我が心のバレンタイン:青春 八重桜物語
期待に裏切られた!
〜尋常ではないテンションで過ごした末に〜

 5月から6月にかけては、“写メ事件”に“パソコン伝書鳩物語”と、思いがけない事が立て続けに起こり、大変いい時期であった。そして7月になると三たび誕生日が訪れ、さすがに今度は七絵のプレゼントを買う切っ掛けは来なかったが、私自身がオカンから誕生日プレゼントをもらった。夏服2着にビーチサンダルと、計3点もいただいて、今でも『縁起物』として重宝している。
 「何か、えらいたくさんもらって、すみませんねぇ。」と真面目に言ったら、
 「いえいえ。パソコンのお礼よ。まさかホンマにもらえるなんて思ってなかったんよ。あんな高価な物を・・・・・。」と返してきた。
 「あ〜そんな、いいんですよ。・・・・・そうか、そういう事でしたか。」と、この時ばかりは最後まで真面目だったが、パソコンはそれこそ、こっちの方が、「受け取ってくれて有難う!」と言いたいぐらいなのである。もちろん、そんな私の“真意”はオカンには知る由も無いが、それに対してお礼をくれたとなると、何だか『恩返しに対する恩返し』みたいに思えてくる。
 『恩返しに対する恩返し』・・・・・そう、あの1年前のバレンタインが、完璧、これに当てはまる。


 さて、思いがけず誕生日プレゼントをもらった私であるが、もう一つ、もっとすごい“プレゼント”がこの夏にやってくる事を、私は密かに期待していた。それは、『七絵が私の職場に、ヘルパー養成講座の実習生としてやって来る』というものであった。実は、5月に講座を受けている七絵に会ってから数日後に、私のいる事務所が、その講座のプログラムである『施設実習』の、受け入れ先となる事が決まったのである。これにより、各受講生が実習生として、何人かずつで事務所に来る事になり、事業内容を聞いたり、福祉機器を扱ってみたり、私の担当である点字名刺を体験してみるというメニューが組まれた。実習時間は6時間で、昼食も一緒に食べるという事である。
 この実習生の中に、当然七絵も含まれているわけである。そして講座の主催者によれば、「実習の受け入れ期間は本来は6月の1ヶ月間だが、1人高校生がおり、その人は学校の都合で夏休みに入ってから来る。」という事で、その高校生こそが七絵だった。という事は、七絵が一人、最後の実習生として来る事になるのだ。全部で20名近く実習生がいて、そのトリを飾るのが七絵となるのである。これはまた出来過ぎた巡り合わせではないか!
 このあと、私はオカンにパソコンを渡す事になるのだが、その際、オカンからも同じ情報を得ていた。


 夏休みに入ってからというのは、ちょうど7月下旬から8月上旬ぐらいに当たるから、誕生日の少し後という事にもなり、ひと言「おめでとう」と言う事も出来るかも知れない。面と向かって祝福した事は、まだ一度も無かったから・・・・・。
 メールでは、今年はお互いに誕生日を祝福している。そう!今年は初めて七絵からも、「おめでとう」と言ってきたのだ。もちろん嬉しかったが、それより何より当人自身が、後1ヶ月以内に私の職場へやってくる!あの【バレンタイン直後の時】以来、1年半ぶりに・・・・・。


 それからの私は大変だった。
 連日、テンションが上がり過ぎて落ち着かない。来る日も来る日も、気分がフワ付いていた。妙にソワソワしたり、かと思えば急に『活!』と気合いが入ったり・・・・・。一日のテンションが著しく不安定で、精神的に尋常ではなかった。
 ある時は突然、自分の持ち場をきれいに片付けたりもした。日に日に上気してくるその一方で、「しっかり仕事に集中して、バリバリこなさなくては!」という思いにも反動的に駆られ、若い後輩にビシビシ言ったり、「俺が手本になって、先輩としての自覚を持つんだ!」と、自分にハッパをかけたりもした。とにかく、大変なテンションの乱高下ぶり≠セった。


 ことに、一番最初の実習生が来た時は物凄かった。その実習生は、七絵と一番仲良さそうにしていた人なのだ。年齢も、最年少だった七絵に一番近いと思われ、何と言っても、5月に私が下の階の事務所に来た時に、七絵と絡んだ事をよく覚えていたのである。
 昼食の時、その実習生が、「何か七絵ちゃんとすごく盛り上がっていましたよね?」と、やけに嬉しそうに言ってきたものだから、私は、
 「やかましい!」と、速攻でツッコんだのであるが、内心では、もう沸騰せんばかりにテンションが上がっていた。
 「こんなんで俺、本当に大丈夫なのか?」と思わず自問したほどである。そして、その翌日以降にやって来た何人かの実習生も、私の事を、
 『七絵ちゃんと絡んでいた人、写メを撮られていた人』として覚えていた。或る人などは、
 「七絵ちゃんとはどういう関係なんですか?」と、普通の顔でまともに訊いてきたりしたのだが、これにはさすがに、嬉しいよりも寧ろ、面食らってしまった。だって『どういう関係』って・・・・・。でも、その様に訊きたくなる何かが、傍(はた)目には見えていたのかも知れない。


