水島臨海鉄道鉄道乗車 撮影:1994年8月20日

岡山県倉敷市にある、水島臨海鉄道を訪ねました。私は一度、『臨海』と名の付く鉄道に乗ってみたい、という様な思いを抱いていたのですが、この日、実現しました。岡山県にはこのほかに『岡山臨海鉄道』というのも存在していましたが、1984年12月に廃止となりました。ちょうど、廃止の報を鉄道雑誌で読んでいたのを覚えています。さて、この日は大阪からひたすら在来線を乗り継いで倉敷にやって来まして、水島臨海鉄道の駅に到着しました。2002年8月にも一度駅には立ち寄った事がありますが、この写真の当時とさほど変わっていませんでした。
ちなみに倉敷には77年頃、一度旅行でも来た事があります。少〜し記憶に残っているのですが、どうやら写真が残っていない様で、残念ですね。


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水島臨海鉄道倉敷駅ホームです。待機中の列車を上手く撮影したつもりだったのですが、実際には列車の位置が下過ぎて、『水島臨海鉄道のりば』の案内板ばかりが目立つ、下手くそな写真となりました。何故こんな、上過ぎる角度で撮ったのか?と、今でも首を捻っています。さて、そんな駄作の写真でも辛うじて車体全体が写っているこの車両は、キハ20形です。水島臨海鉄道は、全国でも稀有な、貨物輸送が活発な鉄道としても知られていますが、客車はこの当時、全車がこのキハ20形でした。12両存在していましたが、写真の211は1997年に島原鉄道に移籍し、2008年3月まで使用されました。


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キハ20形車内です。元国鉄(→JR)の車両であるため、車内も典型的な、『国鉄型』仕様になっています。冷房化はされていますが、扇風機も付いていて、懐かしさを醸し出しています。かつて国鉄で一大勢力を誇ったキハ20も、私自身が乗車した回数は少なく、中でもキハ20の天下だった水島臨海鉄道での乗車は、印象に残っています。


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終点の水島駅です。路線はもう一駅向こうの三菱自工前まで延びているのですが、私が乗った列車は水島止まりでした。三菱自工前という、メーカーの名前がそのまま駅名になっている辺り、臨海鉄道らしさが表現されていますね。また、ダイヤもほぼ20分置きと、およそローカル鉄道と呼ぶにはふさわしくない程ひんぱんで、活気が窺えます。駅も立派な高架駅。設備面でも、『ローカル線』の域は脱しています。周囲は工場ばっかりで、コンビナートが林立。さすがは臨海鉄道です。なお、水島までの路線長は約11km。決して長くはありません。そして所要時間は24分です。


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水島駅前を、外から撮影しました。薄い水色にアイボリーの塗り分けの駅舎が、この鉄道の経営状態の明るさを表している様にも感じ取れました。大手の鉄道にそん色ない、近代的な駅です。駅前もしっかり整備され、画面右下の歩道を見ると、この当時にしては、車道との段差が低い様にも見えます。


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水島駅から少し歩いた地点。いかにも臨海工業地帯といった風景。これまでに乗ったほかの鉄道では見られない、独特のものを感じました。この写真ではほとんど写っていませんが、大型のトレーラーもひんぱんに行き来していました。


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帰りの列車を撮影した写真ですが、空をご覧下さい。雷雲がモクモクと立ち込めていて、今にも大雨が降りそうです。実際、写真の列車が発車した直後、雷雨が降り始めました。本当に急激に雨雲が厚くなり出して、びっくりしました。そんな中、停車中の車両はキハ208。この208は現在も健在で、写真のままの水島色≠ナ走っています。キハ20形の現存車は4両で、内2両はリバイバルカラーで国鉄色に戻っています。そして運用は、平日朝夕ラッシュ時のみとなっていて、データイムは新型車両によるワンマン運転が行なわれています。それにしてもこの写真、車両までの距離が遠いと思ったら、さり気なく高架壁にある『みずしま』という駅名表示を含めて写していたのですね。(^^;


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最後は倉敷駅前です。上の写真撮影後に大雨が降った後、ようやく止んできた頃です。にわか雷雨ですね。だけど、水島で撮影をしている時は、降らないでいてくれて良かったです。水島臨海鉄道は、路線もほとんどが高架で、本当に設備面では準大手私鉄並み。何故電化されていないのか、かえって不思議な気分にさえなりました。さて、倉敷駅付近を散策してみようかとも思ったのですが、時間が十分に無く、結局この後、またも在来線を乗り継いで大阪に帰りました。どうせなら、帰りは新幹線にしてみても良かったですね。この当時なら当然、0系に乗っていた事でしょう・・・・・。


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