最後の瞬間!運動会物語
〜後頭部から地面に落ちた、恐怖組体操〜

『鬼先生』の指導で、練習開始
ある日の、体育館での練習で・・・・
肩から手が離れない!!! そして響く怒号
ええっ?! 嘘だろう?衝撃の一言
最後の瞬間! 運命のホイッスル

※印刷をして手元で読みたい方は、Word版をどうぞ(写真は割愛しております)



『鬼先生』の指導で、練習開始


 1985(昭和60)年9月、12歳で小学校6年生だった私は、運動会の練習のシーズンを迎えていた。
 運動が大の苦手で、当時から『自称、野比のび太のモデル』を語っていた私にとっては、正直、一年で憂うつなシーズンでもあった。特に前年、5年生の運動会から、種目もかなり難易度がアップして、ただ走って踊ってというだけではなく、いわゆる『組体操』も含まれるようになっていたのだ。
 組体操・・・・・、低学年の頃から毎年見てきていたが、そのたびに、「すごいなぁ!」、「きれいだなぁ!」と感心すると同時に、
 「もし自分がやらなきゃいけなくなったら、どうしよう。絶対にできないよ。」
と、やがて自分が上級生になることを不安がっていたものだった。そして5年生になり、いよいよ組体操が種目に入る。この時は、組体操は一部の人だけが担当し、私はその中に入らなかったため、難を逃れた=Bしかし6年生になると、そうはいかなかった。全員が組体操を演じることになったのだ。


 私にとって、組体操はいかにも苦手そうなもので、それは見ているだけでも十分わかった。
 観覧車には平気で乗れるし、プールの滑り台に向かう階段や吊り橋なども割りに平気なため、いわゆる高所恐怖症というわけではないのだろうが、平均感覚が鈍く、従って水平のバランスを取るのが困難なのである。
 普段道を歩いていても、ちょっとした物ですぐによろめいたり体が傾いたりすることがある。横につかまる物の無い狭い幅のところ(例えば塀の上や遊具の平均台)を歩くのは超苦手にしており、そのため、たとえば人の肩の上みたいな、大変狭くて足元のバランスも悪いところに立つ行為は、組体操でなくても不可能かと思われた。


 そんな組体操を、とうとうやる事になってしまった。何か『危険な冒険』へと旅立つような、実に心細い心境。本当に大丈夫なのだろうか・・・・・?
 内心胸騒ぎを覚える中、いよいよ練習の時がスタートした。練習は、基本的に一人の先生の指揮によって行われるのであるが、その先生はH先生という、かなり恐い先生だった。顔からしてこわもてで、体もゴツイ。当時、上野小学校6年7組の担任をしていたH先生と言ったら、ピンと来る人もいるのではないだろうか。
 怒鳴らせたらピカ一。いざとなったら物は飛んでくるし、ビンタも強烈。今の時代だったら、少々問題になってしまうかも知れない様な“ゲキ”の飛ばし方を、しばしばしていたのは事実であるが、そんなH先生もしかし、普段は顔の割には(?!)優しくて、生徒からは人気があった。根っからのスポーツ好きで、基本的に『熱血教師』。それ故、スポーツのイベントである運動会では、常に指揮を執り、鬼と化していた。ゴツゴツ顔を真っ赤にして怒鳴り散らすサマは、まさに『赤鬼』。確か、ジャージまで上下赤だったと思う。
 「オラ!もっと早く走れ!」、「ハイ、お前がこっち。お前が・・・・、こっちや。そう!」、「ええか!次で絶対にキメろよ!」
 『H鬼先生』の指揮の下、緊張感に満ちた練習は行われるのだった。


