我が心のバレンタイン:青春 八重桜物語
急性アルコール中毒!! 意識が薄れてゆく中で

 仕事納め翌日の、夜の事であった。
 私は持病の喘息が悪化し、風呂に入った後も激しく咳き込んでいた。
 もともと小児喘息だった私は、幼少時代は、[夜中に発作 → 母がタクシーを呼んで病院へ急行 → 吸引機と点滴で一晩を過ごす]の繰り返しという生活を、送っていたのであるが、大人になり、体力が付くに連れて、一旦は克服されていた。しかし20代後半以降、再発する様になってきて、30を過ぎ、愛犬にも死なれたこの時というのは、身体的にも相当弱っていたのだろう。容赦なく発作に食い付かれた。


 「喘息に効く良い薬がある。ぜひ飲んでみたらいいよ。」
 母が、ある薬を薦めてくれた。何でも友達から紹介されたのだそうで、その友達の子どもも喘息がひどいが、この薬を飲めば効くのだと言う。因みにその子どもというのは、小学生である。
 私は、それは有難いという気持ちで、母がコップに注いでくれた液体状のその薬を、一気に飲もうとした。ところが一口飲んだ瞬間、
 「ん!?」と言って、飲むのを止めてしまった。もの凄いアルコールの味がしたのである。
 「母さん、これ、めちゃくちゃアルコール入ってるで!強烈な酒の味や。」と言ったのだが、その時は母は、「これは小学生の子どもも飲めたらしいし、大丈夫。普通の薬よ。」と返してきたので、結局私はかなりのハイペースで、全部飲み干したのだった。それから床に就いたのであるが・・・・・。


 10〜15分ぐらい経った頃だろうか。心臓の鼓動が異常に速くなってきて、体中カッカと燃える様になってきた。そして目もどんよりしてくるのを覚え、鏡で顔を見てビックリ!白目の部分が、これまでに無いぐらいひどく充血して、赤く濁っていたのである。鼓動はますます速くなり、最早呼吸をするのも苦しいぐらいになった。さらに、体温も急激に奪われていくように感じてきて、歯もガチガチ震え始めたのだ。
 「やっぱりさっきのはアルコールだ。子どもが飲んだとかいうのは、多分別の薬だ。」


 そう確信した私は、足取りも怪しくなっていた中、階段を何とか下の階まで下り、母に身体の異変を訴えた。その際、声もかすれて出にくくなっている事に気付いた。
 私を一目見た母も、瞬時に状況を飲み込んでくれた様で、すぐに病院へ行く事になった。着替えてから、家の門へ向かう階段を下りたのだが、その時点ではもう、意識がもうろうとしていて、幸い、吐き気はまだ少ししか覚えていなかったが、壁にもたれないと立てない様になっていた。歯も、何かの早業の様な勢いでガチガチと鳴り続けている。そして母が外でタクシーを探している間、玄関口で待機していた私は、階段に座り込むと、そのまま意識を失いそうになった。あそこまで、“意識が遠のいていく”という感覚を味わったのは、生まれて初めてだった。


 「人間は、最後死ぬ時も、ちょうどこんな感じで意識が薄れていくのだろうか?」
 思わずそんな事を考えてしまった。
 実際、この時ばかりは本気で、「死ぬかも知れない」と、命が危機迫るのを感じていた。呼吸が苦しい中で、何とか必死に目をこじ開け、天井を睨み付けて覚醒状態を維持していたが、もし目をつむったら間違いなくすぐに眠るだろうし、そしたらそのまま逝って≠オまう可能性も、否定は出来なかった。


 「まだ死にたくはないな。まだ・・・・・。」
 徐々に目の前が暗くなっていく様な心地も覚えつつ、私はそう思っていた。トロに死なれ、後を追うという意味では、あるいは今が丁度いい機会≠ネのかも知れない。だが、やはり母親が生きている内には死にたくなかったし、父親を早くに亡くしているだけに、最後は自分がしっかり母親を見送らねば、という気持ちが強かった。それが、自分の人生最後の、“仕事”になると思って生きてきたし、ひとりっ子であるぶん尚更、親が寂しがらないための存在になる事が、使命だと心得ていたのである。


 もう一つ、私が是が非でも生き続けたいと思う動機があった。
 それは、【もう一度、七絵の顔を見たい】である。
 [クリスマスパーティー → トロの死 → イブの夜のお墓での体験 → 夢に出る]・・・・・、この一連の出来事を通じて、七絵は今や自分にとって、『誰よりも再会したい存在』になっていたのだ。前夜、夢に登場してきたのが、『もうこれからは永久に、夢の世界≠ナしか会えなくなる』という予告だったとは、考えたくなかった。
 たった一日の出会いなれど、別れる時は滲み出る様な名残惜しさを感じたという、あの七絵と、ぜひもう一度、なまで再会したかった。七絵に会うと、何となくいい事が起こりそうな気がしていたし、今一度、七絵と触れ合った楽しさを再現して、もっと自分の事も覚えてもらいたいのである。クリスマスパーティー1回だけでは、あまりにも勿体無い。


