阪急電鉄宝塚線川西能勢口から、妙見口と日生中央まで走っている能勢電鉄。その能勢電鉄に、かつて610系という車両が存在していました。元は阪急電鉄の610系で、1953(昭和28)年製です。ただし実際には車体だけが新造で、足回りは明治(開業期)〜昭和一桁生まれの、在来車両からの流用でした。もちろん釣り掛けモーターで、台車には数々のバリエーションがあります。
能勢電鉄は昔から阪急の中古車の宝庫で、さながら阪急の支線でした(実際にそう思っている人もいたとか)。阪急の車両が完全新性能化・冷房化を完了してからも、能勢電鉄には戦前〜昭和20年代に登場した、元阪急の旧型車が生き残っており、まさにタイムトラベルそのもの。「阪急で引退しても、まだ同型や類似型が能勢電鉄で残っているから、リアルには名残惜しくないや」と思った事もあったものでしたが、この日、その『旧世代車両』最後の1編成だった、610系610編成が『さよなら運転』を行いました。
ここ3年ほどの間に、貴重な旧型車に今一度乗車したいと、再三能勢電鉄を訪れていた私。かつての主力車両で、能勢電鉄が大変よく似合っていた610系の最後を見届けるべく、当日、川西能勢口駅へと向かいました。

能勢電鉄610系さよなら運転(引退20周年記念公開) 撮影:1992年4月19日
能勢電鉄川西能勢口駅です。手製のさよならヘッドマークを付けた610編成が、発車を待っています。そして思い思いに撮影するファン。当日はあいにくの雨模様でしたが、それでも多くの参加者で賑わっていました。写真の駅は地上駅時代の旧ホームで、現在は高架化された上、駅も移設されて大幅に生まれ変わっています。この時、阪急の同駅は既に高架化されていて、能勢電鉄の駅との間には、仮設の長い通路が延びていました。地上駅の廃止に先立ち、この地上駅こそがよく似合っていた610系が、一足早く姿を消しました。阪急も地上駅だった時代、共用ホームが途中の仕切りで区切られ、乗換えをするのにホーム上改札口を経由したのが懐かしいです。


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610系の車内です。ご覧下さい、このレトロな香り。ニス塗りを思わせる色調の内装。吊り革の輪の色も内装に合わせて濃い色になっています。本当に旧世代の阪急そのままの、原型の味を残す車内(外観も)でした。一見して古い電車だと判る味がありましたが、この時点で製造後39年。あと1年で40年に達するというところでした。現在、能勢電鉄で使用されている車両は、全て製造後45年以上。この610系から見ても、6〜10年程しか違わないのですが、そんなに際立つほど古くは見えません。これは、昭和20年代後半〜30年代半ばの間に車両のスタイルが大きく変わり、何世代もジャンプした様な近代化が行われた事によるものです。


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610系の車内端部にカメラを向けました。ちょうど乗務員室跡の部分で、客室と乗務員室とを区切っていた仕切りが写っています。こういう細部も、改めて懐かしさ満点です。昭和40年代の阪急の味、今再び、ですね。
間もなく、釣り掛けモーターの轟音を響かせながら発車しました。


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さよなら運転第一便に乗って、日生中央に到着しました。これはその日生中央で、661号車を撮影したものです。一番上の写真の610号車が正面非貫通であるのに対し、この661号車は貫通式です。これが、この世代の阪急電車の標準的な顔でした。非貫通のスタイルは例外的なもので、阪急では僅かな数しか見られませんでしたが、610系はトップの2両(610、660)が非貫通だった事もあって、非貫通マスク=610系の代名詞と、私の中ではなっています。この661号は標準顔な分けですが、それだけにこの顔を見ていると、810系や710系といった、かつての阪急の顔ぶれを思い出し、懐かしさに興奮を覚えたものであります。


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661を、少し離れた位置で、正面から撮影しました。昭和50年代までの、阪急電車の発車待ち風景再現です。ホーム上は『さよなら運転』参加者で大賑わいです。この日生中央駅は、1978(昭和53)年開業で、この時点でまだ開業14年目の比較的新しい駅です。しかし、開業後、最初の8年ほどは、1935(昭和10)年生まれの旧型小型車も日常、この駅に姿を見せており、新興ニュータウンに開業した近代的な新駅には余りにも不釣合いの、老齢レトロ車の乗り入れでした。『オンボロのせでん』のイメージを一新する、近代駅にふさわしい車両がお目見えしたのは、この駅の開業5年後の事です。


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日生中央で、留置線にいた1000系を撮影しました。1000系は元阪急1010・1100系で、2編成のみに終わりましたが、この車両の登場によって、昼間時間帯の全列車が、通常は冷房付き新性能車両となりました。写真の1000系は、登場時の塗装である窓周りがアイボリーのマルーンカラーをしていますが、やがて右側に写る、当時の標準カラーに塗り替えられ、更にフルーツ牛乳≠ニ呼ばれた、『最後の能勢電オリジナルカラー』に変更されました。私は写真の色が最も似合っていたと思いますね。1000系は、阪急時代には有り得なかった、表示幕付きでヘッドライトが窓下という顔に変わったので、私はあまり『古き阪急の生き残り』という感じを持てませんでした。どこかアンバランスな顔に映り、正直好きにはなれなかったのですが、車内は1000系列の阪急そのもので、阪急の同系列引退後、度々堪能しました。