ある日の、体育館での練習で・・・・

 組体操での演技の内容を順番に教えられながら、一つ一つ練習していたある日、この日は午後から、体育館での練習だった。相変わらず鬼先生≠フ怒号が響く中、この時集中的に練習したのは、『倒立(とうりつ)』と呼ばれる技だった。
 倒立・・・・・、みなさんもやった記憶がおありだろうか?これはまず2人ペアになり、一人が逆立ちをする。それも両腕をピーンと張った状態でだ。笛の合図でダーッと逆立ちをやり、ペアの相手が、飛んできた両足(足首辺り)を手で受け止めるのだ。そして次の笛が鳴と、手で支えているほうがクルリと後ろを向き、逆立ちをしている人の足を、背中にヨイショと、背負おうとするような体勢を作る。そして次の笛で、逆立ちをしている人が、ちょうど90度傾いた状態で腹筋運動をするような感じでグワン!と体を起こし、ペアの人の上に肩車をする体勢に持っていくのだ。
 この倒立→肩車の演技で、私は体重が非常に軽かったため、上に肩車状態で乗っかる役になった。そして、『モデル役』の生徒によるデモンストレーションを見た後、第一回目の練習開始。私はガチガチに緊張していた。幸いにして、逆立ちはうまく出来た。そしてその後、肩車の体勢に移行する時である。私は合図の笛が聞こえるが早いか、渾身の力を込めて体を起こし上げた=E・・・・つもりだった。しかし実際には、『フンッ』と息を止めるタイミングと、腹筋に力を入れるタイミングがズレてしまった。そのため、不自然に力が抜けたような上体で体が起き上がり、結果、最後まで体が上がり切らなくて、そのまま後頭部から床に落ちてしまったのである。
 落ちた瞬間、『ズガーン、ガツッ!』 思いのほか加速≠ェ付いていたようで、その痛みと衝撃たるや、相当なものがあった。『目の前を火花が散った』とは、当にこのことを言うのだ、と今でも思う。


 「あ、いっ・・・・いっ・・・・いったぁ〜〜・・・・!!」 どっから声を出してるんだ?というような、潰れた裏声で叫んで、私は泣き出してしまった。泣きながら両手で後頭部を抱え込み、「あぁァァァッ」と、声にならないような声を洩らしていた。次の笛を吹こうとしていた鬼先生≠ェ、何か大きな声で言いながら、私のとこへ駆け寄ってきた。
 「どうしてん?頭から落ちたんか!え!そら痛いな。」 しばらく間を置いて、「大丈夫か、おい?」
 「後頭部からまともに落ちたもんな〜。」 すぐ横にいて、私の落ちた瞬間を目撃していた人が言った。
 「ああそうか。」 と鬼先生=B練習は“中断”となり、みんなザワザワと、私の周りに寄ってきていた。
 「大丈夫かー?」 と声を投げてくる同級生もいたが、私は依然痛みとショックから立ち直れず、返事が出来なかった。いつまでも貴重な練習が中断されるわけにはいかない。鬼先生≠アとH先生は、
 「・・・・・よし、ほんならなぁ、もう一回やってみよう・・・・・、もう一回。」
 私に促してきた。この時、私は思わず、「嫌だ。」という言葉が喉元まで出かかったのであるが、さすがに言えたものではない。先生がすぐ横に付いていてくれているという安心感も出てきて、私は思い切って倒立をやった。だが、両腕がグラついている。今にも曲がりそうだ。
 「ええか!コラ!この腕をピーンと伸ばしとけ!この腕を。この腕絶対曲げたらアカンぞ!ええな!」
 言いながら先生はバチンバチンと、何度も私の腕の関節の辺りを叩いてきた。
 「ハイッ!ハイッ!ハイッ!ハイッ!」 ひたすら返事をしていた。必死だった。死に物狂いで腕を張っていた。例え僅かでも曲げてなるものか!
 「よし!じゃあ起きろ。よ〜いしょ!」 と、私が目一杯腹筋を使って起き上がるその背中を、先生が少し押してくれた。お陰でスッと肩車状態になれた。先生は私の相手役に、
 「お前も、もう少し前へ屈んでやれ。でも屈み過ぎたらアカンぞ。もう少しコイツ(私のこと)足を引っ張ったるような感じにせい!」
 言われた通りに相手役もやりながら、もう一回、最初からやってみると、今度は先生の力を借りなくても、スッと起き上がることが出来た。「おー!」という声が、一部から聞こえた。確かにさっき落ちた時よりも楽だ。少し要領をつかんできたような気がした。
 練習は再開された。この日は結局これだけで時間が過ぎた。私が事故≠起こして、進行を遅らせてしまった格好である。


