我が心のバレンタイン:青春 八重桜物語
年の瀬に、何と10日で2度の“急転再会”

 2008年6月、特に何事もなく日々の仕事に励む中で、ある記録が“ひっそりと”更新されていた。七絵に会っていない期間の、最長記録である。
 前回、ちょうど1年ぶりの再会という、自己最長間隔を記録したのが2007年5月。それから1年1ヶ月が経過したのだ。この間、メールでのやり取りは何回かあり、そのメールも、以前だとこちらが返信したらそれっきり再返信は来なかったのが、今年になってから、2・3度再返信も来る様になっていて、誠に嬉しい限りであった。パソコンも、私からの『伝書鳩』によってインターネットにつながったので、たまに私のホームページを覗いてくれている可能性も、無いわけではなかった。
 つくづく、携帯とパソコン、中でも特に携帯メールの普及というのは、有難いものである。
 「七絵に逢える事はもう無いだろうが、“たまのメル友”としてのつながりは保てるだろう。」という希望を持てるようになった。あとは、毎年出す年賀状でつなぐといったところだろうか。


 一人暮らしになって以来、家も近くなっていたが、以前とは違って今の私は、家の場所については、近所だろうと遠くだろうと、丸っきり関係無いと確信している。というのも、ものすごい近所であるK子姉さんでさえ、メール交換以外は音沙汰が無いし、お互い人の家に行くのは、社会人として何かとやり辛いからだ。
 ちょうど一人暮らしを始めたばかりの頃、職場の同僚が、
 「その内七絵親子が、根箭さんとこ遊びに行く事もあるやろう。私はそう思うで。」と言ってきた事があった。でも、私自身はそれを聞いて、「果たしてそうかなぁ?」という気持ちになったものである。


 「家を訪ねるなら、いっそのこと、うんと遠くの方が行きやすいな」と思う。例えば、七絵が北海道とか沖縄に引っ越して行ったとする。そしたらなかなか会えないしすごく寂しいのだが、いざ私が北海道や沖縄に旅行で行ったならば、
 「旅行がてら、会いに行きたい。こんな遠くまでは滅多に行けないから。会って何をするのかって?この土地の案内をしてよ。」と、かなりフランクに頼める。『距離が遠い』という事が、逆に会いに行って家も訪ねる格好の理由付けになるわけだ。最初から、会いに行く事を前提とした旅行プランを立てて、相手に連絡しておくのも良い。
 「久しぶりに連休が取れた。いい機会だからそっちに遊びにいくわ。」と言えば、相手も「そうやな。なかなか来れないわけやし、おいでぇな。」という事になって、不自然さ無く話が進む。
 だが、家から自転車で行ける程度の距離だったら、どうだろう?別に『なかなか行けない』わけではないからそれを理由には出来ないし、『土地の案内』といっても、お互い地元だ。物理的な距離が近いがゆえに、かえって会いに行く理由にならず、結果、遠慮するしかなくなるのである。私はこれを『近距離遠慮』、または『近所遠距離』と呼んでいる。


 私のような性格の者にとって、唯一の連絡手段といえば、やはりメールである。私は、年に何回か訪れる七絵との“メール交換タイム”が、生きていて大きな喜びの一つとなった。35歳の誕生日を迎えた時には、七絵のほうから祝福メールが送られてきて、それはそれは嬉しいサプライズであった。
 ここまで縁が続けば、もうこの先“忘れられる”という心配はしなくて済むだろうし、大人になってきてなお、七絵が私とコンタクトを取ってくれるという事が、今後を占う上での安心材料となった。
 そんな、自分なりの幸せを感じながら、しかし一方で、七絵と直接逢う事は全く無いまま、2008年も年の瀬を迎えようとしていた。昨年まで、たとえ1回でも毎年七絵に逢えていた私は、「今年は“七絵と逢わない元年”になる」と、ほぼ確信していた。


