そのも
のの格好といい、時代を感じさせます。座席には、ロープが張ってあっ
て座る事は出来ず、従って座席だけはまともに撮れたのです。

カメラをかなり天井に近付けて、車内全景を何とか収めました。この
天井も、クーラーの全く無いシンプルな形状は大変懐かしいものが
あり、車内灯の形にも時代を感じさせます。思えば私が子どもの頃、
路線バスにはクーラーなんて全然無かったですね。車内の側から
見たバス窓も、改めて懐かしいです。

反対側の座席の列。こちらは一人掛けです。押しボタンの形も、
今とは全く違いますね。床も僅かに見えますが、木製です。

車内の最後部を撮った1枚です。今のバスと違うのは、
この最後部が車体そのものの後ろ一杯一杯まで、人が
立てる空間になっているという事です。これは、このバスが、
センターアンダーエンジンといって、車両中央部にエンジンを
搭載しているタイプであるためで、実はその関係もあって、かなりの
ハイステップになっています。その後、バスの主流はリアエンジンと
なり、車体は少し低くなって乗りやすくなった代わりに、リア部がエン
ジンルームになって、乗客にとってはデッドスペースになりました。

先ほど外から撮った、側面の一番後ろの窓です。本当に、リアの
ガラスに普通に頭を付けられるぐらい、車体一番後ろにまで座席
があります。この様な仕様のバスは、中国の北京では何回も
乗った事がありますが、日本では多分無いですね。

座席の座面です。製造から44年、すっかりくたびれてしまったモケット
ですが(だから着席は禁止になっている)、それがまた年季を感じさせ
ます。展示用にきれいに整備されているよりは、この様にリアルに
年数が表されている方がいいですね。最も外観はきれいに塗装し直さ
れていますが。座面のクッションはそこそこ座り心地良さそうですが、
背もたれはかなり低目で、最近のバスに相通じるものがあります。

座席をもう一枚。側面の内装や床もハッキリ確認出来ます。
全座席ヘッドカバー付きですが、画面右、前の座席は優先座席
でした。そのため、カバーも違う色になっています。それにしても
誇りと汚れでいい加減変色していますね。

このバスのプロフィール≠ェ掲示されていました。先ほど、この
バスの形状(フレーム)が『大阪型』であると述べましたが、正確には
『コ字型断面セミモノコック式』と呼ばれるフレームです。

ゼブラバスについての、詳しい解説文です。ところで『ゼブラ』という
言葉の由来ですが、当初はこのバスの性能、またはメーカーに因んだ
言葉なのかと思っていました。しかし、どうも車体の色が縞々の塗り分
けである事から、ゼブラバスと言われたみたいです。ゼブラとは、英語
でシマウマの意味だったのですね。だから、やがて大阪市バスの色
が変わって、縞々塗装でなくなった時点で、この呼び方も過去のもの
となった事になります。ちょっと予想外の由来でした。

一つ前の画像にあった解説文ですが、実は掲載されていた場所は、
側面字幕の下でした。先ほども書きましたが、幕は自由に回して
遊べる様になっており、この時も子どもが一生懸命、右手でダイヤル
を回して遊んでいました。常に誰か子どもが幕回転をして遊んでおり、
私はただただ、指をくわえて見ているだけでした(笑)。

このバスが現役だった当時(恐らく末期の74年頃)の、大阪市バス
路線図です。この画像では分かりませんが、実は左下に料金が
書かれており、大人50円、子ども25円です。25円!当時はバス代
にも、5の数字があったのですね。そして、路線図一番左上に見られ
る一本の路線、これ、豊中行きの路線なのです。当時は阪急豊中
まで大阪市バスが乗り入れており、私自身も豊中から大阪市バス
で梅田まで行った事があります。そのほか、この路線図を見て初め
て知ったのですが、名神豊中インターまでも乗り入れをおこなって
おり、バス停の名前は豊中インターチェンジでした。

運転席の、すぐ後ろの席の位置から撮りました。これ、何を撮り
たかったかというと、小窓です(笑)。手前に写っている細長い窓。
私は『アイスキャンデー窓』と呼んでいました。何故なら、形が
アイスキャンデーの棒にそっくりだったからです。この窓は少し
横幅がありますが、もっと細くて、縦向きにしか直線部分が無い
小窓も、かつて阪急バスでは多く見られていました。向こう側には
扉開閉スイッチ等も見えますが、運転各機器もシンプルですね。

今度は前の扉を撮影です。このバスは前後とも扉が折り戸で同じ
幅、同じ形をしていました。後ろが折り戸というのも、大阪では昔の
バスでしか見られないタイプですね。さて、この扉、60年代のバス
の、標準的な形です。窓が小さく、周囲にリベットが規則的に並ぶ、
全体的にややゴツゴツした印象。そして上下窓の間に、窓ガラスの
スペースを準備している様な型取り(少し窪んでいるところ)がある
のも、70年代以前に出来たバスの特徴でした。

運転席の様子です。私も座ってみたかったですが、お子様王国に
立ち入るのは遠慮致しました(笑)。それにしても、私がこの子たち
ぐらいの年齢の頃、日常利用するバスの運転席や車内風景は、
まさにこのバスと同じ感じでした。曲線を描いた細長目のフロントガ
ラスに、シンプルな運転台、ハンドギアに半径の大きなハンドル。
もう一度こんなバスに乗って、どこかへ行ってみたくなりました。

こちらも運転席ですが、運転席に座っている子が、左の画像でピース
をしている子かなと思ったら、どうやら手前の帽子をかぶっている子の
様ですね。それにしても、この帽子はひよこの顔になっているので、
パッと見たら子ども運転手にバスガイドがひよこに見えますね(笑)。

さあ、ゼブラバスでのひと時を過ごして、次はいよいよ、地下鉄の
保存車両を見ていきたいと思います。この画像は車庫から工場に
入るための線路で、通常、この様なショットは撮れないですよね。
これもイベントならではのスナップと言えます。

車両工場入口です。前方に、早速展示車両が見えていますねぇ。
ここからが最大のお目当てとなります。かつて世話になった、
懐かしい車両たちと再会しに、いざ入りましょう!