 終了後、教室に戻った私は、しばらくは着替える事すら忘れて、放心状態だった。極限の緊張から解き放たれて、頭がボーッとなり、何にも手が付かない状態に陥ってしまったのだ。
 クラスメートにとっても、『注目度:大』の出来事だったのだろう。普段は私の机の周りになど、人は来ないのだが、この日は一躍話題の人になっていた。一人は次々に労いの言葉をかけてくれていた。この2学期から転入してきた人だったのだが、
 「いやー、大変だったなぁ。でも、すごかったじゃん。君もよく頑張ったもんだよ、本当に。」
 そこまで言ってもらえて、初めて少しは自分の頑張りを誇りに思えたような気がした。
 「あ〜、頑張ったのか・・・・・。」何だかホッとしながらも、依然半分は意識が戻っていなかった。しかしとにもかくにも、着替えだけは始めて、次の授業に備えた。果たしてまともに次の授業を受けられたのかどうか、22年経った今となっては全然覚えていないが、あれだけの放心状態に陥ったことで、いかに極端なプレッシャーを自分にかけていたのかという事が、今、改めてわかる。


 この日の『恐怖の練習』は終わった。だが、まだまだ明日以降も続くのだ。そしてもちろん、最後には本番・・・・・。
 乗り越えられるのか?不安はまだまだ、掻き消しようがなかった。 


肩から手が離れない!!!  そして響く怒号

 一難去ってまた一難とは、このことを言うのだろうか?倒立→肩車が何とか出来るようになった数日後、またも私は、一人で練習を中断させ、『鬼先生』の怒号を誘発させる大演出≠おこなってしまった。
 この時も、確か体育館での練習だった。そして内容は、3人一組になって、『山』のような形を作るというものだった。具体的には、先ず2人が向かい合って、お互い両手を相手の肩の上(首の辺り)に置き、しゃがみ込む。次に3人目の人が、しゃがんだ2人の両肩の上に乗っかり、両手を2人の頭の上に置いてしゃがみ込む。そして次の笛で下の2人が立ち上がり、最後の笛で上に乗っている人が立ち上がって、両手を広げて完成である。
 この演技でも、私は当然、上に乗っかる側になった。そして、「こんなん、出来るんかな?」 と不安を覚えながら、先生に指示されるがままに、2人の人の両肩の上にしゃがみ込み(そもそも、人の肩の上に足を置くなんて初めての体験だ)、次の笛で下の2人が立った瞬間、背筋に氷柱が刺さった。


 「た・・・・・、た・・・・・、高い!!!」 正直言って、たかが同じ年の子どもの身長の高さ、そんなに大して高くはないだろうと思っていた。むしろ、自分はバランス感覚や平均感覚が著しく乏しいところがあるから(現在でもそう)、不安定な面(めん)≠フ上で立っていられるのか?また一人落ちて、周りに迷惑をかけるのではないか?と気がかりだったわけだ。高さそのものは、肩車の時でもそんなに恐怖を感じるほどのものとは思わなかったし、何とかいけるだろうと思っていたのだが・・・・・。
 想像以上の高さだった。これでは既に万事休すだ。
 「ピーッ!」 無情に聞こえるような、次の笛が鳴った。周りでは、上に乗っている人がスーッと立って両手を広げ、フィナーレのポーズとなっていた。一方私は、である。足が激しく震え、額には脂汗が出てきて、両手がどうしても下の2人の頭から離れなかった。
 「早く立とう。また僕が一人遅れている。早く立たなくては!」と焦れば焦るほど、落ち着くところはいつものクセ、パニック状態に陥った。顔はもう完全に歪んでおり、泣きそうである。
 怖くて立てないというのと、このままでいるとまた『鬼先生』に怒られる、という怖さもあった。


