我が心のバレンタイン:青春 八重桜物語
恩返し≠ノ一番逢いたかった日々

 『うつ病=ペットロス後遺症』になって以降の私は、数日置きにメンタルクリニックに通い、医師にいろいろ心の内を聞いてもらったりしていた。ひとしきり溜まっていた思いを話すと、多少は精神的に楽になった様に感じ、抗うつ剤も引き続き服用していたので、これ以上はひどくならずに済んだ。
 この抗うつ剤、ちょうど10年前、21歳の時にも、失恋(片想い)のショックから立ち直れず、挙句体調を崩して駆け込んだ病院で、処方されたという事があった。その時の抗うつ剤は、これまたエゲツない効き目で、飲んだらパーッと気分が爽快になり、胸の当たりがカッカと熱くなって燃える様な感触を覚え、俄然ハイテンションになった。いわゆる躁うつ病の躁の状態に近いと思われ、自分でも何でここまで楽しい気分になるのか、サッパリ分からなかった。服用期間は35日だったのだが、後から振り返った時、『効き過ぎて怖い』という思いが真っ先に出てきて、「もう二度とこの手の薬は飲まない」と、心に決めたのである。ところが今回また飲む事になった。それでも、前の時みたいな強烈な効き方ではないので、その分安心して飲めていた。


 毎日を、苦しさと闘いながら生きていた私であるが、この時期は本当に、“一番逢いたかった”。恩返し≠アと七絵にである。
 今から振り返っても、この時ほど七絵の力を必要としていた時期は、ほかに無かった。あの屈託の無い、ストレートで、いかにも腹の底から楽しめそうな明るいキャラクターを、何よりも必要としていたのである。
 「どこかで偶然会わないものかな?」と、来る日も来る日も待ち焦がれていた。七絵に逢えれば、心に力が沸いてきて元気になれるし、うつ病など、一気に吹っ飛ぶだろうと思った。トロを失った喪失感そのものはもちろん解消されないが、何てったって恩返し≠ナある。こういう時こそ、逢えば即ち水を得た魚となるのは、先ず間違い無かった。


 しかし・・・・・、さすがにそこまでの“導きの神様”は、いなかった様である。ちょうどこの頃、職場のボーリング大会が行われ、私を誘ってくれた同僚が、「みんな来るから楽しいぞぉ。」と言ってきた。私は、「“みんな”の中に、もしかしたら七絵も含まれているのか?」と、どうしても期待してしまったのであるが、結果は叶わず。七絵との再会を果たすには、4月のお花見まで待たなくてはならなかった。


 後3ヶ月・・・・・、「そんなの直ぐじゃないか。」と普通なら考えるところである。しかし、この時の私にとって3ヶ月というのは、いい加減卒倒しそうになるぐらいの、『長い永い』3ヶ月だったのだ。言い方を換えれば、『時(とき)進まぬ様な3ヶ月』だったのである。しかもそれだけでは無い。逢えるまでの間隔が空く事によって、もう一つ、不安材料が出てきていた。それは、
 「七絵が次に私と会った時、果たして私の事を覚えているだろうか?」という事だ。
 クリスマス以来、4ヶ月のブランクがあっての再会。しかしこの4ヶ月という時間は、30を過ぎた大人にとっては短くても、10代前半の子どもにとってはそれなりに長いものであり、その間に子どもはどんどん成長・変化をしていく。従って、再会した時点では、もう七絵の中から私の印象が消えてしまっている可能性も、否定は出来なかったのである。


 『逢いたい』『忘れられているかも』。そんな思いを押し殺して、ただ待つ≠ニいう日々を送っていた私にとって、一番の気分転換となったのは、当の七絵の母親である同僚と絡む事であった。
 私はその同僚の事を、『オカン』と呼ぶ様になっていた。もちろん、元々は普通に名字で読んでいたのだが、あのクリスマス以降、私の中で、『七絵のオカン』というイメージだけが膨らむ様になり、『○○さん』と名字で呼ぶ事に、違和感を覚える様になってしまったのだ。その結果、『オカン』としか呼べなくなったのであるが、これは言うならば、七絵に対する想いへの反映であった。『オカン』という呼び方の中に、七絵への感謝の気持ちが、いっぱい詰まっているのである。


