我が心のバレンタイン:青春 八重桜物語
Mr.Children 『しるし』 〜【独身の王道】の真意〜

 中部国際空港で買った『誕プレ』は、なかなか気に入ってもらえた様である。
 ちょうどこの頃、一人の同僚がオカンの家に遊びに行く事があった。そしてその同僚は私に会った時に、実に楽しそうな顔をして、その時の様子を話してきたのである。
 「七絵ちゃん、ぬいぐるみ持ってきて、私に見せてくれたわ〜。『これ根箭さんにもらってん』って言ってたよぉ。」
 七絵がプレゼントを持って喜んでいる光景が、脳裏に鮮やかに描かれた。
 改めて晴れやかな気分になったし、私にとって、中部国際空港=セントレアという場所は、素晴らしい『思い出の場所』となった。


 さて、季節は巡り、秋になった。今年も[冬は2月にバレンタイン、春は5月に思わぬ再会、夏は7月に誕生日プレゼント]と、それぞれの季節にハイライトがあったが、相変わらず秋だけは何も無かった。そんな中、11月のある日、有線放送から私の耳に、昔から好きな歌手の歌が流れ込んできた。Mr.Children=ミスチルである。聞いた事の無い曲だったが、私の好みにピッタリのバラードだった。きっと新曲なのだろう。
 「なかなかええ曲やな〜。タイトルは何やろう?」と思ってそのまま耳を傾けていたのだが、ある歌詞を聞いた瞬間、「!!!」 思わず表情が変わり、体が震えんばかりの興奮を覚えたのである。
 【心の声は 誰が聞くこともない それもいい その方がいい】


 ・・・・・!!!お〜お、スゴイ!!最高の歌詞であった。
 ぜひもう一度この歌を聞きたいと思い、タイトルを調べたら、『しるし』だった。『しるし』か・・・・・。
 その後、早速CDを買った私は、連日『しるし』ばかりを聞いていた。さすがミスチル、やるな!
 改めて歌詞カードを見ながらじっくり聞いていると、何だか泣けてきた。感動して、胸が熱くなったのである。歌詞全体を見てもすごくいいと思ったが、一番感動したのは何と言っても、先ほど書いた歌詞であった。では、何故それほどまでに感動したのだろうか?


 ひと言で言うと、『嬉しかった』のである。自分がすごく、『認められた』様な気がしたのだ。


 過去に私は、人から何度かこんな事を言われた。
 「心に想っているのだったら、それをちゃんと相手に、言葉で伝えないとダメだよ。」
 「特別に想うって事は、要するに好きだって事でしょ?だったらその気持ちを相手に告白しようよ。」


 ・・・・・確かにそれは正しいと思う。実際、若い頃は誰かを特別に意識したら、その人に告白したいと思っていた。だが同時に、『告白しなくてはならないものだ』とも感じていた。そして恋人同士になる事を夢見ていたし、憧れてもいたのだが、これも心の半分では、『恋人同士になる事を求めないといけない』という、何やら義務感に近い感覚を持っていたのである。
 『夢に見て憧れているのに、同時に義務感にも駆られる』
 この相反する気持ちの同居は、一体どこから来ていたのだろうか?


 私はこの“同居”は、恋人同士になった場合に生じる、【自分の持っている器(うつわ=キャパシティー)】と、現実が求める【スタンダードな恋人関係像】との間にある、ギャップから来ていたのだと思う。
 一般に恋人関係というと、最後にはどうしても男女の関係≠ニいう関門に突き当たる事になる。
 私は、自分がまともに男女の関係≠体験出来る状態になるなど、想像もつかないのである。そういう事を意識して自分を見る≠ニいう事に、思春期初期から抵抗があった。もちろん、体験した事は無いわけだから、厳密には、体験したらどうなるのか分からないが、それでも理屈抜きに想像したくないのである。そして想像したくないと言えば、この私が異性からそういう関係を求められるかも知れない、などとは、間違っても想像する気になれない。それこそが一番起こり得ない事だし、これからも男女の関係≠ニいうのは、永久に対岸の世界だ。