 「おい!そこ、なんや?立たれへんのか?はよ手を離せ、手を!!」
 来た!!!『鬼先生』ことH先生、ご降臨である。舞台の上から、『ボン!』と床に下りて、私のもとへと駆け寄ってきた。この時、H先生は口にこそ出さなかったが、恐らく内心では、「またコイツか。」と思っていたに違いない。そんな事を、運動会本番後に感じたりしたものだが・・・・・。


 「コラ!この手を離せ。頑張って両手を離すんや〜!!」
 「ハイ。」 と返事をしたつもりだったが、全然声が出なかった。また練習が中断し、ほかのみんなの視線を感じていた。プレッシャーだった。
 「ハイ、ほかの人、一旦終われ!」と先生が指示。そして、私だけが『補講』をする格好となった。
 下で支えている2人が、「イテテテテテ!!」と声を洩らしていた。私があまりにも足をその場で動かすため、骨の部分などにこすっていたのである。先生の怒号は続く。
 「ホラ!いっぺん立ってみぃ!」
 一瞬、パッと両手を離した。しかし次の瞬間、体が前のめりになる。後ろに落ちないか心配なあまり、前に倒れてしまうのである。ひざも何とか伸ばそうとしたが、半分感覚が無くなっていて言うことを聞かない。とりあえず、今足を置いている位置からズレないようにするだけで、必死だった。
 何分にも感じられるほどの時間が経った後、先生は一旦、終了するように命じた。下の2人にとっても、負担が大きかったからだ。
 「あかんか・・・・・。」 と、先生がつぶやいた。ここまで来ると、私自身、いい加減情けない気持ちでいっぱいになってきた。
 「何で出来ないんだろう?」 と、問うてもしょうがないことを問うた。「僕一人だけ・・・・・。」 やっぱり、もう自分には運動会は限界かな?と思ったその時、先生が
 「よっしゃ!もう一回いってみようか。」 と切り出した。
 「ほんま今度は出来るんかいな・・・・・?もうええわ、何も考えんとこう。」 と思いながら、無機質に立ち上がり、足を肩に乗せる。「今度は頼むでぇ。」 と下から声が聞こえてきた様な気がしないでもなかったが、「どうせオレは足手まといやし。」 という思いのほうが上に立っていて、聞き流していた。
 そう。自分の体は人の上に立てなくても、自分の思いは人の思いの上に立ってしまうのだ。
 何なんだろうな?これは・・・・・。


 また『恐怖の体勢』になった。しかしさすがに先ほどと全く同じぐらいパニックになるという事は無かった。そして先生の言った一言が、自分に勇気を促した。
 「オレがここ(私の後ろ側)におってやるから。もし倒れてきたら、ここで受けてやるわ。」
 さすがにそこまでやってもらって、なおかつ立たないわけにはいかないと思ったのだろう。鉛のように重くなっていた手足が、ようやく動き出し、頭から手が離れ、足が、依然ガクガクと震えは残りながらも、伸びた。度々体がピクン!ピクンと痙攣のような動きを見せたが、とにもかくにも、何とか組体操の形にはなった。
 「おーっ!!そうそう。出来たやないけ、お前!それで両手広げろ、両手。」
 『ピクッ ピクッ サッ!』ような感じで、両手が広がった。この瞬間、安堵の表情も浮かんだ。下で先生が、
 「おーし、出来た出来た!まあ、あとはやってれば出来るわ。」
 と言って、一先ずこの練習は終わり、先生は壇上へと戻って行った。余裕の無い心境の中、私は目で、下で支える役の2人に、「ごめんな。」 と謝った。あまりにもバツが悪くて、とても声に出して謝れる勇気が無かった。従って、相手に通じていたかどうかも分からない。何より、今、何とか立ち上がれたのは、先生が後ろで守ってくれていたからというのが、大きかった。従って、今度また、後ろに誰もいない状態になったら、その時は出来るかどうか分からなかった。ましてや本番の日に、誰かが後ろにいてくれているなんて訳、ないのだから。

