近江鉄道乗車 撮影:1990年7月1日
全ての写真の右側に解説文があります。 滋賀県湖東の平野を走る、近江鉄道に初めて乗った時に撮った写真です。これは行きしな、昼食をとるために、いったん大津駅で外に出た時の一枚。駅前の雰囲気は、現在とあまり違っていません。そして奥の方に小さく写っているだけなので見えにくいですが、画面右端の真ん中あたりに、何台かバスが停まっているのが見えます。青っぽい色が江若交通、その右側に赤と白の色が見えるのですが、京阪バスです。当時はまだモノコックもまだ中堅≠セった時代。どこに行っても、70年代後半〜80年代初頭型のモノコックバスが走っているのが、当たり前でした。


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JR近江八幡駅です。駅ホームや渡り通路の雰囲気は今もあまり変わっていないかも知れませんが、駅前の様子は恐らく、一変していると思います。写っている電車は、当時まで登場2年目で、ピカピカに近い新車だった221系です。この頃、まだ新快速といえば、かつての『シティーライナー』117系が走っていました。現にこの日も、最初に大阪から大津まで乗った新快速は117系で、どちらかというと新型の221系が来ることを期待していた私は、十二分に乗り慣れた『ベテラン』の方が来て、「残念でした!」と思っていたのを覚えています。


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近江鉄道の近江八幡駅に到着しました。多くのローカル鉄道で見られる様に、JRの駅と隣接しており、連絡通路(橋上通路)ではつながっています。13:41発八日市行きの表示が出ておりますが、果たしてこのタイプの案内機が現在でも存在するのか?隣の時計は『故障中』の張り紙がなされていました。さあ、中に入ります。


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いよいよ近江鉄道の車両に乗るわけですが、先ずは外観を撮影。この、幅が細めの湘南型スタイルは、80年代の主力車両で、当時もまだ、バリバリ働いていました。西武鉄道系の会社であるため、車体の色も西武色(イエロー)となっています。この車両は、モハ1形+クハ1213形と呼ばれ、1と1213という、2両連結ながら極端に数が離れていた番号、そして1213という、中途半端な数字が形式名になっているのが、何ともユニークだなと感じていました。窓がやや中央に寄っており、裾が長く見えるその顔が、個性的だった車両です。2000〜2002年頃に引退した模様です。


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上の写真の電車の車内です。まだ誰も乗っていなかったため、きれいに全体を写すことが出来ました。ローカル鉄道の車両の中では、なかなか近代的な部類に入っていたと思います。シートの色はブラウンで落ち着いた感じですが、のちに別の鉄道で、元西武鉄道の車両に乗った際も、このカラーのシートでした。従って、車内の色調も、親会社と合わせていたものと思われます。なお、この車両自体は近江鉄道のオリジナルで、走行音は昔懐かしの釣り掛けモーター、冷房もありませんでした。


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八日市駅です。ネットで見たところ、現在は非常に近代的できれいな駅に生まれ変わっていましたが、この当時はご覧のとおり、ひなびたローカル色たっぷりの駅でした。左側に改札口があるのですが、そこを出た駅前は、現在見られる様な駅前広場も無く、バスが停まれるぐらいのスペースと、あとは狭い道を挟んですぐに古い家屋が建っていました。本当に、将来大きな駅として整備されるなど、想像も出来ないような様相でしたが、これも今は昔です。私はこの駅構内で、実に40分も過ごしました。というのも、近江八幡から貴生川まで通しでキップを買ったために、乗換駅であるこの駅では、外に出られない状況だったのです。乗り換え待ちにこんなに時間があるのなら、キップを2回に分けて買ったら良かったな、と思ったものでした。


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八日市駅で待っている間、単行運転のモハ102が入線してきました。先ほど乗った、近江八幡行きです。この車両に乗る事はありませんでしたが、写真にだけ収め、音(釣り掛けモーター)はしっかり聞きました。丸みを帯びたこの車両は、元岳南鉄道(静岡県)の車両で、1981年に近江鉄道に譲渡され、93年頃まで走っていました。ドアが『ゴゴゴゴ・・・・』と音を立てて開閉していたのを記憶しています。


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さあ、ようやく貴生川行きの列車がやってきましたが、これはディーゼルエンジンで動くレールバスで、電車≠ナはありません。この頃、近江鉄道では比較的需要の少ない八日市−貴生川間において、閑散時や日・祝日はレールバスによる運行が行われていました。このタイプは、80年代後半から90年代初頭にかけて各地で見られ、現在では残り少ないものになりました。で、私はこの『架線下レールバス』の旅を楽しんだ分けでありますが、さすがに小さなレールバスともなれば、車内は結構『混んでいる』と感じました。この頃が、このレールバスの全盛期でした。この翌年以降、新型車の登場に伴って徐々に運用が減り、今では一応存在はしているものの、稼動率はゼロに近いとか。田園風景広がる近江平野を、グワングワン飛ばしていたのが懐かしいです。琵琶湖以外の『陸の滋賀県』も、結構広いと感じたものでしたね。


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終点の貴生川駅で撮影したものですが、これは信楽高原鉄道です。貴生川を起点に、信楽まで延びているこの鉄道(元JR信楽線)には、この日は乗車しませんでしたが、ちょうど列車が停まっていたので、写真にだけ収めました。この時の塗装は、開業当時のものです。この翌年、あの大きな衝突事故が起こり、復旧後のこの鉄道は、塗装が変わりました。あの事故の日、夜になって、横綱・千代の富士の引退のニュースが飛び込んできたことは、今も鮮明に覚えています。私が信楽高原鉄道への乗車を果たすのは、これより3年半後、1994年1月の事となります。なお、このホームはJR草津線と共同のもの。


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JR草津線貴生川駅の、構内全体を撮影しました。草津線は、東海道線草津を基点に、この貴生川を中継点として、関西線の柘植まで延びている路線ですが、貴生川−柘植間は、まだ一度も乗車した事がありません。この写真の左端の方、向かって奥側のホームが、近江鉄道の駅となります。


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上の写真と反対側の景色です。前方、雲をかぶっている山は、水口山でしょうか?駅の裏側にあたり、特に何もない風景ですが、果たして現在はどんな感じなのでしょうね。この後、JRに乗り、草津経由で大阪に帰りました。


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※最後に:この日は近江鉄道全線の乗車は果たせず、近江八幡〜八日市〜貴生川のみの乗車となりました。残り区間である、米原〜八日市、および多賀線は、これより8年後、1998年の秋ごろに乗車しています。ただ、その時は人と一緒で、予定外の行動として乗車したために、カメラも持参しておらず、従って写真には全く記録されておりません。いずれまた、写真に収めるため乗りに行くのが望ましいのでしょうが、現在の近江鉄道は、私の知る当時からは大きく変わっており、果たして今から再び撮影に行くかどうか、目下のところは未定です。




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