私は幼少の頃から電車、中でも通勤電車の片開き扉(1枚扉)の電車が大好きでした。何故そんなに片開き扉が好きになったのか、よくは分かりませんが、ハッキリ憶えているのは、地元阪急電鉄にかつて存在していた片開き扉車はみな、扉が開いた状態の時、扉自体が完全に見えなくなるのではなく、少し手前部分が見える状態(引き残しがある状態)になっており、それが大好きだったということです。生まれながらにして妙なマニア嗜好が身に付いていた私。阪急からは、1989年3月限りで、片開き扉車は姿を消しました。そしてその後は能勢電鉄に残存するのみとなっていましたが、2001年4月29日限りで遂に能勢電からも姿を消し、ここに阪急電鉄開業以来見られた片開き扉車は、全て営業線上から姿を消したのでした。末期は朝ラッシュ時の川西能勢口行きの運行のみとなり、乗れるチャンスが事実上無くなっていた、能勢電最後の片開き扉車、1000系。最後に1000系に乗ったのは、私の記憶が正しければ1996年の冬頃です。
ここでは1000系さよなら運転の様子を振り返りますが、写真の数が少なく、しかも後半、お判りになれますが、撮った当初は気付かなかった大失敗を犯してしまいまして、悔しい記録ともなりました。

能勢電鉄1000系さよなら運転 撮影:2001年4月29日
能勢電鉄1000系さよなら運転。記念列車の出発場所は、日生中央の引込線となりました。この日の行程は、先ず事前申込みで当選が決まっていた人たちが乗れる記念運転1往復(日生中央〜川西能勢口)と、一般の人が乗れる記念運転1往復が行われるというものでした。この時は当選者のみが乗れる便の出発前で、撮影は誰もが自由に出来ました。私は事前申込みは時期が遅かったため当選はならず、従って1往復目は見送るのみとなりました。正面に『さよなら1000系』と書かれたヘッドマークが取り付けられています。数年ぶりに走行シーンを見ることとなった1000系ですが、この日がラストランとなったのでした。
1000系は、元阪急1010・1100系で、1986(昭和61)年と88年に、それぞれ4両1編成ずつが導入、最終2編成8両という少世帯に終わりました。先に元2100系の1500系が登場していた中、それよりも古い1000系列が導入されたのは、何か意外な気がしました。この後、現在も主力である、元2000系の1700系が大量に導入されることになり、1000系は過渡期的な車両となりました。


次の写真へ
反対側の先頭車です。1000系は能勢電譲渡に際して、正面左上に表示幕が取り付けられ、尾灯が窓下に移設されました。結果、面差しが変わり、『阪急6000系の1000系列版』という顔になったのですが、私は1000系列にこのマスクはどうも似合わないと感じていて、あまり好きにはなれませんでした。まあ、単なる個人的な好みにしか過ぎませんが、2つの年代の混在というか、どうもミスマッチに見えていたのです。一方で、何かに似ているなぁと思ってよ〜く考えたら、西鉄600系でした。


次の写真へ
1000系の魅力の一つは、何といっても片開き3扉の懐かしいスタイル。正面が半端近代化≠ウれた分、原型の味が残されている側面観賞を大いに楽しんでいました。1000系は、能勢電にやってきた時点で既に車齢30年を数えており、まさに『オールドルーキー』でした。しかし能勢電での活躍期間は、610系と同じく15年。最後の吊り掛け・非冷房車無き後、近代化世代の一員として9年活躍しました。1000系引退の14年後、能勢電としては、正面窓下にライトがある車両第2号となる5100系が、のっけから『オールドルーキー』の看板を掲げて大々的にデビューしました。車齢は実に44年。引退時の1000系が製造初年から45年で、如何に長寿化・晩譲渡化したかが分かります。


次の写真へ
こちらは日生中央駅コンコースです。『1000系車両さよなら運転』の横断幕が掲げられ、併せてグッズ販売も行われていました。610系の時は川西能勢口が出発・終着地点で、純粋にさよなら運転だけでしたので、今回は全く違った趣向となりました。