これが保存地下鉄1両目、3042号車です。この車両は最後は中央
線で使用されていて、そのためラインカラーも中央線を表す緑になって
いますが、元々は御堂筋線で長く使用されていまして、番号も3008
でした。御堂筋線時代は、ラインカラーも赤でしたね。私は生まれも
育ちも豊中なので、地下鉄といえば御堂筋線(北急千里中央から)
でした。中でも写真の車両=30系のアルミ製車両は、一番数が多く、
乗る時はほとんどがこれでした。本当に、たまには違う車両が来いと
言いたくなるくらい、ほぼ毎回乗っていたわけですが、そんな主力車両
30系も、やがて次世代の冷房付き新車にその役目を譲り、御堂筋線
を退いていきました。93年5月の事です。この車両は冷房が無かった
ため、夏はとにかく不評、段々冷房車が増えてきた頃、この車両が来た
ら、「蒸し風呂電車が来た」とこぼしていたものでした。でも、それも今
は昔。極端に角ばったこのスタイルが、交通局内でも不細工と評され
ていた様ですが、歴代の大阪地下鉄の車両の中でも、最も大量輸送
に貢献した実力車両は、この30系であります。

30系の側面です。30系自体は、現在でも谷町線に残存しています
が、ラインカラーの表示の仕方は登場当時とは異なっており、元々は
この写真の様な表示でした太い一本の帯で、真ん中に『コマルのマ
ーク』の異名を持つ交通局マークが表示されていました。私はこのシン
プルで分かりやすいカラー表示が好きでした。今のはどこか、余計に
凝っているという感じがしますのでね。機能美を誇っていた30系、外
観は本当にシンプルなものでした。このやや錆び付いた感のあるアル
ミ車体が、80年代前半までは、御堂筋線の代名詞でしたね。

30系の連結面です。この状態を撮るという事は、通常では有り得ない
ですね。保存展示車ならではです。左下には、製造部レートも見えま
すが、この車両は昭和43年(1968年)製で、大阪地下鉄車両の、
アルミ車第一号でもありました。そういう意味で保存価値があります。
なお、引き戸が外付けで設置されているのは、元々は貫通路だけ
で、引き戸が存在していなかったからです。

30系の車内も、中には入れませんでしたが、扉が全て開いていたた
め、垣間見る事は出来ました。私の中で30系の特徴は、この扉です。
上の方にしか無い小さめの窓、子どもの頃の私には、とにかく評判が
悪いものでした。私は梅田〜千里中央間を利用していたため、走行
区間の大半が外となるのですが、この扉では外が見えない。末期は
私も身長が伸びて見える様になっていましたが、今では見られない
この小さな扉窓が、子どもの頃の私泣かせだった事は、今となっては
懐かしい思い出です。窓ガラスが小さくなったのは、大混雑の中で、
乗客の体重の圧力によって窓ガラスが割れてしまう事態を防ぐため
でしたが、やがて増備された車両が大きな窓ガラスになったのは、そ
れでも大丈夫だと判明したからでしょうか。実際、ラッシュ時の人の圧
力により、窓ガラスが割れという話は聞いた事がありません。

30系車内全景です。これをデジカメに収められる日が来るとは思って
いませんでした。というのも、このタイプの車内が姿を消したのは95年
7月で、まだデジカメなど購入していなかったからです。今初めて、私に
とっての最も馴染みの地下鉄車内を、カメラに収める事が出来ました。
ベージュのデコラ板に赤いシート、本当に懐かしいです。末期はシート
のクッションが柔らかい物に改良されていましたが、80年代末までは、
とにかく固くて座り心地の悪いものでした。それでも私はマニア的見地
から、こういう高くて(料金が)固いシートも、一つの個性だと受け止め
ていましたが、一般受けは相当悪かった様です。だけどもっと昔、70年
代の頃は、待合室のベンチの様な、クッション性ゼロのシートでした。私
も座った記憶がありますが、ツルツルして滑りそうだったです。外国の
鉄道では、この様なシート(繊維強化プラスチック製)も一般的な所があ
りますが、日本では湿度の高さもあって大不評でした。車内も外観も、
極限までシンプルさを求めた車両ですね。拡大版を用意しています

かつての王者、30系の横には、現在の主力車両である新20系が
検査を受けています。細い紫のラインカラーが見えますから、谷町線
の22系ですね。保存車には多くの人が集まり、大人気でした。
こういう形で展示してくれたのは、嬉しかったですね。

通路がしばし空いていた時を狙って、森之宮車両工場(正式名称は
車両管理事務所)全景を撮影しました。すぐ前では、少年もデジカメを
構えています。混雑した時はなかなか大変でした。30系の前方には、
60系の姿も見えますね。そして右手には、通常検査を受けている、
現役の車両も見えます。谷町線用の22系です。

その22系を中心に、工場の奥の方まで画面に入れて撮影しました。
相当大きな車両工場ですね。検査を受けている車両(22603号)は、
ヘッドライトが抜き取られているため、何だか目ん玉くり抜かれてい
る様な、変な感じに見えてしまいました。でも、工場らしい風景です。


[後編]へ進む





近場で外出、イベント等の思い出へ 旅行記・乗り歩きの部屋へ