 それにしても・・・・・、母はなかなか戻ってこなかった。忘年会シーズンだし、きっとタクシーがつかまらないのだろう。玄関口は寒い。身体はどんどん冷えていき、相変わらずの脱力状態。これ以上待つと、いよいよ意識が遠のいていきそうだった。
 『救急車』・・・・・。もういざとなったらこれしか無いと思った。既に声は完全に嗄(か)れて出なくなっていたが、ハッキリと口を動かせば、口パクでも通じる。もし母が「タクシーが来ない」と言ってきたら、あらん限りの力を込めて、「救急車!」と口で形作ろう。
 ・・・・・と思っていたら、ようやく母が戻ってきた。そして“運命の(?!)”第一声は、「やっとタクシーつかまえた!」だった。


 依然、心臓もバクバクしている中、タクシーに乗った私は、車内で嘔吐しないかどうかだけが心配だったが、努めて深呼吸をし、何とか吐き気だけはひどくならなくて済んだ。そして漸く病院に着き、ロビーで順番待ちをしている時に、吐き気が強くなってきた。すぐに横になり、目をつむって再び深呼吸をする事で、また少し楽になったかな?と思ったその直後、診察室から私の名前が呼ばれた。


 母は、私が飲んだ薬を持ってきていた。診察が始まるとすぐに、それを医者に見せたのであるが、医者は一目見るなり開口一番、
 「あなたこれ、完全なアルコールでっせ。しかも・・・・・、何!アルコール度30%!! 息子さん、間違いなく急性アルコール中毒ですわ。」
 あーっ!やっぱりそうかぁ、と私は納得したが、それにしてもアルコール度30%!!?? そんな“危険物”を飲んで、よくぞここまで持ちこたえたものだ。


 この後直ちに点滴で真水を注入し、体内のアルコール濃度を薄める処置が取られた。点滴はかなりハイペースで注入されていったが、だんだん効果が現れると、吐き気も引き、心臓の鼓動も平常に戻っていった。身体の震えも止まり、漸く峠を越したのである。
 「あ〜あ、よかったぁ。」いまだうつろな目付きながらも、心底ホッとしていると、不意に心の中に、七絵の姿が浮かんできた。
 「七絵・・・・・。これでまた、会える可能性が出てきたなぁ。命が助かった事で、俺の未来も、また増えるんだ。」
 私は半分ボ〜ッとした中で、復活した再会の可能性に思いを馳せ、ワクワクする様な、日差しが見えた心地になっていった。


 ところで、見渡せば向こうの寝台でも、急性アル中で担ぎ込まれた人が横たわっていた。その人は若い兄ちゃんで、意味不明のうわ言を呟き、付き添っていた彼女が、一生懸命兄ちゃんに、励ましの声をかけ続けていた。
 「今は忘年会のシーズンだから、こんな人は多いだろうな。だけど、よもやこの俺が、『急性アルコール中毒』なる診断を下される事になろうとは・・・・・。」
 つくづく驚いてしまった。『世界一の下戸男』を自認する私。どう考えても本来なら、一番かかるはずのない中毒である。
 ・・・・・いつの間にか、私は熟睡していた。目が覚めて母に訊くと、3時間ぐらい寝ていたという。点滴はまだ続いていたが、もう気分はほとんど平常に戻っており、眠れたことで、余計楽になっていた。その内にトイレに行きたくなった。そして一度行くと、度々トイレに行きたくなったのであるが、点滴で、体内にどんどん水を入れたのだから当然の話で、トイレで尿と一緒にアルコール成分も体外に出す事で、身体は元に戻っていくわけである。


 すっかり回復して帰宅の途についたのは、朝の7時ぐらいであった。とにもかくにもホッと一息だったが、母は私に何度も、
 「ごめんね。ごめんね。」と謝り、「もしも最悪の事態になった時には、『私も』と覚悟を決めていた。」と、曇り顔で話してきた。
 「いや、もういいよ。正直ビックリしたけど(笑)。」と、私は母に言い、その時点でもう何も気にしてはいなかった。ただ・・・・・、もし最初に異変を訴えるのが遅かったら、つまり、もっと長くガマンしていたとしたら・・・・・、私は本当に危なかったかも知れない。


 この体験を通じて、学んだ事が一つある。それは、『人はいざ生命の危機≠ノ直面すると、一番強く思っている事以外は、意識に浮かばなくなる』という事だ。何しろ、点滴が効いてきて楽になるまでは、仕事の事が全然頭に出てこなかったのだから・・・・・。アル中から復活したこの日も、実は介護の仕事があったのである。
 仕事にはもちろん、普通に行った。そして、そもそも『アルコール度30%』の薬(?)を飲む原因となった喘息の発作は、その後は落ち着いていった。




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