 
 この日の練習が全て終わり、教室に戻る時は、全身疲れが吹き出てくるという感じで、とにかく『先が長い』という気持ちで一杯になっていた。
 「何でみんなは、あんな怖いこと、最初からスッと出来るんだろうな?怖くないのかな?何で僕だけそんなに怖がりなんだろうな?どうして?」
 素朴といえば素朴な疑問が、私の胸中を駆け巡っていた。自分は、どっかみんなと違っている様だった。
 


ええっ?! 嘘だろう?衝撃の一言


 練習開始以来、一人で足を引っ張り、みんなに迷惑をかけてきた私も、ようやく恐怖心に打ち勝ち、失敗したり中断させたりせずに、練習出来るようになった。運動会も一つの『団体競技』である以上、『出来るべき事がきちんと出来る』ことほど、己を許せるものはなかった。だが・・・・・。
 一体どこまでプレッシャーを与えれば気が済むのだろう?本番ももう後数日と迫ってきたある日、教室にて、担任のW先生からある一言が告げられた。それは直接には、運動会当日の来賓客についての、簡単な報告事項だった。いつでも運動会といえば、前面中央に、上にテント屋根を張って『本部席』があり、その横に来賓席が設けられる。そして、特にフィナーレの演技を最前列でする人は、来賓客からも一番見えやすいので、くれぐれもミスのない、きれいに揃う演技をするように、と言われたのであるが、その最前列でやる人の一人が、誰あろう、この私だったのである。


 ここで少し補足をしておくと、フィナーレで私がやる演技というのは、先ほど『肩から手を離せなかった』という組体操である。
 「ああ、あの練習で最初出来なかったのをやる位置が、最前列なのか?」 と思われただろうが、実は違う。先ほど書いた練習のやつは、比較的後ろのほうでやるのだ。しかしその後、いくつかの演技をBGMに合わせてこなした後、最後にもう一度、ペアも場所も変わって、『山』の組体操をやるのである。しかも私は、それまで後ろのほうで演技をしていたのが、フィナーレの時になって駆け足で最前部に移動し、そのまま続きで組体操を完成させなくてはいけないのだ。
 いったん止まって、改めて笛の合図に合わせてというのならまだ余裕があるが、後ろからダッシュで移動してきたその流れのまま、止まらずに組体操に入るのだから、相当動きとしては慌しいものがあった。ちょうどBGMも終わる直前にあたり、曲が終わると同時にきれいにタイミングをそろえて完成させなくてはいけない。遅れたら無様なだけで、しかも時間には全然余裕がないという状況。


 「大丈夫かなぁ?まあ何とか頑張るんだ。」
 頼りない私は精一杯言い聞かせたのだが、次の瞬間、先生は「特に」と言って、私の名前を呼んだのだった。
 「ハイ?」 思わず一オクターブ高い声で返事をしてしまったのだが、先生は真っ直ぐに私を見ながら、こう言ったのだ。
 「ちょうどお前の組体操の位置が、校長先生やPTAの会長さんらの真ん前の位置になると思う。まさに目の前でフィナーレをやる事になるわけだから、絶対にミスの無いように。きれいに決めなきゃ、一番目立つで。」
 「えーっ!!」 私は内心、またもパニックに陥りそうになった。急にそんな事言われたって、出来るかどうか分からないっつーの。
 取りあえず口では、「あ、そうなんですか。分かりました。」 と言ったが、その後ず〜っと、本番まで、自分にプレッシャーをかけ続けていた。
 「あ〜あ!知〜らないっと。責任重大やぞぉ。失敗したら、お前一人のせいで台無しやで・・・・・。」


 それにしても、校長先生やほかのエラい人たちの目の前で、最後を決める役を、もともと、誰よりも演技が出来なかったこの僕がやるとは、一体どういう風の吹き回しなのだろうか?W先生からの報告は、何とも衝撃の一言としか言いようの無い報告だった。練習だけでは克服出来ないプレッシャーを感じていた。

