三木鉄道乗車 撮影:1990年6月29日
私はこの日まで、いわゆる旧国鉄〜現JRの赤字ローカル線が転換された、『レールバスが走る第三セクター鉄道』というものに、乗った事がありませんでした。一度、第三セクター鉄道というものに乗ってみたい。何よりもレールバスというものを体験してみたい。当時、まだ南部縦貫鉄道にも乗った事の無かった私は思っていました。そしてそれが初めて実現したのがこの日、この写真は神戸電鉄新開地駅ですが、この後私は左側の1304Fに乗って三木まで行き、三木鉄道に乗ったのでした。なお、この写真の右側には、見えにくい状態でしか写っていませんが、懐かしの旧塗装の800系が写っています。この車両は既に廃車になっています。


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神戸電鉄三木駅です。これまで神戸電鉄は、三田ー新開地間しか乗った事がありませんでした。従って、鈴蘭台ー三木間は、この時が初乗車だった事になります。それにしても、古い感じの造りで、駅の右側に見えている建物も、木造のクラシックなものですね。


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三木駅のホームです。一旦改札の外に出たのですが、暫く駅前を観察している内にトイレに行きたくなり、駅員に頼んで中に入れてもらい、トイレから出てきたところでこの写真を撮りました。ちょうど、1076Fがやってきていたので。


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神戸電鉄の三木駅から、三木鉄道(旧国鉄三木線)の三木駅までは、少し距離が離れていました。ここは比較的大きな川を跨ぐ橋の上ですが、何という川かは失念しました。美嚢川(みのがわ)でしょうか?前方からバスがやってきますが、これは神姫バスの、今となっては懐かしい、しかし当時はまだどこででも見ることが出来た、80年代初期型モノコック車両です。今振り返ると、何故もう少しバスが近付いたところで撮らなかったのだろうと思いますね。


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川の全景を撮影したものですが、実は密かに、前方に見える神鉄三木線を電車が行くところを撮っています。よ〜く見ないとこの画面では見えにくいが、前方、川を跨いでいる橋が、先ほどまで乗っていた神鉄三木線であり、その上を3両編成の列車が走っています。確か右(新開地方面)から左(粟生方面)へ走っていたと記憶しており、私の乗ってきた、1本次の列車です。


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さて、三木鉄道三木駅に到着しました。こちらも旧来の一戸建ての家を思わせる、瓦屋根のクラシカルな駅舎でした。駅前のスペースは、割と広々していましたね。待ちに待った、旧国鉄赤字ローカル線(特定地方交通線と称されていた)転換の第三セクター鉄道初乗車の時が、いよいよやってきました。なお、三木鉄道が、旧国鉄三木線から転換されたのは、1985年4月1日のことです。この年は、特定地方交通線の転換が最も盛んに行われた年だったように思いますが、あの時期から早くも20年の歳月が過ぎました。


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三木鉄道三木駅ホームと、発車待ちをするレールバス、ミキ180形です。初めて見るレールバス、その後、いろいろなところで乗る事になるわけですが、この車両を一目見た瞬間、大変新鮮な気分がしました。歴史を感じさせる古いホームと、当時は『新時代』の象徴とも言えた現代型レールバス。そのあまりの好対照に、最初は表現のしようのないような不思議な心地で一杯でした。旧国鉄の第三セクター鉄道、それも車両が新たに製造された鉄道線ならではの心地でしょうか?この車両、パッと見ると、なるほど、本当にバスによく似ています。改めて、『レールバス』というネーミングの妙技を感じました。当時の富士重工製の新車を思わせる面差しのミキ180形。バスをそのまま鉄道用に改造したと言っても通りそうですが、モデルとなったであろう同年代(80年代半ば)のバスは、既にそのほとんどが姿を消しています。


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ミキ180形車内です。今この時の写真を振り返ってみて、私は、もっと車両の側面を外から撮っておけばよかったと後悔しています。というのも、正面もそうでしたが、側面はもっと、バスらしかった≠ゥらです。正にレールバスとは言い得て妙だと思ったものでしたが、車内はご覧のとおり、窓周りや荷だな部分を見ているとバスの雰囲気が漂ってきますが、座席がロングシートである分、まだ鉄道だなと、当時は感じたものでした。しかし今改めて見ると、現在ではバスも低床バスは、特に前半分がロングシートになっている車両が多い関係で、写真の車内も『バス』に見えます。時代によって、見え方が違うというのも面白いですね。もしこの車両がクロスシートだったならば、余計バスそのものだと感じていたことでしょう。それにしても本当にガラガラでした。閑散時だから当然と言えば当然でしょうが、それでも当時は地元活性化の希望を与える存在でもあったのだろうと思います。モダンにも思えたワインレッドの座席は、なかなか座り心地はいいものでした。


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運転台と整理券入れの様子です。運転台だけを見ると、やはり鉄道車両ですよね。まあレールの上を走ることに違いは無いわけですから。しかし当時まで現在ほど鉄道のワンマン化が進んでいなかった事もあって、『整理券』という表示や運賃箱、それにその横に写る手すりなどを見ていると、バス≠感じずにはいられませんでした。


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ミキ180形の扉です。扉はまさしくバスですね。ただ、フロントガラスに対して右側というこの位置は、バスでいえば非公式面に当たりますので、そこにドアがあるとなると、外国(右側通行の国)のバスに乗っている雰囲気も味わえます。なお、この車両の車番は失念していたのですが、左の写真をよく見ると車番プレートが貼られているのが見え、この画面だと分かりにくいのですが、元の写真を見たところ、『ミキ180−102』と書かれていました。いろいろな面で新鮮味たっぷりのこのレールバスでしたが、つくづく鉄道とバスの合いの子です。これら初期のレールバス車両は、現在は廃車となって、もう見る事が出来ません。残念な限りですが、20年以下の寿命で終わりを迎えるという事は、寿命的にもバス並みという事でしょうか?


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三木鉄道6.6kmの小さな旅は終わり、終点(もともとは起点)の厄神駅に到着しました。途中区間では、意外と飛ばす時もあって、短いながらも楽しかったです。右には、派手な塗装が印象深かった、非電化時代のJR加古川線キハ47が停車しています。2004年12月に加古川線は電化され、現在は左写真のどちらの車両も過去のものとなっています。この当時は、まだ加古川線は電化される兆候も見えてはいませんでした。さて、初の第三セクター鉄道体験となった三木鉄道ですが、85年の開業以来、常に赤字続きで苦しい状況でした。そして、2006年度中に存廃の結論が下されるという局面を迎えており、いよいよ、特定地方交通線転換の草分け世代のこの鉄道も、路面バス≠ノ切り替えられようとしています。


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最後の写真はJR加古川駅です。停車中の車両は上の写真と同じもので、この後山陽本線の新快速(当時は221系)に乗って帰りました。この加古川駅、現在は加古川線電化とともに高架化もなされ、まだまだローカル色が濃かったこの駅も、様子は一変しています。ディーゼルカーのエンジンの音も響く地上駅だったこの当時は、古き良き時代なのかも知れません。


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