我が心のバレンタイン:青春 八重桜物語
無念!! こんなクリスマスになるなんて・・・・・、
【悔やんでも悔やみきれない】 No.1

 2005年12月18日、再度の、待ちに待った日≠ェやってきた。
 今年度のクリスマスパーティー=七絵との再会の日である。お花見から丸8ヶ月。ようやく二度目の再会の時を迎えたのだった。
 ここまでもまた、長いブランクであった。8ヶ月というのは、前回の4ヶ月の倍であり、その分喜びも大きいと感じた部分はあるが、その一方で、今回(8ヶ月)の方が、前回(4ヶ月)より短かった様にも感じていた。それは多分、今回のブランク期間中に、誕生日のイベントがあったり、そのあと夏休みもあって旅行に行ったり、秋になると今度は一人暮らしが始まって、引っ越しや買い込みに忙しかったりと、立て続けに大きな出来事があったのが、効いているのだと思う。加えて、ハナの成長を見守る時期と重なったのも、時間の長さを忘れる上では非常に大きかった。


 クリスマスパーティー当日、会場へ向かう時の心境というのは、当然ながら、昨年とは大違いであった。そして到着したその時から、七絵はいつ来るか?いつ来るか?とそればかり考え、ソワソワして落ち着きの無い状態だった。
 大分待ったか?と思う頃、ようやくオカンと一緒に、七絵が現れた。
 一目見て、「また背が伸びてるな〜」と思った。この調子だと、上背の無い私が身長を抜かれるのは、時間の問題である。
 七絵は到着するとすぐに仮装に着替え、今度は天使とは違う衣装であったが、また去年の様に、私に絡んできた。そのたびに私も反応をしたが、およそ久しぶりに会ったとは思えない雰囲気で、直ぐに遊んできた七絵の振る舞いを見て、それだけ私の印象が残っていたのだという事が分かった。大変嬉しい限りである。


 今年のクリスマスパーティーは、ぜひとも七絵にとって、スペシャルな思い出の一日になってほしかった。何故かというと、七絵が高校入試を目前に控えていたからだ。受験生にとってクリスマスシーズンは、入試勉強が大詰めを迎えた、不安と緊張がピークに達する時期なのである。パーティーの数日前、オカンからも、
 「あんた、今度のクリパに七絵が来るけど、『すべる』とか『おちる』とかいう言葉を、本人の前で言うたらアカンねんで!」と、何故かいきなり注意されていた。
 「そんな事言うわけないやろ!俺がどれだけ七絵の事を想って、その日を待ってる思とるねん!」と心の中で叫び、思わずムッとしたのだが、オカンの言葉に本気で気を悪くした、これが唯一の例である。


 受験生、クリスマス・・・・・。ここで、突然ではあるが、私自身の受験生時代を回想する。


 1988年(昭和63年)12月、私は中学3年生。高校入試を約2ヶ月後に控え、否が応でも緊張が高まっていた。そして、そんな『不安定気流』の真っ只中にあった12月24日、近所の親戚宅に、新しい子犬がやってきた。黒柴のトロである。ちょうどクリスマスイブにやってきたという事で、トロは私にとって、『受験生の年のクリスマスプレゼント』となった。当時、親戚宅にはトロ以外に2匹の老犬がいたが、やはり子犬のトロが1匹加わり、賑やかになったのは大きかった。
 実は、これより4ヶ月前の1988年8月末、私は当時の愛犬だった、ナナという黒柴の5歳の犬を、自分が散歩をさせていた時に交通事故で死なせてしまうという、悲劇を体験していた。この時のショックは、計り知れないと以外に言いようが無いほど大きく、『受験生の夏休み最終盤』という、焦りが募る状況にあった私にとって、壊滅的なダメージを与えるものとなった。
 「これでもう、受験は乗り越えられない。」と思い込んだし、ほかの2匹の犬がいなかったら、命さえ絶っていた可能性が強い。そんな、危機的状況から私を救ってくれたのは、「代わりに同じ種類の犬を新しく飼う。」という飼い主のひと言であった。そして迎えた2学期を、新しい犬の登場を心待ちにする事でまるまる過ごし、遂にやってきたのがトロだったのである。
 トロが来たお陰で、私の受験の緊張は和らぎ、ストレスも解消されて、それが高校合格へとつながった。長年の『青春時代の伴侶』は、先ずもって受験の追い込み期における、最大の功労者となったのだ。


