我が心のバレンタイン:青春 八重桜物語
軽度うつ病になる

 2005(平成17)年の年明けを迎えた。
 年頭、一首の歌を詠んだ。『愛犬も 旅立ち後(のち)の 新年や 寂しき一年 今幕開けん』


 この年は、寂しさとの闘いの1年になる事は必至だった。トロが去って約2週間が過ぎ、トロの家の中に残っていた“匂い”も、かすかなものになっていた。同じ様にトロの死を悼み、寂しがっている飼い主とは、出来るだけ以前と変わらぬ頻度でコンタクトを取る様にし、あの『恩返しの報』をキャッチしたお墓にも、もちろん欠かさずお参りをした。
 「朝パッとカーテンを開けたら、目の前の庭にトロがいてくれてるって、本当にいいもんだね。」
 と飼い主は話していたが、やはり長年一緒に過ごした場所で眠ってくれているというのは、大きな慰めになる。お墓を見る度に、トロに支えられていた部分の大きさを再認識し、今一度、愛惜の情が沸いてくるのだった。


 さて、1月4日から、新年の仕事がスタートしたのだが、その直後ぐらいから、私はある種の異変≠感じる様になった。何か心が濃いモヤで覆われていく感じで、極端にふさぎ込んでしまう。そして、無気力の様な状態に陥るのだった。
 仕事をしている時には、寧ろ元気に過ごせているのだが、夕方、ボチボチみんなが帰る頃になると、異変≠ェ強烈に襲ってくるのだ。
 自分でも何なのかよく分からなかったが、何日か様子を見ても、一向に改善される兆しが無い。親や親戚(トロの飼い主)に話すと、
 「うつ病の予兆じゃないのか?」と言われた。
 なるほど。思い当たる節はハッキリし過ぎるほどある。何しろ、『ペットロス』なのだから・・・・・。
 この頃、実際には月に2〜3度会う犬が、私の周りに一匹いた。当時職場にいた、全盲の職員が使用している盲導犬で、名をイングリットといった。やはり犬なので、犬好きの私を見ると、イングリットも喜んで寄ってきたりしたのだが、盲導犬は飽くまでも『仕事』として来ているので、待機中の時でも、あまり構う分けにはいかなかった。

盲導犬イングリット。のちに定期的に散歩に
行く機会があり、その時は家に帰った後、普通
のペットの様に接して、存分に遊んだものだ。

 「うつ病の予兆」と言われて数日後、私は母の勧めで、家から程近い場所にあるメンタルクリニックを訪ねた。初めての事だった。
 そこで医者から下された診断は、『軽度うつ病』。しかしこのまま放っておくと、やがて重度化する恐れがあるという事で、親や親戚の予想は、ズバリ正解だった事になる。
 軽度ではあるが、『うつ病』・・・・・。私が初めて、うつ病と診断された瞬間だった。元々うつっ気はあると言われていたし、肉親の中にも、うつ病を持つ人が何人かいたので、私も何かの引き金があれば、何時うつ病になってもおかしくない人間ではあった。そして今回は何と言ってもペットロス、それも30の坂を過ぎて、人生の半分以上を共に過ごした犬を失うという、ペットロスである。うつ病になるのは、当然の結果だと思えた。


 それでも軽度だからまだ良かった。昼間は一応仕事も出来たし、それは確かに、元気な時よりはしんどかったが、抗うつ剤も処方され、それを言われた通りに服用する事で、心なしか改善された様な気がした。一番しんどかったのは、やはり夕方以降と朝の起き掛けである。中でも夕方、誰もいなくなった事務所の鍵を閉めて家に帰る時は、言いようの無い心細さに襲われたものだった。だが、うつ病も重くなると、人と会う事自体が億劫になるというから、心細さ=人恋しさを覚えていた私というのは、まだまだ本当に軽い方なのだろうな、と思った。


 「もうトロは生き返ってはこないのだし、愛犬の居る生活が再び始まるわけでもない。自力で立ち直らなくては・・・・・。」
 こう、自分を奮い立たせていたが、こういう時、もし一瞬でも七絵と会う事があれば、それはそれは大きな力になっていた事だろう。




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