キップの画像をクリックすると、次へ進みます。なお、実際にオークション等に出展≠キる事は有り得ません。念のため。(^_^;

最新の展示画像を見る

各画像の右または下側に、解説があります。 ずいぶん縦に長いキップですが、
1983(昭和58)年10月、
大阪城築城400年博覧会に
行った時の記念キップです。
公園の中を、本当に長い間歩きました。
イベントの詳細はよくは覚えていないのですが、
とにかく天守閣が長蛇の列になっていたのが、
最も印象深い光景として脳裏に残っています。
あとは迷子の案内放送がうるさかった事も、
強烈に印象に残っていますね(笑)。


これは1990年(平成2年)、『国際花と緑の博覧会(花博)』を見に行った時の入場券です。4月1日の開幕だったのですが、私は4月4日頃に早速見に行きました。ちょうどこの日は花博会場で大相撲巡業も行われたので、それを観るという目的もありました。当日は天候が悪かったのもありますが、昨年の愛・地球博に比べると、はるかに空いていたし、入場ゲートでもそんなに並びませんでした。
この『花の万博』は大阪にとって、90年の最大のイベントになったと思います。



1994(平成6年)7月、青森県の恐山に参拝に行った時の記念乗車券です。上の画像がおもて、下が裏側で、裏には『幼児和讃』と題して、語句が書かれています。
なお、この乗車券は、下北交通の発行ですが、現在は下北交通は廃止となっています。在りし日の下北交通の写真と、恐山で私自身が撮った写真は、こちらのページに載っております。



1985年(昭和60年)の元日、広島市電に乗る時に買った、一日乗車券です。一日乗り放題なので、とにかく乗りまくりました(笑)。下の画像が裏面になりますが、『動く交通博物館』と書かれていますね。昔から広島市電は、『動く路面電車の博物館』とも呼ばれていまして、本当に全国各地、そして海外からも車両がやってきて、百花繚乱のごとく走り回っています。この乗車券の写真を見ていても、そのバラエティーの豊かさが十分に伝わってくると思います。広島市電には、これまでに4回訪ねているのですが、この時が最初でした。


1993年、大阪市交通局は創業90周年を迎えました。その時に発行された、記念乗車券です。価格は850円でしたが、これを使って私は実に3,600円分の地下鉄・ニュートラム・バスを一日乗りまくりました。ざっと4.5倍元を取ったわけで、今までで一番、夢中になって乗りつぶしをした時だったと思います。時に私は二十歳になった直後。若かったものです。この当時の各交通機関の車両陣は、今とは大分顔ぶれが違っていました。右側の券の一番下にニュートラムの車両が写っておりますが、当時はまだ新しかった、この初代のニュートラム100系車両も、現在では全車引退しています。


1994年、今は無き南部縦貫鉄道に乗った際、現地で購入した物です。
野辺地か七戸か、どちらで購入した物かは忘れてしまいましたが、確か起点である野辺地で購入したと思います。
1992年、同社が開業30周年を迎えた時に発売された記念乗車券なのですけど、それから2年経った私の訪問時でも、まだ販売が続いていたというのは、なかなかすごい話だと思います。

4枚セットで、私は青森らしさという事で、3枚目に掲載した雪景色の中のキハ10(レールバス)の写真が、一番気に入っています。
一番下には、ケースも載せました。この裏側には、キハ10の重量や寸法などのデータも、表形式で詳しく書かれていました。

改めて、この可愛らしい顔つきのレールバスが懐かしいです。




1986年(昭和61年)の元日に購入した、長崎市電(正式名称は長崎電気軌道)の一日乗車券です。
小学生時代最後の正月でもあった1986年、私は前年年末から家族で長崎に旅行し、まずは雲仙に行きました。そして天然硫黄の香りにたっぷりと包まれた(笑)後、島原鉄道→国鉄(現JR九州)諫早線・長崎本線経由で長崎市内にやってきたのでした。
原爆都市としての長崎を知らない人はいませんが、私自身は、長崎市で一番楽しみにしていたのは、やはり路面電車でした。

当時最新鋭だった、2000型(上の写真に写る)にも、ずっと待ち伏せた末にようやく乗り、各形式を乗破=A車庫も見てきました。もちろん全線完乗し、半日私一人の自由行動で、まさに乗りたい放題でした。

大人になって以降は、コテコテの懐古主義者になった、鉄道ファンとしての私ですが、この頃はまだ、新車にも相当な魅力を感じていた時代でした。中でも路面電車に関しては、今でこそ次世代型路面電車(LRT)も珍しくなくなりつつありますが、当時は釣り掛けモーター音のしない、新性能の路面電車自体が、非常に少なかったのです。それだけに、2両しか無かった最新鋭の2000型に乗ることには、こだわりました。

下の画像は乗車券の裏側で、路線図になっています。何故か2系統が存在せず、1、3〜5の4種類の系統によって運行されていましたが、これより20年が経った現在では、果たしてダイヤはどの様になっているのでしょうか?