 それから16年・・・・・、2004年の12月21日にトロは逝ったのであるが、奇しくもクリスマスのシーズンで、トロは登場したのもクリスマスなら、去って行ったのもクリスマスという犬になった。トロは死に際し、七絵との出会いという恩返しをくれた分けであるが、それはトロからの『クリスマスプレゼント』とも、受け止める事が出来た。
 思えば、トロ自身がクリスマスプレゼントであった。だから七絵は言うならば、【クリスマスプレゼントがくれたクリスマスプレゼント】となるのである。そしてその、【クリスマスプレゼントがくれたクリスマスプレゼント】は、当時中学2年生で、帰りの車で一緒になった際には、「明日は進路相談。高校はどこを受ける?」という話を、オカンからされていた。それから1年が経ち、七絵はいよいよ受験間近となって、今年のクリスマスを迎えたのだった。


 自分自身の受験生時代をよく憶えている私は、この日のクリスマスパーティーを最高に楽しいものにする事で、七絵への、【ひと時という名のプレゼント】にしようと思っていた。そうすれば、かつてトロが自分に与えてくれた喜びを、17年越しに七絵に返す事にもなる。何よりも、昨年のトロからの恩返しに対して、この様な形で応える事が出来れば、これほど幸せな事は無い。
 もちろん、参加者全体のためのパーティーである事も、忘れてはいなかった。私とて完全に、『仕事である』という自覚がお留守になった分けでは無いのだが、それでも正直に言うと、七絵の存在に主眼が置かれており、『私の 恩返しによる 七絵のためのパーティー』という実感が強くなっていた。


 さて、そんな、並々ならぬ熱の入れようで迎えたパーティーであったが、結果は・・・・・。
 何と、「もうこの続きは書きたくない!」と思うほどの、散々なものになったのである。本当に、仮に七絵の事が無かったとしても、これまで経験したどのパーティーよりも、楽しくないものになってしまった。「あんなパーティーだったら、いっそ、やらない方がマシだった」と悔いるほどだ。
 何がいけなかったかって、先ずバンドがいけなかったのだ。もちろん、全員が悪かった訳では無い。会場に対して音頭を取る、リーダーが悪かったのである!!
 あれほど自己中心的で、空気を読めない<梶[ダーは見た事が無かった。みんなに楽しんでもらい、参加してもらって、盛り上げていかないといけないのに、
 「ハイ、人が歌ってる時は黙って聞こう!みんな静かに!ちゃんと聞くという事も覚えよう!」
 と、『指導』・『命令』する有り様。歌って踊るパーティーなのに、『静かに聞く事も覚えよう!』は無いものだ。コンサートとは違うのに、一体何を考えているのかと思った。


 それだけではなかった。今振り返っても、大きな失敗と言えるプログラムの組み方を、この時はしていた。
 前半のバンドと後半のバンドを、同一のものにしていたのである。本来はそれぞれ違うバンドを呼ぶのだ。まあ一つだけ大人気(おとなげ)無い言い訳をするならば、同じバンドであっても、前半と後半では、リード役の人が違うと思っていた。しかし、同じ人が務めた・・・・・。そしてそのリーダーは、『KY街道』。参加者はみんな表情が固まっていたし、七絵も『キョトン』とした感じで笑顔ではなかった。司会者も、辛うじてフォローを入れていたが、明らかに戸惑っている様子。私は内心、怒りに震えていた。
 「何という!!!こんなハズでは・・・・・。リーダーよ、いい加減にしてくれ!!」
 もちろん、そんなリーダーを呼んだのは、他でもない私たちである。『予想外』、『見込み違い』、言い訳は何とでも出来るが、最終的には、呼んだ側である主催者の責任と捉えるのが正論であろう。