 私は、七絵に出会った事が切っ掛けとなって、オカンとも仲良くなっていったのであるが、キャラクターといい雰囲気といい、七絵によく似ていた。つまり、それだけ親しみやすかったわけだ。
 最初に新人職員として挨拶してきた時とは、完全に印象が変わっており、私の中で、最も“絡みたくなる系”のタイプとなっていた。そしてよくよく見れば、顔も七絵に似ている。いや、七絵が母親似と言う方が正しいのだろうが、とにかくオカンと絡む事で、実際に七絵と会っている時に近い気分を味わえたのは、事実である。この時、私の中では、オカンと絡む回数が増える事で、例えばオカンが家で七絵と喋る時に、私が話に登場するなんて事が、たまにでもあるかも知れない、という期待感も存在していた。


 もう一人、この当時の私にとって、ある意味オカン以上に大きな存在だった人がいた。それは、やはり職場の同僚だった、『K子姉さん』である。
 以前からオカンとも私とも仲が良かったK子姉さんは、クリスマスパーティーで私が七絵に絡まれていた時に、一番嬉しそうにそれを眺めていた。そして、そのあと好んで、私に七絵の事をネタにしてきたのである。
 先ずもって、クリスマスパーティーのすぐ翌日に、朝一でこう言ってきた。
 「根箭(ねや)さん(←私の名字)、昨日は七絵ちゃんと、楽しいひと時を過ごしたよね〜♪」
 私は即座に、「あのなぁ、わたしゃアイツのお陰で散々な目に遭ったんじゃ。止めてくれ!」と言い返したが、内心では喜んでいた。そして、最も忘れられない思い出というのがあって、それは1月中旬、まさに七絵に一番逢いたかった時期の出来事なのだが、突然、あるネタを振ってきたのである。
 仕事中、私の机のとこにやってきたK子姉さんは、ニヤニヤしながらこう言ってきた。


 「今ねぇ、みんなでクリスマスパーティーの時に来てた子どもたちの話で盛り上がっててん。そんでな、W子ちゃんっていたやろ?あの子は△□さん(←職員の名前)の事が好きやねん。で、○□さんとこの子は、◇△さんの事が好きやねんて。で、じゃあ七絵ちゃんは?っていう話になったんやけど、七絵ちゃんは根箭(ねや)さんやな〜、と・・・・・(笑)。」


 私はその場で、派手に『ガクッ』とヘコむリアクションをして、「もう辞めさせてもらうわ。」と、漫才の締めみたいな台詞を言ったのであるが、これを聞いて内心どれだけ嬉しかった事か、いや、それよりもどれだけホッとして、救われた気持ちになった事か、分からなかった。
 先ほども書いた様に、この頃はまさに、『自分が七絵に忘れられたらどうしよう』と、気が気ではなかった時である。そんな時に、まるで自分の心を読み取っていたとばかりに、不安を一気に打ち消す一言を聞けたのは、当に神がかり的としか言い様が無かった。何というピンポイントなのだ!この一件があった事で、K子姉さんは私にとって、『別格』という存在になった。


 もう一つ、K子姉さんから振られたネタで、思い出深いものがある。
 それは、今書いた話とほぼ同時期に、K子姉さんが私を見ていきなり、「あのぉ、私の名前、○○七絵っていいます。よろしくお願いします。」と、ふざけて言ってきた事である。
 私は即座に、「あのねぇ。俺はその名前のやつにボコボコにされてトラウマになっとるんやから、そんな名前を言うのは止めなさい。」と言った後、半分声を裏返しながら、
 「あんたの下の名前は七絵じゃない!K子!!」と叫んだ。言われた本人は大ウケしていたが、これが“K子”姉さんと呼ぶ様になった由来である。因みに“姉さん”というのは、本人がすごく若々しいし、ある日私の横で別の男性職員に、「お姉さんって呼ばないと怒るわヨ。」と冗談で言っていたのをたまたま覚えていたので、そう呼ぶ事にしたのだ。




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