市電だけではなく、出島や平和公園にも訪れたこの長崎旅行は、中学時代をまるまる北京で過ごした私にとっては、北京駐在前の、最後の国内旅行となりました。そしてこの時、既に私は、来たる4月より北京に行くことを、父から告げられていたのでした。



1989(平成元)年3月に発売された、阪急電鉄1010・1100系引退記念乗車券です。私は実際に発売されていた当時に購入し、確か購入場所は北千里だったのを覚えています。
引退後も、能勢電鉄で1000系として一部が残りましたが、阪急としては、この系列の引退によって、いわゆる2000系シリーズ以前の、片開き扉、チーク木目模様の車両は姿を消したのでした。

長らく宝塚本線でも8連で活躍していたこの1010・1100系を、私は非常に好んで乗っていました。独特の丸みのあるスタイル、そして片開き扉というのが、阪急においては古き良き味を感じさせるものでした。一度は地元豊中駅で電車を待っている時、この系列が急行運用で通過して行ったのを目撃した事もあります。片開き扉シリーズとして最後まで残っていたこの両系列を見送るために、私は1989年2月末〜3月初旬にかけて、毎日のように箕面・伊丹両線に足を運んだものです。

この時期、ちょうど私にとっては、高校の合格が決まった直後の、一番晴れやかで解放された時。今振り返っても、人生で一番いい時でした。それを祝えとばかりに、思いっ切りハメを外す一方、一抹の寂しさも覚えながら、物心ついて以来のひいき車両だった1010・1100系の最期を追っていたのでした。

受験勉強でしんどかった中学3年の夏休み(1988年)の時も、時に息抜きに箕面線に出かけ、1106編成に乗るのが楽しみでした。
私の合格にギリギリ間に合うタイミングまで頑張ってくれた1000系列。喜びに満ちた気分の中で、別れを告げることになったあの頃を、私は昨日の事のように覚えております。



1983(昭和58)年5月に発売された、大阪市営地下鉄50周年記念乗車券です。4枚セットで、本来ならこれに加えてケースも公開したかったところなのですが、保存状態が良くなく、表面の荒れが目立つので、読み込み(スキャナーで)を控えることにしました。この記念乗車券は、購入当時は私は嬉しくていつも眺めていたものですし、ちょうどこの直後に私は2週間近く入院しましたので、病院にも持ってきてもらっていました。
大阪地下鉄50周年記念は、大いに盛り上がった様で、私も当日である5月20日に、もっとイベントに参加してみれば良かったな、と、後になって思いました。そしてこの乗車券、ユニークだったのは一番左上の物です。旧100型と戦前の御堂筋が写っていますが、よ〜く見ると、それと重なるようにして、僅かに10系が写っているのが見えないでしょうか?これ、実は二重画面(?)の様な作りになっておりまして、角度によって、戦前の御堂筋をバックにした旧100型と、現在(83年当時)の御堂筋をバックにした10系が浮かび上がります。この当時は、まだ冷房車も御堂筋線の10系12列車しかなく、エレベーターのある駅も僅かでしたね。あれから約四半世紀、路線長も更に延び、大きく発展したものです。



1992年4月19日に行われた、能勢電鉄610系さよなら運転の記念乗車券です。正確には、上の画像がスタンプラリーで、下の画像が、さよなら運転当日の一日フリー乗車券となります。

この能勢電鉄610系、元阪急610系ですが、本当によく乗りに行ったものでした。特にこれより古い、320形や500形と呼ばれる小型車が全車引退して以降、いわゆる昭和初期の流れを汲む、阪急の旧標準スタイルの車両は、この610系のみとなりました。暗い色調の木目模様の車内に、懐かしの釣り掛けモーター音、屋根部が張り上げではない正面など、戦前〜昭和20年代の面影そのまんまの懐かしい電車。一般の乗客にとっては、他の車両との落差があり過ぎるという存在だったこの610系も、私のようなファンにとっては、原型の味がたっぷり残る、たまらない存在だったと思います。

