我が心のバレンタイン:青春 八重桜物語
『愛犬からの恩返し』と感じた時・・・・・

 クリスマスパーティーから2日後の、2004年12月21日、午前10時15分・・・・・、私にとって、青春時代の悲しみにおける『絶対の吸収盤』であり、31年の人生の半分以上を共に過ごしてきた伴侶である、愛犬トロが逝った。享年16歳1ヶ月。最後の最後まで頑張り抜いた末に、ついに迎えた旅立ち≠ナある。死因は老衰。天寿を全うしての死だった。


 飼い主から緊急の電話が入って、母と2人で駆け付けた時には、トロは既に息を引き取っていた。込み上げる悲しみ・・・・・。むせび泣きをしながら私が見つめる前で、トロの身体はしかし、まだ体温もあり、最後の“細胞活動”が行われていた。心臓は止まったものの、完全には身体(からだ)は死んでいなかったのである。しかし、やがて全ての動きが終わった。二度と、身体(からだ)のどこも、僅かにも動かなくなって、体温も冷たくなり始めた・・・・・。


 トロが逝った日は、私にとって、前後2週間で唯一の休みの日だった。ずっと仕事で忙しかったのが、ようやく丸一日休める日になったのだ。その日にトロは逝った。まるで、私とゆっくり過ごせる日が来るのを待っていたかの様に・・・・・。
 悲しみに暮れること数時間、トロの亡き骸と心ゆくまで“最後の会話”をして、これまでの私の半生≠振り返った。そして、いかに私が、トロという一匹の犬に支えられる部分が多かったかを再認識し、感謝の気持ちで一杯になった。
 「本当に、ありがとう・・・・・。」
 そのあと私は、母と2人で、家の表側にある庭に墓を掘り、トロを埋めた。離れた所で火葬されるのではなく、すぐ傍の、庭の土に帰る様にした事で、どこか安心感を持てるものはあったが、それでも埋め終わった後は、改めて大きな喪失感に襲われた。


 「トロはもういないんだ・・・・・。」


 前にも書いたとおり、トロは私の青春時代を最も知り尽くしている存在で、思春期の私をつぶさに見守ってきた。そのトロを現実に失って、どれほど大きな精神的ダメージを受けたか、何回書いても書き足りないほど、計り知れなかった。


 さて、トロの死から3日後の12月24日、
 この日、私と母は、トロの飼い主である親戚宅に集まり、みんなで鍋を囲みながら、ちょっとした『お別れ会』をやった。トロの思い出話に花を咲かせ、込み上げてくる悲しみや寂しさを、みんなで分かち合った。
 実はこの12月24日というのは、トロがこの家にやってきた記念日なのである。16年前、1988(昭和63)年のこの日、当時生後1ヶ月10日だった子犬のトロが、やってきたのだ。目がトロ〜ンとしているというのが第一印象だった事からトロと名付けたが、偶然にもクリスマスイブという日にやってきたトロを、私は【生涯最高のクリスマスプレゼント】として、受け止めたのであった。
 昨年、2003年のクリスマスイブには15周年となり、「来年もまた、この日を祝える」と思っていたのだが、惜しくも到達3日前にして、トロは力尽きてしまった。
 「もうちょっとやったのに。惜しかったね。あと3日生きてくれたら。」と、飼い主も話していた。


 さて、夜も9時を回り、私と母は帰る事にした。先に母が帰り、私はそのあと数分間、トロが最後に居た部屋で過ごしたのち、帰ったのであるが、その際、庭にあるトロの『お墓』の横でも暫したたずみ、身を突く寒さの中、今一度思い出に浸っていた。


 一首の歌を詠んだ。『手に残る 愛犬(いぬ)の匂いに 涙する 彼(か)の骸(ほね)はもう 土に帰らん』


 これまでの16年間の、自分なりに激動と言える時代が、走馬灯の様に蘇ってきた。古くは、まだ子犬だった頃のトロと、この庭で遊んでいた時の光景が目に浮かび、そのあとには成犬になり、毎日の様に散歩で走り回っていた光景が、中でも時代の流れにより、現在では見られなくなった風景が、脳裏で上映された。そして・・・・・。


 不意に、ある場面が、脳裏のスクリーンを埋め尽くした。
 ついこの間、5日前に行われたばかりの、クリスマスパーティーである。
 「そうだ。最後は何といってもあのパーティーだ。本当に、気が気ではなかったのだから。」と思いながら、脳裏でのスライドショーに身を任せていたのだが、蘇ってくる場面という場面が、七絵の登場するものばかりだったのだ。確かに、七絵と絡んでいた時間が長かった分けだが、それにしても、ひたすら七絵の顔だけが鮮やかに再現されてくる。これは一体・・・・・?