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610系の非貫通正面です。私が初めて能勢電鉄に乗ったのは、確か1979(昭和54)年頃だったと思います。その時に乗った車両は500形でしたが、途中610系のこの610号とすれ違った際、その、あまりにも独特な正面の顔に対して、ものすごくインパクトが残りました。以来、610系というより、『能勢電車と言えばこの顔』と覚える様になりました。因みに79年当時は、まだ川西能勢口〜川西国鉄前間も存在しており、白と青のツートンカラーである51号が留まっていた事もよく憶えています。


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花束を渡され、記念撮影に収まる、さよなら運転担当の乗務員。制服も過去の物で、こういうのも時代を感じさせますね。また、乗務員が2人いるのは、当然運転士と車掌な分けですが、ワンマン化された現在の能勢電鉄では、阪急宝塚線の車両による運行の、特急『日生エクスプレス』を除き、車掌が乗務する事はありません。そういう意味でも、時代を感じさせるショットになっています。


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乗務員室の扉が開いている間、中の運転台を撮影しました。運転関連の各機器も、当然ながら年季が入っています。因みにこの乗務員室は、貫通扉付きの661号のものです。画面上端、ちょうど手前に写る扉の上部分には、花束が置かれているのが見えます。ここが荷棚になっているのですね。花束がある事が、この列車が記念列車である事を示しています。


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日生中央の駅ホーム全体の様子です。大勢の参加者で賑わう様子が分かるかと思いますが、マニアだけではなく、家族連れや子ども連れも多く目立ちます。当時はまだインターネットが日常の世界には存在していない時代で、まだ今ほどには鉄道イベントが一般に認知されていなかったと思いますが、それでもこれだけ人が来ています。さてこの写真、光が入り過ぎて白く写っているため非常に判りにくいですが、マルーン一色の610系と、当時の標準色(オレンジに青緑)の1700系(画面ほぼ中央)と、初代オリジナルカラーの1000系(画面左)と、3色揃い踏みの場面を収めていました。現在、塗装はまたマルーン一色に戻っており、能勢電鉄が塗装面で阪急との差別化を図ったのも、今は昔です。


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610系側面のアップです。ウィンドシル・ヘッダー付きの年代物の¢、面を、今一度、心ゆくまで味わいました。阪急では1930(昭和5)年〜1985(昭和60)年まで、半世紀以上にわたって見られていましたね。これに能勢電鉄として見られた期間を足し合わせると、60余年にわたって、見られていた事になります。
あと4年ずつ前へずれていたら、丸々昭和時代となっていましたね。
さて、この写真、630という車番が辛うじて見えるかと思いますが、610系630形は、4両のみ製造された、610系の中間車です。


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正面非貫通610号の乗務員室です。外側から撮った610号(および660号=この時点では既に廃車)正面の写真は数多かれど、内側から非貫通部分(中央窓)を撮った写真は、そんなに多くはないのではないでしょうか?中央窓(画面右側の窓)の下には、控えの運行標示板も置かれています。こういう状況も懐かしいですね。本家の阪急では、2012年4月現在でもなお、少数ながら運行標示板車両が残っていますが、能勢電鉄では、前述の1000系もあの様な顔に化けたために、この日の610系引退を持って、運行標示板も姿を消しました。それにしても、内側の化粧版のくたびれ具合が、年数を物語る・・・・・、そしてこの車両、客室と乗務員室(車掌側)の仕切りのガラスもありません。かつては阪急でもこの様な車両がよく走っていました。そして私は子どもの頃、仕切り横の席に座って、車掌室に立つ車掌さんと会話をした思い出もあります。


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日生中央から、再び川西能勢口に向かった610系ですが、当日、全駅で乗り降り自由のフリーチケットを持っていた私は、一駅手前の絹延橋で降りて、去ってゆく610系列車を撮影しました。あまり途中駅で降りてのこういう撮り方はしない私ですが、この日はやっていましたね。


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折り返し日生中央行きになって、絹延橋駅に入線してきた610系を撮影しました。こうして途中駅で待っていて、普通にやって来る姿というのも、残しておきたいと思いました。ホームに人が多いのは、やはりこのさよなら列車目当てか?沿線住民、とりわけ中高年以上の住人の間では、必ずしも車内設備面でのサービスは他車両と釣り合わない610系も、人気があったのかも分かりませんね。


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再び日生中央にやってきた610系の、今度は天井部を撮影。濃い木目色調の化粧板と、真っ白な天井とのコントラストがというのも、大変味があると思います。天井からの吊り広告は、全て610系特集でした。そして手前に写る扇風機。これも本当に時代を感じさせますね。非冷房車における代名詞でした。かつて阪急今津線の810系に乗った時も、懐かし気に扇風機を眺めておりました。この日はまだ春の真っ只中で、しかも比較的涼しい一日。扇風機の出番ではありません。結局この扇風機は、もう二度と稼動する機会が無かった事になります。


