我が心のバレンタイン:青春 八重桜物語
物語の全ては、クリスマスパーティー前夜の悲報から始まった

 2004(平成16)年12月18日・・・・・、
 この日、私は夕方から夜にかけて、翌日に控えていた職場のクリスマスパーティーの、会場にいた。私の職場の、年間を通じて最大のイベントであるクリスマスパーティー。その前日準備をおこなっていたのである。
 この年、私は初めて設営班の班長を務めていた。そのプレッシャーも感じる中、何とか指揮を執って、設営作業を進めたのであった。この時点で、翌日の本番に向けてのテンションは、相当高いものになっていた。というのも、参加申し込みの人数が、過去最高となっていたのだ。これまでで一番賑やかなパーティーになることは、確実であった。
 「あしたは頑張ろう!みんなで盛り上げて、最高のクリスマスパーティーにしよう。」 意気込みは相当強くなっていた。そして、気持ちがはやる中、前日準備が完了してみんなで食事に行った後、帰宅した時は午後10時を回っていた。
 運命の知らせが待っていた。


 当時、実家暮らしだった私。「ただいま〜」と玄関に入るなり、母親が『待ちかねた!』とばかりに飛んできたのである。
 「アンタ!そのまま靴をぬがんとトロのところに行き!今すぐに。あしたパーティーで、朝早くから出かけるんやろ?」ただならぬ表情だった。
 「え?トロが・・・・・?」母親の表情から事態を察し、私の顔も一瞬でこわばった。


 トロというのは、私の家のすぐ近くに住む親戚が飼っていた、愛犬の名前である。黒の柴犬で、この時16歳1ヶ月、人間でいえば95歳ぐらいに相当するという高齢であった。2年ほど前から後ろ足の踏ん張りが利かなくなり、最近ではほとんど歩けなくなるなど、衰えが進んでいた。それでもまだ食欲もあったし、当然水も飲む。それに、「散歩に行きたい」という意思は健在だったので、せめて年内一杯、年越しまでは生きるだろうと、みんな思っていた。まさかクリスマスまでにいきなり容態が急変するとは、予想していなかったのだ。それが・・・・・。
 「今日になって、急に何も食べなくなったのよ。水も飲まないみたいで、もう今晩が山みたい。あんた、あしたは帰りも遅いから会いに行けないし、今の内にお別れに行ってやり。」
 血走ったような目で話してくる母を見て、私の心臓の鼓動はバクバクと激しくなった。とりあえず、すぐさまトロのところに飛んで行き、顔を見たのだったが・・・・・。
 「うわぁ・・・・・!」一言声が漏れたきり絶句し、愕然となってしまった。昨日までのトロとは明らかに違う。顔に死相が現れかけており、僅か一日ぶりとは思えないぐらい、ゲッソリとやつれていた。何より呼吸の仕方が、全身を動かして精一杯行うというものになっていて、いかにも苦しそうだった。


 「もう今日明日が山やな・・・・・。急やったけど、前々から弱ってきていたしなぁ。」力の無い声で、飼い主が言った。
 トロの飼い主は、当時2人いたが、いずれも80歳を過ぎている高齢だった。そのため夜寝るのも早く、本来なら、10時を過ぎて起きているというのは有り得なかったのだが、仕事で帰りが遅くなる私を待ってくれていたのだ。その事が、いかに事態が深刻であるかを物語っていた。
 「ほんとにトロはもう終わりなのか?今夜でお別れ?もう二度と会えない?まさか・・・・・。」
 ただただ呆然とするばかりであった。目の前の現実を信じたくなかった。トロはもう、意識もあるのか無いのか分からない状態で、ただ、私の声がする方向に首をグ〜ッと動かしている様にも見えた。飼い主の一人は、「あんたが来てるって、分かってるよ。」と言っていたが、本当に心から、そうあって欲しかった。


 トロは、私の人生にとって特別な犬であった。何故特別かと言うと、私の青春時代を最初から最後まで全て見届け、人生で最も苦しかった青春時代の、絶対的な支えになっていたからだ。トロがいなかったら、私はこの時代の試練を乗り切る事は、出来なかった。