 不思議な錯覚に襲われた。
 たった今、地面にトロの顔がうっすらと現れて、その顔が微笑みかけた様に見えたのである。思わず目を凝らして地面を見つめ、その際、「え!?」と声も出てしまったのであるが、確かにトロの“笑顔”が、浮かんできた様に見えた。時間にしてほんの数秒。すぐに消えたのであるが、本当にビックリする、かつリアルな目の錯覚であった。ただ、この一瞬の不思議な現象の中で、私はある事を感じ取っていた。


 「あの七絵というのは、もしかしたら、トロが死に際、私のためによこしてくれた、【恩返し】だったのではないのか・・・・・?」


 そういえば七絵は、無邪気でオテンバという“私の一番好きなタイプの犬”を、そのまま人間に置き換えた様なところがあった。あの、初めて顔を見た時の極端なまでのヤンチャ振りも、今から思うと、子犬から成犬にかけての頃のトロと、よく似ている。
 もしかしたらトロは、死期を迎えるにあたり、私に『出会いという恩返し』を、プレゼントしてくれたのではないだろうか?
 このタイミングで七絵と出会った事が、だんだん偶然とは思えなくなってきた。


 そう・・・・・。トロはもう知っていた。自分の命が、あと幾日も持たない事を。そしてそんな時に、クリスマスパーティーと日がピッタリ重なり、私が失意のどん底で喘いでいる事も、トロはどこかで察知していたのだろう。だから私を悲しませまいと、七絵というキャラクターを授けてきたのだ。七絵こそは、トロの目から見て、私に最も合っている組み合わせだったに違いない。あの日、ほかにも何人もの人と絡んだが、七絵のインパクトの強さは、明らかに群を抜いていた。
 ・・・・・私の全然知らないところで、トロもまた、心を痛め、余命のカウントダウンが進む中、必死になって私のための計らいをしてくれた。その事が、この時初めて分かったのだ。
 気が付くと、足元のお墓は、目が霞んで見えなくなっていた。目頭に熱いものが込み上げてきたのである。


 「そうか。あれほど度肝を抜かされた七絵のアタックは、実はトロからの、せめてもの恩返しだったんだ・・・・・。」
 最後の最後までトロに心配をかけ、世話になった事に対して、申し訳ない気持ちと同時に、より一層、深い感謝の気持ちで一杯になった。何とも気の利いた恩返しではないか!
 トロ・・・・・、本当にありがとう!そして今回だけでなく、今までも。16年間、本当にありがとう!
 今、心から叫びたい。そんな心地であった。


 これが切っ掛けとなって、永く私の心に残る事となった、七絵との思い出であるが、その中でも涙を流したというのは、後にも先にも、この時一度きりであった。
 【犬の恩返しというのは確かに存在する】、改めて感じ入った瞬間だった。
 恩返し・・・・・。これより3日前、トロが死んだ時点では、休日出勤の多い私が、久しぶりに一日休みになった日を死期に選んだ事が、私に対する最大の恩返しだと感じていた。もし違う日に死んでいたならば、私がお墓を一緒に掘るという事は出来ず、従って、長年住み慣れた家の庭に、無事亡き骸が埋められていたかどうかも、分からないからである。
 飼い主もその事については、
 「この子はほんとに運のええ子や。太郎(私の本名)が休みの日に死んだんやから。」
 と繰り返し話していたが、私は運がいいというより、トロの『計らい』ではなかったのか?と受け止めていた。


 「よくぞ絶妙のタイミングで逝ってくれた。」と感心さえしたし、これに勝る恩返しは無いと思っていた。でも・・・・・、もう一つあったんだね。


これがトロのお墓。私が初めて、七絵がトロ
からの恩返しだと感じた場所である。
トロ去りしのちは、生前、いつも好んで食べて
いたエサが残った。悲しさが一層引き立つ時。
トロは初めて来た時、まさにこの場所で眠って
いた。もうここに犬が座る事は無い・・・・・。




前のページに戻る 仕事納めの日の夜、不思議な夢を見たに進む



思い出を遺す エッセイの部屋へ               我が心のバレンタイン もくじへ