 さらにもう一つ、決定的な【損失】があった。
 実は、このパーティーでは休憩時間に、職員約10名による余興を行う予定だったのである。内容は、当時ヒットソングだった、O-Zoneの『恋のマイアヒ』に合わせてダンスをするというもので、発案者がリーダーとなって練習をしたのだが、なかなか上出来で、当日は参加者にも絶対ウケると確信していた。その余興のメンバーに、私も加わっていた。通常、私がダンスをするなど、先ず有り得ないのであるが、七絵を楽しませる大きなチャンスだったという事、そして本番では参加者も呼び込むと決まった事から、もし自ら七絵を呼び込めたら最高だと思い、常道を覆して練習に気を入れていたのだ。
 ところが・・・・・、何とこれも、[中止]になってしまった。理由は、肝心のリーダーが風邪で欠席したからである。前日の準備の時点でかなりしんどそうにしていて、「何とか今晩大事を取って、明日は是が非でも出席してくれ!」と願ったが、叶わなかった。
 リーダーが欠席しても、ほかのみんなでやろうという話は、一度は出た。しかし、そこまで完璧にマスターしている人が、私を含めて一人もいなかったために、結局は中止と決定したのである。


 「あ〜あ・・・・・。ああっ!!う〜ん・・・・・!」私は一人、言葉にならない声を洩らし、残念がった。単に残念なだけでなく、己の実行力の無さというものを悔やんだ。
 そんなにまでして余興をやりたかったのなら、私が自分でダンスをまとめ、急遽音頭を取ってでもやれば良かったのだ。だけど、悲しいかなそこまでの実行力は、私には無かった。結局は他力本願なだけで、己の意志を貫く行動力は兼ね備えていないというのが、真の自分の姿なのである。
 思いの深さに比して、この無力さは何だか情けなかった。


 最後のプログラムであるプレゼント交換が始まった時の切なさは、言葉にもならないものだった。
 こんな物足りない、『不完全燃焼』な気分のまま、七絵と過ごす時間は、終わりを告げようとしているのか・・・・・。何だか悪夢にさえ感じられ、現実を受け入れられない心境だった。例え楽しくて最高のクリスマスパーティーだったとしても、プレゼント交換というのは、『これが終わったら、もうパーティーはおしまい』と、一抹の寂しさが交錯する時間なのだ。この時のプレゼント交換ほど、つらくて耐えられない時間は無かった。
 バックミュージックには、定番ソングの『恋人がサンタクロース』が流れていたが、この時のショックが大き過ぎたがために、私はこれ以降、この歌が嫌いになってしまった。聞くとどうしても思い出すのである。この時の切なさを。街中(まちなか)でちょっと流れているだけでも、耳に届いた瞬間、この、一番悔しいパーティーの記憶がフラッシュバックされるので、「頼むから流れないでくれ!」と拒絶する様になった。歌には何の罪も無いというのに・・・・・。

 ところで、現在、クリスマスパーティーでは、プレゼント交換の前に寸劇をやるのが、定番になっている。なかなかの評判で、今後も毎年続きそうな気配であるが、やり始めたのは2006年からなので、この時(2005年)にはまだ無かった。
 バンドもダメ、余興も没、寸劇も未だ無し、おまけにバンド以外の目玉であった大道芸も、やや失敗が多かったとあって、今年のクリスマスパーティーはもう、壊滅的と言ってもよかった。
 唯一、司会がうまく盛り立ててくれたのが光明か?それでも参加者からは総じて不評で、反省会でも私は無念さに肩が震え、抑えるのに苦労した。


 七絵が満足してくれたとは、とても思えない。感想など聞けたものではないが、一つ言えるのは、ストレス解消には程遠いひと時≠、七絵に“贈って”しまったという事。来年はもう高校生である事を考えると、そもそも七絵の参加自体、今年が最後となった可能性は高い。それを分かっていただけに、無念さは一層募るのだった。
 今振り返ってみて、あれほどの不完全燃焼なパーティーには、逆に遭遇する方が難しいと思う。
 まさに『思い出したくない一日ナンバーワン』。あんな盛り上がらないパーティーになってしまった事が、返す返すも残念でならない。




前のページに戻る 思いがけない再会、そして「合格おめでとう!!」に進む



思い出を遺す エッセイの部屋へ               我が心のバレンタイン もくじへ