 ・・・・・と・・・・・。一通のメールが、劇的に流れを変えた。


 メールの送り主はオカンだった。そして、何とも予想だにしなかった事が書かれていたのである。
 「今から七絵とカラオケするねん。一緒に来ない?」
 「・・・・・ええっ!?」
 携帯を見る目が、一瞬固まってしまった。何といきなり、何の予告も無くカラオケに誘われたのだ。しかも七絵が一緒!!「こりゃあスゴイ」と、瞬間芸のごとく体中が興奮し始めた。


 実はこのメールは、何時間か前に私が送ったメールの返信だった。そしてその内容というのは、『オカンの家の近くに昔からある、バス停の名前が変わる』というものであった。日頃、あまりバスに乗る事は無いかも知れないオカンだが、ここしばらく連絡を取り合っていなかった事から、ほんの話題提供のつもりでメールをしたのだった。だから、そこから一転、こんなふうに話が発展していくとは、夢にも思っていない。名前が変わるバス停が、たまたまオカンの地元だったというところで、うまくネタになったのであるが、それ以外のファクターとして、私自身が昔からバスが趣味だった事が利いていた。
「俺、バスが好きで良かった・・・・・!」


 「カラオケ行くで。場所どこや?」と、私はソッコーで返信した。そしてすぐに返ってきたメールを読むなり、早速その場所へ急行したのであるが、その時点で私がいた場所から行くには交通が不便なため、乗り換えなど、余程接続がうまくいかない限り、本来は時間がかかるはずであった。ところが、『余程接続がうまくいった』のである。先ず、30分に1本しか来ないバスが、私がバス停の方を向いた途端、現れた。「おぉ!」と思って飛び乗ると、次のバスへの接続も、これまたジャストタイミングだったのだ。さらにこの次のバス≠ニいうのは、遠回りコースと近回りコースがあって、普段は遠回りコースと相性が合っていたのだが、この日に限っては近回りコースが来ていたのである。
 好条件が連続した結果、目的地には思いのほか早く着いた。途中、もう一度場所の確認のためメールを送った時は、七絵から返事が来た。さらにもう一つラッキーな事には、カラオケの建物に入るとすぐ、オカンと鉢合わせになったのだ。ちょうど飲み物を入れに来ていたのだが、個室は受け付けのすぐ横だという。もう少しで通り過ぎてしまうところであった。そして私は個室に入り・・・・・、


 「おーっ、久しぶりぃ!!」待望の、七絵との再会を果たしたのだった。時に12月7日。今年も残り僅か24日となったところでの、“急転再会”と相成ったのである。日付がちょうどラッキーセブンの7日だったというのも、縁起のいい偶然であった。
 「しかしホントにすごいよなぁ・・・・・」と、私は一人感心していた。こんな事があるなんて・・・・・。つい先ほどまでいた世界と、全く別の世界にいる様な気がした。
 昔から、一度でいいから七絵とカラオケに行ってみたいと思っていたのだ。
 あの、最初の再会≠セった、2005年のお花見の時・・・・・。帰り道、携帯を落とした事に気付いていたにもかかわらず、七絵とモノレールで一緒になりたいがために敢えて引き返さず、そのままモノレールに乗った私は、七絵が降りる駅に着いた時、こう話していたのだ。
 「今からカラオケ行くねん。」
 そう。実はあの後、私は同僚数名とカラオケに行っていたのだ。公園を出たところで同僚に誘われたのであるが、実際には携帯を探すために一度引き返したので、その分遅れて参加していた。そして、カラオケに行くと聞いた七絵は、
 「いいなぁ。ウチも行きたいな〜。」と言いながらモノレールを降りて行き、その一言を聞いて私は、「七絵はカラオケが好きなんだ」と分かったのである。その時以来ずっと持ち続けていた、「七絵とカラオケに行く」という夢。3年8ヶ月ぶりに実現した。


 七絵との再会自体、1年7ヶ月ぶりという久しぶりのものだった。そしてかねがねイメージしていた通り、雰囲気はだいぶ変わっていた。化粧をし、アイブロウもしている。もうかつての幼い印象、童顔の面影は無く、18歳の高校生の顔になっていた。前回会った時は講座の受講中だったので、スッピンだった七絵。化粧をした姿を見るのは、初めてであった。改めて時代の流れを感じ、しばし『浦島太郎』になった。
 座っている状態だったが、背もかなり伸びた事が、見てすぐに分かった。恐らく、もう私の身長を抜いているだろう。