名残を惜しんだ最終日、雨模様の中、古いモーターをきしませながら力走をしたその姿を、私はいつまでも忘れることはありません。この頃、まだ能勢電の川西能勢口は地上駅。独特の急カーブも存在していました。その一方で、阪急の同駅は既に高架になっており、乗り換えに相当長い仮通路を歩いたのをよく覚えています。


1985(昭和60)年4月5日の、大阪市営地下鉄中央線深江橋−長田間開通の記念乗車券です。将来は、当時建設中だった、東大阪生駒電鉄(現近鉄東大阪線)と相互乗り入れをし、生駒まで向かう事を前提に、開通した区間でした。
それまで中央線は、左側の乗車券に写っている2つの電車のうち、左の50系という車両の4両編成ばかりで運行。その当時の中央線にも何度も乗りましたけど、空いていてローカルな感じのする地下鉄でした。それが、この延長を機に編成は6両になり、車両も、この乗車券にも写る、当時最新鋭の20系と、御堂筋線から転属してきた30系が加わるようになり、一気にバリエーションが増えました。20系はその後谷町線にも登場しましたが、現在は、合計16編成全車が中央線に集結、側面の塗り分け方や走行音が変わりましたが、主力として活躍しています。1986年10月1日に生駒まで延長運転が開始され、大阪の地下鉄が、初めて府外に姿を見せるようになりました。
長田延長以前、大阪港−深江橋12.3kmの往復だった中央線は、現在は南港のコスモスクエアから、近鉄の学研奈良登美ヶ丘までを結ぶ、全長36.7kmの往復にまで成長しました。相互乗り入れの近鉄東大阪線は、現在はけいはんな線と改称されています。
ところでこの乗車券は立体折り紙式になっていて、右の画像の上半分に、上下逆ですが作り方が説明されています。手先が極端に不器用な私は作ってみませんでしたが(笑&汗)。


1983(昭和58)年8月に購入した、阪急電鉄710系さよなら記念乗車券です。当時私は10歳(小学4年)でしたが、恐らく初めてリアルタイムで手に入れた、『さよなら記念乗車券』だったと思います。
京都線のかつての“女王”、710系ですが、私はいつも京都線の特急が桂を通過して行く時(当時の停車駅は、十三・大宮・烏丸のみだった)に、6300系の車内から見た記憶はいくつかあるのですが、実際に乗った記憶がどうもありません。というよりも、当時、嵐山線に乗った事自体、無かったのではないかと思います。私が初めて嵐山線に乗った時は、車両は既に1300系に置き換わっており、従って710系より数ヵ月後に廃車となった1600系も、見た事はありますが乗車した記憶はありません。
桂車庫で待機する710系の姿も目撃した記憶がある私ですが、肝心の、実車への乗車がどうやら果たせなかったらしいという事は、今振り返れば大変残念な事だと思います。神宝線用の810系なら、84年頃に何回か乗りましたけどね。
それにしても、こうして記念キップだけはしっかり購入していたというのは、何ともユニークなパターンではないかと思います。


1990(平成2)年6月1日、千里中央−南茨木間に、大阪モノレール(正式名称は大阪高速鉄道)が開業しました。その時の記念乗車券です。左側が乗車券ですが、当時はまだあまり主流ではなかった、カード式ですね。この頃、大阪市の鶴見緑地では花の万博が開かれておりまして、その入場券もカード式でした。関西に新しく開業した鉄道は、記念乗車券発行にあたっても、従来の紙製ではなく、近未来的なカード製にしたのでしょうか?そして上の路線図は、記念乗車券のケースに書かれていたものですが、既に開通当時から、最終的には門真まで延伸される計画だった事が分かります。駅数も実際と同じですが、駅名には若干違いが見られますね。大阪空港が、当時まだ国際空港だったからそう書かれているのは当然として、柴原が大阪大学前、門真市は「門真」となっています。また「茨木」駅は、開業7年後に「宇野辺」に改称されました。彩都線は、ここでは掲載されていませんね。『大阪にモノレールが出来て、路線は大阪空港から南茨木までになる』という話を最初に聞いたのは、1980年代前半の事でした。その時は、実現なんて遠い未来の話だろうと思っていたのですが、今や全通して10年以上が経っています。なお、この乗車券は、発売当初は買い損ねていたのですが、2009年夏にYahooオークションにて購入し、開業20周年を前にして、漸く手にする事が出来ました。出展者の方には心から感謝しております。