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階段を中ほどまで上がって、屋根上のダクトやパンタグラフを撮影。ここまで撮る事は日常、ありませんでしたが、この日は自分なりにかなり濃密にレポしましたね。最近の電車のシンプルな屋根上と比べると、実にいかめしさがあると思います。屋根上部分にも、時代は大いに反映されています。


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日生中央を発車した610系は、今度は妙見口行きとなりました。山下でスイッチバック、妙見口に到着後、しばし休憩している姿です。一旦改札の外に出て線路脇のこの位置まで回ってきましたが、既に人だかりが出来ていて、妙見口での最後の姿をカメラに収めていました。確かにずっと昔からあり、かつ雰囲気が昔とあまり変わらない妙見口の方が、610系には似合います。ホームの先端部まで、ぎっしり人で埋まって撮影が行われていますが、反対側のホームは少ないですね。右側に停車しているのは、1500系1500号車です。私が気に入っていなかった、当時の標準色を身にまとっていますが、先端部ギリギリの位置に停まっているのは、4両編成だからです。現在の1500号は2両編成化されているので、4両編成での姿というのは過去のものとなります。


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妙見口の駅ホームに戻り、空いている方(上の写真の左側)のホームから、今一度側面を撮影しました。扉上部の、曲線を描いたウィンドシルが好きですね(^^;。阪急で1980年代前半までよく見られた、薄茶色の窓枠も、これを限りに見納めとなります。本当に好ましいスタイルの電車でしたね。阪急時代は比較的地味でしたが、能勢電鉄に転籍してから多数世帯の主役級として、大いに威力を発揮しました。能勢電鉄に登場したのは1977(昭和52)年なのですが、それから15年というのは、能勢電の歴史の中でも一番の発展期だったと思います。その時代を支えた功労者(功労車)に、「お疲れさまでした」と労いの言葉を掛けたいです。


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妙見口にてもう一枚。この光景を、決して回数は多くないのですが、これまでに何度か拝んできました。先に廃車になった、無き編成に乗って、やってきた事もあります。妙見口〜山下の単線山間地帯は、沿線全体の中でも、旧型の610系や500形が特によくマッチする区間だったと思います。そんな馴染みの区間に別れを告げて、610系は、川西能勢口に向けてのラストランを行おうとしています。この、トレードマークと言って良い非貫通マスクだけでも、保存して欲しかったですね。
さて、始まりは雨だったさよなら運転も、この時にはすっかり晴れています。


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この当時はまだ各所で聞かれた、しかし能勢電鉄ではこの日限りの釣り掛けモーター音を響かせながら、ラストランを無事に終えた610系。川西能勢口に着き、乗客全員が降りる直前に最後の1枚を撮りました。「しばらく撮影会よろしく、扉を開けたまま留まっていてくれたらいいな」と願ったりしましたが、残念ながら間もなく扉は閉まり、別れを惜しむ大勢のファンや地元住民に見送られながら、二度と走る事の無い鉄路を、平野車庫へと去っていきました。川西能勢口構内線路の、今は解消された急カーブを通過するきしみ音を響かせながら・・・・・。
これで能勢電鉄に乗る大きな楽しみが一つ無くなったな、と思うと、寂しい気持ちもしました。しかしそれにしても、素晴らしい一日を送れたことに感謝!!主催・担当者の方、そして610系、有難うございました。

以上、610系さよなら運転のレポをお届けしました。
あの日から20年、本当に早いものですね。今ではもう、釣り掛けモーター音自体も、全国を通じて聞ける箇所が僅かとなりました。
この610系さよなら運転、走行中は、車掌による610系の説明アナウンスもなされていました。その一部を再現してみます。
「みなさん、長い間610形(ろっぴゃくとおがた)をご愛好いただきまして、誠に有難うございます。610形は、昭和52年度に阪急電鉄より購入致しました。今後は、1000形、1500形、1700形をご愛好いただきます様、よろしくお願い申し上げます」
正確ではないかも分かりませんが、この様なアナウンスでした。車両に関して、『系』と言わずに専ら『形』と言い、しかも『ろっぴゃくじゅうがた』ではなく、『ろっぴゃく“とお”がた』と言っていたのが印象に残りましたね。恐らく社内ではそう呼ばれていたのでしょう。いずれにしても、楽しいひと時を送る事が出来ました。当時としては珍しく、今のデジカメに近いスタイルの撮影の仕方をしていたのも、本当に画期的だったなと感じ入る次第です。
なお、この『610系さよなら運転レポ』は、当サイト開設以前、或る別サイトにて公開して頂いていた時期がありました。しかしそのサイトは数年前に閉鎖され、現存しませんので、今回改めて当サイト上にて、元々未公開だった写真も含めて公開致しました。かつて掲載して下さっていたサイトの管理者には、改めて感謝申し上げます。


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