 さて、嬉しさでドキドキの『カラオケタイム』がスタートしたが、七絵の声量というのが、これまた超ド級であった。ケタ外れという以外に表現のしようがなく、それは勿論、しゃべっている時の声の勢いから想像はついていたが、あそこまで“スーパーボリューム”であるとは、さすがに思っていなかったのだ(嘆)。七絵が歌っている時は、個室の前に次々と人が見に来ていた程で、よほど群を抜いていた。
 「お前、メチャメチャ目立っとるぞ。取りあえず、マイク使ったら反則!」と、私は冷やかし半分に言ったが、言葉通り、半分は本気だったと思う。そして、こうも言ってやった。
 「よく駅前の広場とかで、若い子が夕方から夜にかけて歌ってるやろ?あれで歌ったらええねん。ごっつ集客率高いで!ただしマイクを使ったら、3km離れた住人からも苦情が来るけど(笑)。」
 歌自体はすごく上手かった。音程もいいし、なかなか美声でもある。後はただ、もう少し声を落として・・・・・。とにかく、マイクなしでもまだデカいと言いたくなる程の声量なのだから。


 一方の私である。歌は決して下手な方ではないのだが、七絵があまりにもスゴ過ぎるので、何を歌っても目立たない感じになった。あの、ミスチルの『しるし』も歌ったのであるが、地味に流されてしまった感じだ。それでも、七絵の前であの歌を歌えて幸せだったが、オカンからは、私が何を歌っても文句を言われたのだ。「暗い!アンタ暗い歌ばっかりや!もっと明るい歌を歌いなさい。」
 ・・・・・、そやけど俺、明るい歌はあまり歌えないもんなぁ〜(汗)。
 オカンも七絵も、歌う歌はキャピキャピの元気系や激しい系ばかりで、完全に“イケイケモード”であった。「オカンも大概若いよなあ」と私は感心した。この親子は、親子というよりは友達か姉妹みたいで、とにかく仲がいい。


 1時間余り歌ったところで、奇跡のカラオケタイムは終了した。そしてお互いに立ってみると、身長は「まだ辛うじて俺の方が高いか。でもほとんど同じぐらいだな。」という状態だった。
 帰りは家が同じ方角だったので、車で来ていたオカンに送ってもらったのであるが、オカンの車に乗ったのは、あの『伝書鳩』のパソコンを渡した時以来、1年半ぶり2度目。そして、七絵と一緒の車に乗ったとなると、これは実に、最初の出会いだった2004年のクリスマスパーティーの帰り以来、4年ぶり2度目という事になるのだった。
 「あぁそうか〜。あの時以来か。これはこれは・・・・・。何とも懐かしいというか、この状況を再び味わえるとは。だけどもう4年も経ったんやなぁ・・・・・。」


 思い返すと、次々に七絵とのいろんな場面が蘇ってきたが、その中で、実はこれまでにもう一度、七絵と同じ車に乗れるチャンスがあった事を思い出した。あの、『思い出したくないナンバー・ワン』、2005年のクリスマスパーティーの時である。あの日、片付けが終わって事務所に戻る段で、オカンから、「私の運転する車に乗ってくか?」と声を掛けられていたのだ。ただ、この時は事前に、帰りは別のスタッフの車に同乗すると決まっていた。だから、「あーっ!乗りたいなぁ。去年に続いて、七絵と一緒に帰りたいなぁ。」と思いながらも、結局は元々決まっていた通りに行動し、オカンからの誘いは断ったのであった。ただでさえ名残惜しさに堪えられなかったというのに、本当に惜しい事をしたと思っていたものだ。今となっては懐かしい。
 4年前と今回とで、車の中での3人の様子はさほど変わらなかったが、一つ違ったのは、私と七絵との会話が、大分増えたという事である。
 別れ際、私は2人にこう言った。
 「じゃあオカンは9日後に。七絵は・・・・・、いつか会う日に。」


