京阪石坂線[皇子山〜石山寺]乗車 撮影:1991年7月24日
大津を中心に滋賀県を走る“大手中小私鉄”である、京阪石坂(石山坂本線)。この日、私は初めて乗ってきました。京津線には何度も乗った事がある私でしたが、石坂線は浜大津で電車の姿は見た事があったものの、実際に乗るのは初めてだったのです。一気に全区間乗る計画も立てましたが、結局石山寺方面と坂本方面の2回に分けて乗車する事にしました。写真はJR湖西線西大津駅です。現在は大津京駅と改称されており、懐かしい旧駅名表示となります。東海道線大津駅は何度も行った事があるも、湖西線西大津駅は初めてでした。ご覧のとおり、ホーム柵の有無以外は新幹線の駅を連想させる、立派な高架駅です。


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西大津駅全景(といっても撮影位置が良くないですが)です。大津京駅に改称されたのは2008年3月15日ですが、駅名が変わった以外、様子はほとんど撮影当時と変わっていません。それにしても、やはり『西大津』の方が駅名としてしっくりくる印象ですね。『大津京』は、何やらちょっと中途半端な印象も・・・・・。『大津教』なのか?とも思えてしまうし(笑)。


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JR西大津駅から、接続している京阪石坂線の駅に向かう連絡通路です。この様な屋根付きの通路を歩いて、最後は暫しスロープを上る形になって、京阪の駅に着きます。なお、京阪の駅は『皇子山』という名前です。乗換駅は、やはり駅名が統一されている方が利用者としては有難いので、JRも改称するなら京阪と同じ名前にしたら良かったかも知れませんね。


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京阪皇子山駅に到着しました。丁度対向の坂本行き500形が停まっていたので撮影しました(遠いですが)。2両編成の小振りな車両が停まる駅は、なかなか可愛らしいものであります(笑)。恐らく現在でも駅の雰囲気は変わっていないでしょうね。ところでこの500形、撮影当時は全車健在であった上、製造後まだ12年と新しかったので、特段気にも留めていなかったのですが、この翌年〜翌々年の間に全車廃車され、車体は700形に流用されてある意味、健在です。この500形としての正面スタイルを見られるのは、この時点でもう残り少なかったのですね。予想していなかったので廃車の報を読んだ時はちょっとビックリしましたが、撮っておいて良かったです。


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皇子山駅プラットホームの様子です。これだけをパッと見ると、標準規格(大型規格)の鉄道の駅と、変わらなく見えますけどね。ただ、雰囲気は昭和かな?という感じがします。


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終点の石山寺に到着しました。先ずはプラットホームから駅名板を撮影。それにしても事前にイメージしていた駅とは大分違っていました。多分写真でも見た事が無かったのでしょうが、私は『石』『山』『寺』という駅名から、もっと山が迫っている平面積の狭い所で、直前には勾配もある、そして木々が多くて少々薄暗いという駅をイメージしていました。それが、結構視界の開けた、どちらかというとビーチに近い光景を思わせそうな、明るい感じの駅だったのです。のちに訪れた坂本駅の方が、元々描いていた石山寺駅に近い駅でした。線路横には比較的舗装が新しい道路、そして目立つ赤色の歩道。モダンさを感じさせる風景だと感じましたね。


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私が石山寺まで乗ってきた車両は、この614編成でした。正面窓がパノラマ仕様になった600形2次車です。好天に恵まれた事もあって、なかなか開放的な雰囲気に見えました。


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駅前を若干歩いた地点から石山寺駅を撮影しました。画面中央の下方、電車が停まっているのが見えるでしょうか。なお、この時停まっていた車両は、500形だと思われます。私の乗った次の電車ですから、私は一本見送れば500形に乗っていた事になりますね。駅の右側には、歩道も車道も広々としている道路、そしてその傍には、琵琶湖から直通(?)の瀬田川が流れています。川に近い駅だから、視界が開けているのですね。さて、石山寺多宝塔の模型と思われる目印の左側(画面左端ギリギリ)、谷商店という売店がありますが、これは現在でも存在している様ですね。