 あの時、実際に七絵と絡んでいた時間というのは、ほんの数分だった。特に人から「え?」と思われる様な会話をしたわけでも無く、その場にもそんなに長い時間はいなかったのであるが、にもかかわらず、居合わせた何人もの人の間で、そこまで印象に残っていたというのは、一体何なのだろうか?


 それはさて置き、七絵に一日かけて私の仕事姿を見てもらい、職員としての℃рフ一面を記憶してもらうという事は、この上なく幸せで、かつ心に張りをもたらすものであった。
 何故なら、【職員として、社会人として】の姿で人前にいる時は、『自信を持てる面』、『しっかり分かっている面』、『能力があって出来る面』など、プラスの面が多く出るからである。せっかく6時間もの間、一番逢いたい人と職場で過ごすのだから、一番いい状態の自分を見せたいと思うのは当然だ。


 それともう一つ、既に高校2年生になっている七絵とは、この講座の全課程が修了すれば、今度こそ逢える機会が訪れなくなる可能性が強い。既にイベントには来なくなっており、今回、講座を通じて、実習生対受け入れ先という立場で結果的に再会出来るのは、本当に奇跡に近いと言えた。だから、最後の再会となろう今回は、記念の意味も込めて、私が日頃やっている仕事を、ぜひたくさん見て欲しかったのである。出来るものはどんどん体験してもらって、「根箭太郎はこういう仕事をしてるんだ。事務所に来た事は何回かあったけど、こんな事もやってたんだ。」と、何らかの印象を持ち帰って欲しかった。
 七絵が少しでも私の仕事に関心を示してきて、質問の一つでもしてくれたなら望外の喜びとなるし、もちろん、これはほかの実習生に対しても同様である。ただ、私個人の正直な感情としては、特に七絵には、私の仕事をのちのちまで記憶して欲しかったのである。あの写メールとともに・・・・・。


 七絵は来なかった。
 7月末→8月始め→8月半ば→そして8月末・・・・・、ずっと待って、毎日待っていたのであるが、七絵は来なかった。
 最後はぜひ頑張って最高の実習に仕上げ、七絵との縁があった約3年間の、集大成にしようと意気込んでいたのであるが、とうとう最後まで、七絵が来る事は無かった・・・・・。


 七絵以外の実習生は全員6月末までに来ていて、その中で、七絵も話題としては度々登場していたから、思わず『ホントに来た』という錯覚を持ちそうにもなるが、実際には七絵だけが来ていない。言い方を換えれば、今回の実習生の中で一人だけ来なかった人がいて、それが七絵なのである。
 ・・・・・ショックだった。「よりによってこんな事が現実に起こるなんて!嘘だろう?」と思うぐらい、激しくショックだった。
 この3ヶ月間、本当に尋常ではないテンションで過ごしていたのだ。それを抑えるのに、毎日苦労していた。一日や二日ならともかく、丸々ひと夏の間、気持ちの高揚を抑える日々を過ごすのは、並大抵の事ではなかったのである。


 7月半ばまでは、「あと何日で夏休みだ?」と、丸で自分が学生であるかのようにウキウキしていた。そしてその後はもう・・・・・、
 「今日か?明日か?今週には来るか?今か?今か?まだか?」
 人が知ったら、いい加減呆れて声も掛けたくなくなるぐらいに、せわしなく待ち焦がれていたのだ。


 やがて8月も半ばを過ぎた頃から、『敗戦ムード』の気持ちが強くなっていった。今度はひたすら不安を抑えきれなくなり、
 「ホントに来るのか?もしかして来ないとか?いや、そんなはず無いよな?」
 と、これまたせわしなく自問自答する日々が続いたのである。焦りは募り、恐らく知らず知らずの内に顔も引きつっていたと思うが、何とか水際でその焦りを堪え、日々の業務をこなしたのだった。


 8月末日、特に実習生来所の連絡無し。
 「もうだめだ」と思った。これにて『敗退確実』である。恐らく七絵は、どこか他の事業所か施設で、実習を受けたのだろう。
 9月になった。学校はもうどこも始まっていた。自分が期待したばっかりに裏切られた、実らない夏が終わった。




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