 『オカンは9日後に』とはどういう意味かというと、実は他の仕事仲間数人とともに、忘年会をする事になっていたのだ。そして場所は十三にある、『ちゃんこ鍋酒兵衛茶屋』という、ちゃんこ屋であった。


 『ちゃんこ鍋酒兵衛茶屋』は、阪急十三駅から北へ進み、神戸方面行きの駅を出た直後の踏切を渡って少し歩くと、左側、国道176号線の高架下に在る。野菜も多いヘルシーなちゃんこで、すこぶる具沢山。めちゃめちゃ旨くて中でもつくねは絶品。最後のラーメンが特に旨い。すっかりお気に入りの店である。
 このちゃんこ屋をやっているのは、私の仕事仲間で、ちょうど2年位前から度々通い、常連客となっていた。私にこの店を紹介してくれたのも、同じく仕事仲間で仲の良い友達夫婦であり、最初はその友達夫婦と私の、3人だけで通っていた。それが、食事中の会話にオカンが登場する割合が非常に高い事から、私はいつしか、オカンを“ちゃんこ屋メンバー”に加える気満々になっていて、その後、実現したのだった。オカンが私の職場を退職した折には、このちゃんこ屋で送別会も行い、みんなで買った餞別(せんべつ)プレゼントを、私が代表で手渡して、一言あいさつもした。


 「このちゃんこ屋に、七絵が一緒に来る時はあるのだろうか?」
 私は、オカンの口から七絵の話が出てくるたびに、一人そう思っていたのだが、本気で期待するのは怖いので止めておいた。しかしこの前カラオケに行った後、私はダメ元で、七絵をちゃんこ屋に誘うメールを送ってみたのである。自分から誘うのは、かつてのホワイトデーを別とすれば初めての事だったが、恐らく来ないと予想していた。しかし・・・・・、来たのだ!12月16日、忘年会に七絵がやってきた。さすがにそこまでは叶うまいと思っていた、ちゃんこ屋で七絵に会うという夢が、何と実現した。


 七絵はさすがに育ち盛りだけあって、美味しそうにたくさん食べていた。気に入ってくれて何よりだったが、それにしても、あれだけ食べて何故あんなにやせていられるのか、不思議でならなかった。本当にスラリとして背が高く、モデルを思わせる様な容姿なのである。食後は手鏡を出して口紅を直したりしていて、改めて「もう大人だなぁ。」と思った。何よりも七絵は私に、こんな一言を言ったのだ。
 「ねやろーも頑張って彼女作りや。」
 「・・・・・、・・・・・。」一体何と答えたらいいのか?私は言葉を返せなかった。何とも形容し難い、この上なく不思議で、かつ複雑な気分になった。ちょっと味わえない瞬間である。
 「もう18歳なのだから、こういう台詞の一つや二つ飛ばしても、当たり前だよな。七絵だって、今彼氏がいるかどうかは分からないけど、いずれいい人を見付けるだろうし。当に青春真っ盛りか。俺が言うと何か変だけど、どうか青春時代を謳歌して欲しい。」私はグルグル思考を巡らせながらも思った。


 かくて12月7日と16日、僅か10日以内に2度も、七絵との再会が成ったのだった。正確には9日ぶりという、この間隔も自己最短なら、同じ月に2度会ったのも初。最長間隔の次は、一転して最短間隔の記録更新となり、“月2再会”との『二冠』を手にした。
 12月7日を迎えた時点では、間もなく七絵に逢えるという予兆は、何も感じられなかった私。
 「とうとう今年は、年間通じて七絵に逢えなかった」と、大晦日を先取りした気分に浸った直後、年の瀬になって、丸でそれまでの分を一気に取り戻すかのごとく、急転再会を果たした。


ちゃんこ鍋酒兵衛茶屋の外観。
上には国道が走っている。
店内の様子。奥の壁には、横綱・
千代の富士の優勝額が掲示されている。
そしてこちらが評判のちゃんこ鍋。
ちゃんこ屋いいとこ一度はおいで。




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