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折角石山寺駅に来たわけですから、石山寺にも入ってみる事にしました。この写真は入口です。石山寺は建造されたのが747年で、聖武天皇の発願が基となって誕生に至ったという事です。文学作品にも多く登場している様で、写真には撮っていませんが、境内には、国宝で日本三塔の一つ、多宝塔があります。


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『源氏乃苑』の石碑です。源氏物語に興味がある人の間ではよく知られている様ですね。この近くに紫式部の銅像がありますが、私は見た記憶が残っていません(汗)。紫式部と言えば、言わずと知れた『源氏物語』の存在がありますが、この物語を書こうとした切っ掛けが、この石山寺参拝にあったとする説があるそうです。私は歴史には全然詳しくありませんのでね(照笑)。なお、細かい話ですが、『源氏乃苑』という文字は、現在は赤色になっている事が、インターネット上の画像によって判りました。


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さて、石山寺を訪問した帰りは、石坂線で引き返すのではなく、京阪宇治交通のバスで一路、宇治駅に向かい、京阪宇治から中書島→淀屋橋経由で帰りました。現在は廃止されていますが、当時は石山寺と宇治を結ぶバス路線が存在していたのです。田舎をひた走る、ちょっとしたバス旅でしたね。写真は京阪宇治駅です。画面左方に、宇治線の京阪電車が停まっているのが見えます。支線の終点らしいひなびた感じの、ローカル色たっぷりの駅舎ですね。丸で路面電車の起点の様に、歩道から見てすぐ横に電車が停まっています。実は、宇治線に乗るのもこの時が初めてで、その後現在までに何度か乗車しましたが、初乗車は起点の中書島からではなく、終点の宇治からだったのです。


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京阪宇治駅前の通りの様子です。画面中央に写っているバスが京阪宇治交通で、この写真では判りませんが、行き先表示は茶屋村となっています。画面左にもう一台バスが見えますけど、これが私が乗ってきたバスだと思います。ちょうどここでUターンをするのですが、道幅も狭く、それもあってバスは中型サイズです。昭和のムード満点の、京の下町風情の漂う駅前で、歴史を感じさせる瓦屋根の店がつらなっていました。この様な風景が、その後も見られるものだと思っていました。


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じゃじゃーん!これが現在の、京阪宇治駅です。撮影は2007年7月29日で、実はこの時が上記の初訪問以来、16年ぶり2度目の訪問でした。懐かしくなって再び、今度は中書島から訪ねてきた私は、あまりの駅の変貌振りに思わず声を出して驚いてしまいました。上の写真は駅の入口ですが、2つ上の枠の写真と比べるとどうでしょう。あまりにも規模が変わってしまって、隔世の感があります。あの、道からすぐ電車が見えていた宇治駅は、一旦階段を下り、左下の写真の様なドーンと広いコンコースを通り、画面中央に写るエスカレーターを上がって、やっと電車の待つホームに辿り着くという、何とも奥行きの距離がある駅舎となりました。いや、しかし物凄く凝っている駅舎ではありませんか。美術館みたいですね。
後からインターネットで調べたところ、この駅舎は、私鉄の駅としては初めてグッドデザイン賞を受賞しており、しかも受賞年は1996年。旧駅舎から現駅舎への移設工事は、91年12月に開始されたので、私が初めて行ってから、僅か5ヶ月後という事になります。
「これは全然知らなかった。でも、消える直前の旧駅舎を訪ねて、写真にも残せて良かったな」と思いました。
現宇治駅は、旧駅に比べて180m中書島方向に後退し、宇治線の営業キロ自体も変更されているという事です。駅前は広いバスロータリーが整備され、狭い駅前だった元の面影は残っていません。
車両も新型車に全車置き換えられ、イメージは一新されています。


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