 夢だけを追う内は告白する気になれるが、ギャップが待ち構えるという現実を悟った時点で、告白する気はゼロになるのである。
 私が年を重ねるに連れて、人に恋愛感情をいだく事が無くなったのは、最初から『自分の現実』を悟る様になったためだ。それともう一つは、『自分にも長所がある』という事を忘れたくないから。そもそも恋愛感情に食いつかれた時点で、私の場合は全く自然体で生きられなくなるからね。やっぱり自然体に限るんだよ、人生は・・・・・。
 七絵は誰よりも思い出深い存在であるが、それ故に、『男対女』という視点で捉える気持ちには、なりかねる。そんな視点で捉えてしまうとすごく寂しくなるし、当の七絵にとっても、プラス材料が見当たらない。だから、いわゆる『付き合いたい人』という言い方は適切ではない。一番ピタッと来る言い方は、『想い出の人』または『特別な存在』・・・・・。
 う〜ん、なかなか言葉ではうまく表現出来ないのだが、『想い出の人・特別な存在』と『付き合いたい人』とでは、自分の中で明らかに違うのである。


 七絵を一生の、『想い出の人・特別な存在』とする一方、他の異性に、一から特別な感情を持ちたいという気持ちは、全く無い。ましてや『求婚行為(プロポーズ)』をするなんて事は到底考えられず、元より私は独身志向である。そして今後も、特別に心に残る人は七絵一人なわけで、その思いから私は自分を、【独身の王道】と称する様になった。七絵と出会って以降、好んで使うようになったこの言葉であるが、その想い出の七絵からバレンタインをもらって以降は、一層確固たる思いを込めて、【独身の王道】と口にしている。最も、この言葉を冗談の様に受け止める人も、いるかも知れないが・・・・・。
 そんな私の、“真意”も含めて、私の一切の“心の声は”、七絵が“聞くこともない”。でも“それもいい”、“その方がいい”・・・・・。


 そんなふうに、誰かに思われたかった。気持ちの上では“それもいい”どころではなくて、“それでこそいい”と言いたいのだが、ずっと、自分の信条を認められたかった。そんな私の願いを、ミスチルは叶えてくれた。桜井和寿が叶えてくれたのである。もちろん、これは実際には私の勝手解釈だと思う。もし桜井和寿がこのエッセイを読んだなら、「違う」と言ってくるだろう。だけど、別にそれでもいいではないか。いちリスナーとしての、自由な受け止め方という事で許してもらえば・・・・・。

『我が心の名曲』の、CDジャケット

 「今のままでいい。一人想い出を抱き続けて、相手(ひと)には届けないという人生があっても、いいじゃないか。自己チューかも知れない。自己完結型かも知れない。だけど人間、誰しもそういう部分はあるというもの。どう生きようとしたって、結局最後は『自分自身』。自分が納得出来る様に生きれば、あとは何も気にする必要はないんだ。」
 『しるし』の歌がこう語りかけ、私を認めてくれた様な気が、今もずっとしている。


 この歌と出会った事は、バレンタイン、“誕プレ”に次ぐ第3位の、この年の十大ニュースとなった。こんな、まるで自分のために書かれた様な、『目からウロコ』の歌と出会える時が、本当にあるんだ。しかもこのタイミングで・・・・・。何とも不思議な気分だった。


 Mr.Children、『しるし』
 この歌は、確か何かのドラマの主題歌だった。私はドラマにはそんなに関心を示さなかったが、歌には元気付けられた。心から有難う!




前のページに戻る 顔面蒼白のトラブル! だが、あれは神か何かの計らいだったのか・・・・・?に進む



思い出を遺す エッセイの部屋へ               我が心のバレンタイン もくじへ