クルコに教わったこと

 クルコは、私が2歳になる直前から16歳半の時まで、私の傍にいた犬である。最後の1年弱は、トロと2匹で暮らしている状態で、このクルコが死んだことにより、トロの『一匹生活』がスタートしたのだった。

 トロとクルコの2匹暮らしが始まった頃、私はどちらかというと、若くてよく遊び、よくジャレついていたトロに、意識が集中していた感があった。
 いつも遊びに行くと、トロとクルコの両方が迎えに来るのだが、まともに引っ付いてくるのはトロのほうだったため、私はいつもトロに最大限反応し、クルコのほうには、少し顔を向けるという程度になっていた。
 クルコは、かなりヤキモチ焼きなところもあり、トロに対してライバル心をあらわにしていた。そして少々イケズなところもあったため、私はどうしてもトロ1匹に夢中になり、クルコのことは、いつしか『ついで』に近い様な存在に、なってしまっていたのだ。

 そんなある日の事。夜、私がトロに会いに親戚宅に走ってやってきた。そしてちょうど家の前に着いた時、実はクルコがすぐ傍を散歩中であったのだが、暗かった事もあって、全く気付かずに素通りし、家の中に入った。そしてトロと『至福の時』。
 間もなく、クルコが飼い主とともに散歩から帰ってきた。私は急に玄関のドアが開いたのを見て、初めてクルコが散歩に行っていたと分かったのであるが、この時、連れていた飼い主が私にこう言った。

 「クルコなぁ、あんたが向こうから走ってきたら、一生懸命あんたの方へ走ろうとしてたぜ。」

 「あ、そうなんや。」 と普通に答えたが、次の瞬間、私は何とも言いようのない『罪な気持ち』になり、胸が痛くなっていた。
 そう。気付いたのである。クルコが、ふだん私から満足に可愛がられていなくても、私を見れば、歓迎する気持ちはトロと少しも変わらないという事に。
 せっかくクルコも、同じように私の事を好いてくれ、同じように喜んでくれていたのに、私はそれに満足に応えていなかった・・・・・。そのことをハッと思い知って、たちまち『申し訳ない』という気持ちで一杯になったのだった。
 そもそもクルコは、後ろ足が不自由である。その上この時点ではかなり高齢で、満足に走れる体力は無かったはずだ。それでも、私を見ると喜びを体で表現してくれたのである。
 
 「クルコは、そして犬は、なんと人を恨まない存在なのだ・・・・・!」

 飼い主は、私がやや偏りがちな可愛がり方をしていた事には、恐らく気付いていない。先ほど私に声をかけてきたのも、何気なしに言ってきただけである。
 だが、私にとっては、とてつもなく重い一言となった。
 
 クルコが、いかに私の事を裏切っていなかったか。そしていかに気を悪くしていなかったか。ズッシリと心に響き渡ったのであった。
 私がどんなに冷たくしていようと、どんなに無神経でいようと、犬は少しもその事を気に留めてはいなかった。ただただ私の『犬好き』という本質のみに反応し、まっすぐに喜んでくれていた。
 あまりにも何もかも許されている自分が、逆に悲しくなった。そして、今までに無かったぐらいに、精一杯クルコに構い、いったんトロを別室にやったりして、クルコと二人きりの時間を設けた。いつも以上にクルコの体を触ってやると、クルコも満足してくれたようだった。

 その後も、必ず私は『クルコとの時間』を作り、また、散歩にも私自身がしばしば連れて行った。散歩中、私がクルコに話しかけると、何となく話が伝わっている気がした。
 尊いメッセージをくれたお礼と、ある意味で罪滅ぼしのような感情も込めながら、私はクルコの存在を二度とおろそかにはしなかった。

 犬は許してくれる。そして決して悪く思わない。表面の態度に対してクレームを付けずに、心根を察知してけなげに歓迎する。
 犬は優しい・・・・・・。

 あの『私を目がけて走った日』から約半年。急性肺炎のため、クルコは逝った。
 最後まで、クルコへのお礼は忘れなかった。本当に、ありがとう・・・・・。


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