 青春時代・・・・・、年齢にして15歳から27歳前半ぐらいまで。この足掛け13年の期間というのは、私の人生で最も、喪失体験や挫折体験が集中した時期であった。中でも特に、恋心による喪失体験(つまり片想い)というのは、この時代特有の体験であったと同時に、その後の自分の人生に、少なからず影響を及ぼすものとなった。
 この、恋心→片想いの体験を繰り返していた時期、私の心は常に、無力感と無価値感に覆われていた。毎日切なさに始まり、切なさに終わる。どうしても恋心を掻き消す事が出来ず、しかしそれほどまでに強い思いを抱いている相手と、自分は一体どういう関係になり、具体的に何を求めているのか、分かりかねていた。ただ一つ分かっていたのは、『自分が【男として】見られる事を考えれば考えるほど、極度の自信喪失に陥り、自分を全否定せずにいられなくなる』という事である。
 ある意味、私はまともに【男として】見られる事を嫌がっていた。嫌がっていたのに、男として異性に恋心を寄せていた。このどうしようもない矛盾のサイクルに、ますます自己嫌悪はひどくなり、「もう生きるのを止めよう」と、何度か本気で思った。


 恋心以外の面でも、青春時代というのは結局、【異性】というものに対する葛藤と不安が大半を占める、悩み漬けの時代となってしまった。
 異性の存在を意識するが故に、自分は常にほかの同年代の人と比較し、事あるごとに差≠感じてはコンプレックスに陥っていた。そして、「自分は本性を知られたら人に避けられる」、「自分の嫌な本性を人に悟られるのが怖い。」と感じ続けていたのだった。


 多くの人にとって青春時代とは、人生で最も楽しかった時期で、『もう一度戻りたい時代ナンバーワン』であると思う。しかし私にとっては寧ろ、若くなくなってきた今の方がよっぽど楽しい、自分らしく生きられる時代だと実感しており、青春時代は、一番ダークグレーな℃梠繧ニして、記憶されるものとなった。今振り返っても、【最も帰りたくない時代ナンバー・ワン】なのである。
 楽しかった思い出や良い思い出も、あるにはあったのだが、就職や社会適応の面でも、相当な苦労をする事を余儀なくされるなど、総じて自分の弱さと欠陥ばかりがクローズアップされた、青春時代であった。そしてそんな私の姿を最も知り尽くしているのが、他ならぬトロなのである。【青春という名の人生の大スランプ】を生き抜く上で、まさに命綱となっていたトロ。人に対して、己のカッコ悪さしか目に付かない状態にあった私が、唯一、安心出来る相手だった。
 犬は何も比べたりせず、ただ私の心を私の心として受け入れてくれる。トロの前でだけは、【何かを隠している】という後ろめたさは感じなくて済むし、自然な心に戻ることが出来た。


 そんな、自分にとってあまりにも『絶対の伴侶』だったトロが、今まさに目の前で危篤状態に陥り、変わり果てた姿になっているのだ・・・・・。


 「トロ・・・・・」
 沈痛な気持ちに浸りながらも、私は何とか声をかけた。だが、トロは反応しているのかしていないのか、よく判らないまま、荒い息ばかりしている。
 半分ぐらい、現実から遠くをさまよっている気分だった。生き物である以上、いつか別れの日は来る。生まれてきた者は、いつか必ず死ぬ。それは当然の摂理として解っていた。しかし、いざこの様な光景を目の当たりにすると、かえって心の準備が止まり、思考が停止してしまったのだ。


 しばし傍で過ごした後、私は帰宅したが、その後もショックで気が動転し、失意に覆われていた。もう、あしたはクリスマスパーティーどころではなかった。ここまでショックが大きいとあっては、クリスマスパーティーのような、人の集まる楽しい場所になど、行けるわけがない。
 母からの第一報を聞く直前まであった、明日への意欲は、完全に消え失せていた。


 「あした、ホンマにパーティーなんかに行けるのか・・・・・???」


最晩年のトロ。たった一匹の犬がもたらす力というのは、とてつもなく大きかった。




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