次の写真へ

これは、最初の『事前申込み客限定』の列車が出発していくシーンです。この時は1001号車の正面にもヘッドマークが付いておりました。窓配置が3d4d4d2(先頭車)の外観も、いよいよ見納めとなります。


次の写真へ
さて、ここからは車内の写真ですが、冒頭でもお伝えしたように、撮影に大失敗して非常に悔いの残る記録となってしまいました。この1枚は川西能勢口での撮影ですが、見ての通り暗い写りで、元々はもっと暗い写りでした。今回のパソコンでの公開に際し、再三明るさ補正をしております。暗い写りになった原因は、この日のイベントは、全てインスタントカメラで撮影していたのですが、てっきりフラッシュが焚けていると思っていたところ、全く焚けていなかったのです。この日は雨天で空も暗く、それも影響しました。610系の時も前半は悪天候で、2回続けて雨見舞われのイベントとなりました。通常のカメラ(当時はアナログ)を敢えて使わず、インスタントカメラを使っていたのは、何かで複数のインスタントカメラをもらっており、折角だから使わないと勿体ないと思ったからだと思います。それにしても真逆このような顛末になるとは思わずに、貴重な車内の写真を次々収め、いざ現像されたものを見た時のショックといったらありませんでした。永久未公開を長らく考えていましたが、パソコンの画像加工技術の進歩で、何とかここまでは補正出来るに至りましたので、公開に踏み切りました。画面上部には『1081』と書かれた円形の表示が掲げられていますが、これは各車内(6両編成)に、当車の番号が書かれた案内板が掲示されていました。


次の写真へ
こちらは日生中央で撮影した、1000系の扉部分です。外観(特に正面)が原型と大きく変わってしまったのに対し、車内は全くの原型のままなので、1000系の最大の魅力は何と言っても車内でした。チークの木目模様、そして引き残しがある状態で開いている片開き扉。重厚感と温かみのある車内の雰囲気は、古き良き時代を今に伝える、貴重な物でした。阪急時代の1010・1100も、本線時代から引退間際まで何度乗ったか分かりませんが、89年3月以降は、この車内の雰囲気はここだけで味わえていました。1000系の最も好きな部分を収めたこの1枚も、ご覧の暗い写りで残念です。
現在、引き残しがある状態の片開き扉は、南海電鉄6000系が、大手私鉄の通勤電車では唯一となっており、再三、扉を撮影(デジカメで)したことは言うまでもありません。


次の写真へ
懐かしい、二昔前の製造プレートとチークの木目模様も、限界まで明るく補正した分、多少粗さも目立つ写りとなりました。写真の車内(手前部分)は1031ですが、阪急時代は1100系1110で、昭和33年製です。当年43歳でしたが、能勢電初登場時の5100系よりも若いです。1500系の後に登場した1000系でしたが、プチオールドルーキーだった訳ですね。この『ナニワ工機』のプレートは、現在、どこかで見られるのでしょうか・・・・・?


次の写真へ
最後は車内全景です。6両編成でしたが、全車両ともご覧のような混雑具合でした。この1枚は走行中に撮影し、従ってフラッシュを焚かなくても明るめに写ったので、失敗作の車内写真の中で唯一、補正が少なくて(つまり、ほとんど粗くならずに)済む1枚となりました。一応、化粧板や扉、それに窓配置は見ることが出来るので、この1枚が残っただけでも良かったと思っています。
この翌日から、能勢電鉄は1500系、1700系、3100系の3車種となり、両開き扉の2000系以降シリーズに統一されました。子どもの頃から阪急の本線、支線、能勢電に亘って、28年間贔屓にしてきた片開き扉シリーズは、これをもって完全に姿を消しました。一つの大きな時代の節目だと感じましたが、素直に普通のカメラで撮影しておくべきだったかな?と、後から何度も思いました。このページを公開した2016年は、引退からちょうど15周年に当たります。そしてその年、能勢電近代化の祖となった1500系が全車引退し、阪急でもそれまでに、運行表示板車両や2000番台車両が全車引退していて、今や阪急2000系や『オートカー』シリーズの原型顔は、能勢電1700系のみとなりました。


ページの最初へ





近場で外出、イベント等の思い出へ 旅行記・乗り歩きの部屋へ