運動会本番当日。いよいよ
組体操が始まる。これは前半部分
一斉に校庭内を駆けて、そのまま組体操の体勢に
いこうとする。ラストシーンの直前だと思われる。



最後の瞬間 ! 運命のホイッスル


 1985(昭和60)年10月2日、いよいよ本番を迎えた。6年生だった私にとっては、今更ながら述べるが、小学校生活最後の運動会という事になるのだ。だが、そんな感慨に浸る気持ちなど、みじんにも無かった。
 とにかく心配、心配、心配、それだけだったのだ。当たり前の事だが、前面にはテントが張られ、本部席も設けられていた。背広姿の『エラい人』の姿も確認でき、「いよいよ来たか・・・・・」 というような感じだった。


 最高学年のパフォーマンスは、確か午後からだった。半分のどを通らない心地で昼ごはんを食べ、午後の何番目かのプログラムで、ついに『その時』が来た。
 まずは入場行進。胸中が非常に暑くなり、緊張感が高まる。顔の筋肉が硬くなってきて、手にはうっすら汗を握っていた。


 先ずは最初の練習で後頭部から転落した、『倒立→肩車』をやった。これは、位置もずっと後ろのほうだったし、難なくこなす事が出来た。そして最初の『山(文字通り)』もクリアし、あとはもう、フィナーレの瞬間だけだった。
 「ここまで失敗なしで出来たんだ。これで最後だけ出来なかったら。」とゴチャゴチャ思う暇も無く、ついにBGMは最終フレーズに入り、その時≠ェやってきた。


 ダダダダダー、ダダダダダーと、フィナーレの位置に移動するためにダッシュで走り、最終組体操の3人が揃う。一息つく間もなく2人がしゃがみ、私が上に乗り、2人が立ち上がり、そして・・・・・、
 BGMが終わった〜っと同時に、立ち上がる〜。両手をピーンと伸ばして、出来たぁ!
 極限まで高めた緊張感の中、ついにやった。成功した!


 『ピーッ』
 ホイッスルが高々と響いた。このホイッスルで、私はしゃがんで両手を下の2人の頭に付ける。ここからはもう、間違えようが無かった。
 しゃがんだ時、目の前に校長先生が座っているのが、よく見えた。PTAの会長さんや自治会長さんらも座っていた。その後、短い笛が2回なって、組体操は解体≠ニ同時に退場の音楽が鳴り始め、一堂は全てをやり終えて退場した。


 「・・・・・・・(感無量)。」
 うまくいった。助かった。入場から通じてノーミスだったし、最後をバッチリ決めて、恥をかかなくて済んだのは、本当に何よりの成果だった。何か、大役を果たしたかのような気分に、一人浸っていた。


 思えば、最初はひたすら失敗し、周りに迷惑をかけ、どうなることかと思った。出来るものなら棄権したいとさえ考えたが、投げ出すわけにもいかなかった。
 最後の瞬間、本当に緊張した。しかし、しっかり立てて両手を広げた時、その緊張が、大変心地よいものに変わり、終わった後は充実感となって、再び我が身を包んだ。
 小学校生活最後の運動会は、こうして無事に終えることが出来た。

『最後の瞬間』の場面。私の姿は見えないが、
とにかく、校長先生の正面であった。
この写真は、小学校の卒業アルバムより抜粋した。
こうして見ると、いかにもすぐ出来そうな気がしますけどね。
私にとっては、こんな難しい事をよくやれました(花丸)。



 あれから22年、中学生の時にも、運動会で組体操があり、両手から変な落ち方をして、両腕の腱を痛めたことがあった。相変わらず組体操は、私にとって天敵であった。
 正直、もう二度とやりたくないし、今となっては到底体がいう事を聞かないだろう。しかし、最後までやり遂げた、責任を果たしたという経験は、大きな財産になっているに違いないと思う。


 最後に、このエッセイの公開日は、10月10日。現在は祝日が『第○週月曜日』に統一された関係で、日付が毎年バラバラになっているが、10月10日は、もともとは『体育の日』だった日である。
 

(完)


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