 
1992(平成4)年2月に購入した、阪急電鉄2000系の引退記念ラガールカードです。『記念乗車券』ではなく、『記念ラガールカード』という名称で売られているところに、時代の流れを感じました。
1960(昭和35)年、人工頭脳電車(オートカー)として、その性能の進化もさる事ながら、洗練された、斬新な阪急スタイルを確立した車両として、華々しくデビューを飾った2000系。第一号ローレル賞受賞にも輝くという、記念すべき車両ともなった分けですが、同時デビュー・同時表彰の京都線2300系が、多くが表示幕化改造を受け、初登場から丸40年経つまで一両も廃車が出なかったのとは対照的に、神宝線の2000系は、早々と地味に姿を消してしまいました。これには私も意外に思ったものですが、一方で大部分が能勢電鉄に譲渡されて1700系となり、現在もバリバリ主力として活躍しているので、その関係で早く姿を消したと見るのが正しいのかも知れません。阪急での最期は、甲陽線と今津南線という2km台の短距離線で、3連での細々とした運用でした。しかし引退まで3年を切っていた89年3月の時点では、本線特急でも姿を見る事が出来ました。
私は初期車両の『スケルトン構造』のドアが好きだったので、晩年、5200系に組み込まれていた2052によく乗りに行っていたのですが、宝塚線と箕面線での運用が無かった(2021系は別)関係で、あまり私の中では、印象の強い車両とは言えませんでした(5000系や5200系もまた然り)。
3000系や2300系とはまた違った2000系の走行音は、現在能勢電鉄1700系として味わう事が出来ます。


最初の展示画像に戻ります。
2001(平成13)年6月に購入した、JR和田岬線キハ35系さよなら記念乗車券です。京阪神地区で唯一、キハ35系に乗れる貴重な線区だった和田岬線ですが、01年7月1日を持って電化され、その前日、6月30日が、キハ35系運用の非電化路線としては最終日となりました。

私は、1983(昭和58)年8月、国鉄山口線でキハ35系に乗ったのをハッキリ覚えておりまして、塗装は当時ローカル線気動車の標準色だった、タラコ色をしていました。
それ以来かどうかはよく分からないのですが、少なくとも久しぶりのキハ35系乗車が、和田岬線でのラストランとなりました。
最終日の1週間ほど前に一度往復乗車し、その日に左画像の記念乗車券を購入。6月30日の最終日にも、夕方仕事が終わってから現地に駆け付け、最後を見送りました。
まだアナログカメラだった私は、その姿を写真に収めたのですが、実はこの時、とんでもない失敗を犯しておりまして、10年以上経った今でも後悔しています。それは直前に購入したフィルムなのですが、間違えて白黒用を購入していたのです。
某大学の売店で買いまして、私は白黒用があるという認識も無かったので、何のためらいもなく手前に置いてあったフィルムを購入しました。随分安いなと思いましたが、学校の売店だからだと思っていたのです。まさか白黒用だとは・・・・。
“生涯唯一の白黒写真”は、今も私の手元で保存されています。
苦い思い出も伴う結果となりましたが、キハ35系の6連運用は壮観で、70年代の雰囲気たっぷりの車内の造りも、脳裏にハッキリと焼き付いています。あの超鈍行は忘れられませんね。


1983(昭和58)年10月22日〜11月1日に開催された、大阪世界帆船まつりの記念乗車券です。大阪港にて開催され、日本の日本丸や海王丸など、計7ヶ国10隻の大型帆船が参加・展示されました。入港パレードや船内一般公開等が実施され、船舶ファンにはたまらないイベントとなったと思いますが、私は船舶に興味が無かったせいか、このイベントに行った記憶がありません。少なくともこの記念乗車券は開催当時から手元にあり、会場最寄りとなる地下鉄中央線にも、弁天町や朝潮橋に行くのにこの時期、しばしば利用していたことから、乗車券だけを駅で購入した可能性があります。最寄りとなった大阪港駅、そして準最寄りとなった中ふ頭駅からの乗車券となっていますが、当時地下鉄中央線は50系の独壇場、そしてニュートラムも勿論、全車初代100系1次車両で、扶桑呉羽ボディーのバスと合わせて、大変懐かしいです。ところで1983年は、同じ10月に大阪城400年祭りもあり、また5月20日には、地下鉄開業も50周年を迎えて前後に盛大なイベントが行われていて、大阪市にとってはイベント豊作の1年だったと言えます。



コレクション・記念キップの部屋へ