水間鉄道乗車 撮影:1989年11月4日
南海電鉄南海線の貝塚駅(貝塚市)から、水間観音がある水間(市内)まで、全長5.5kmのミニ鉄道が水間鉄道です。かつてはミニ南海と言われ、私が乗車した当時も、車両は全て南海から譲渡された旧型車でした。しかし現在では、全車が元東急の車両となっています。写真の車両は、元南海1201形の、500形と呼ばれる車両で、昭和8(1933)年頃に製造されました。この時既に56年目という超古参車両となっていましたが、塗装は旧型車に似つかわしくない、非常に明るいカラーリングになっており、どこか私の地元を走る阪急バスを思い起こさせるものがあります。貝塚にて撮影。


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水間鉄道501形の車内、運転席部分です。ご覧のように、客室と乗務員室がほとんど仕切られておりません。運転席の周囲のみ仕切りが完全になっていますが、他の部分は、ちょうど路線バスの客室と運転席の境目のように、握り棒やバーだけで区切られています。そして右側に写る2人目の乗務員は、どっかりパイプいすに座っての乗務・・・・・。何とものどかな、そして何よりこの車内の造りが、戦前製という時代を感じさせます。昔は内装も古めかしい木目調のものでしたが、更新されてアイボリー調になっていました。


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こちらが車内全景です。上の写真の解説でも述べたように、車内の色調はアイボリーの明るいものです。それでも、昭和一桁生まれの旧型という雰囲気は、特に窓枠部分に十分出ていると思います。窓は二段窓と一枚窓(下降窓)の2種類がありましたが、こちらは下降窓のものです。11月だったので扇風機にはビニールでカバーされていますが、元々大手私鉄用に造られた車両で、天井に扇風機がついているというのも、非常に懐かしいと思います。


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終点水間で撮影しました。ただでさえ明るい塗装に、側面が何やら広告塗装(現在のラッピング車両のはしり?)になっていて、余計にカラフルです。それにしても、改めて正面の塗り分けを見ると、特に真ん中の赤と青のラインは、本当に阪急バスを連想させるものがあります。もしかしてモデルにしたのでは?とも思ったほどでした。この車両は正面窓の上下幅も側面の一枚窓に合わせているため、一枚目の写真の顔と比べるとかなり窓が抑えられた感じになっており、何やら眉間にしわを寄せているような顔つきにも見えます。考えてみれば、この車両は当年55歳ということは、人間でいえばもう80歳は出ているであろう、しわくちゃの(失礼!!)車両なのですね。後方の車両の窓の上下幅が、手前に比べてかなり長めになっているのがお分かりでしょうか?


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水間駅の駅舎です。観音参りの玄関口らしく、駅舎というよりは寺院内の建物のような雰囲気となっています。そして駅名表示をご覧下さい。右からの表記になっています。もちろん『駅』の文字も旧字体。戦前の雰囲気を、そのまま今に伝えています。


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水間駅から歩いて間もなくの交差点。『ようこそ水間観音へ』の看板が立てられています。場所柄を偲ぶことが出来る1枚として撮影しました。


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上の写真の交差点を、記憶が定かではありませんが、確か右折してしばらく進んだ地点だと思います。のどかな田園風景。このように、初めて訪れた土地の、『一見ごくありふれた風景』を撮るのが結構好きです。


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水間駅にやってきた、水鉄バスです。当時はまだ決して古くはなかった、富士重工製のモノコックボディです。前面窓上には、『ワンマン』と表示された小型の表示窓がありますが、今となっては大変懐かしくても、当時はまだ決して貴重ではありませんでした。水鉄バスを見たのは、2005年11月現在で、この1回きりなのですが、塗装は国鉄(現JR)バスの旧塗装を思い起こさせるものがあります。モノコックボディがまだそんなに極端に古く感じられなかった、古き良き(?)時代です。


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これは帰りに乗った電車の車内で撮影した、吊り広告です。戦前製の旧型車の宝庫だった水間鉄道ですが、既にこの時、車両の置き換え計画が公表されていました。車両以外の近代化や輸送力増強(この言葉自体が非常に懐かしい)のための施策の内容が書かれています。写っている車両は、現在の水間鉄道の車両である元東急7000系ですが、実際には正面を非貫通型の改造されて走っているため、この広告の写真の状態とは異なります。


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水間鉄道を訪ねるミニ旅を終えて、南海貝塚駅に戻ってきたところです。向こうからやってきた、7100系普通和歌山市行きを、ちょっと遠くからですが駅全体も含めて撮影しました。今でもこの旧塗装のほうが、「見慣れているな」という感じがします。この頃はまだ関西空港はありませんから、南向きの列車も専ら和歌山市行きです。
そして私は、この後難波行きの電車で、羽衣まで乗りました。


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羽衣から出ている、南海高師浜支線にも乗ってみました。間に一つしか駅のないミニ路線で、写真は高師浜駅の駅舎です。この時はひっそりとしていたと思います。当時南海本線の支線車両は、専ら1521系と呼ばれる釣り掛けモーターの旧型車でした。この写真を撮った時、何故同時に電車の写真も撮らなかったのか、今となっては不思議です。そして1521系と言えば、私はこの年の5月頃、1993年3月に廃止となった天王寺支線(今池町ー天王寺)にも乗ったのですが、その時も写真を撮り損ねてしまいました。非常に惜しまれます。


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最後の1枚はJR阪和線羽衣支線です。鳳から東羽衣まで、途中駅は無し、全長僅か1.7kmの超ミニ支線です。この線には1986年1月、仁徳天皇陵を見に行った時に1度乗った事がありますが、その時は103系の3連でした。そしてこの時は、荷物電車を一般客車に改造した123形2連が使用されていました。この車両、元荷物・郵便用車両とあって、窓が少なく、また、各車両真ん中1ヶ所にしか扉がなかったのを、改造して2扉にしたため、扉の位置が真ん中と運転席寄りという、実にアンバランスな配置となっていました。正面左右の窓周りだけブラックマスクとした、塗り分けとしてもユニークだっこの車両、現在はこの線から姿を消しています。


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