茨城県のJR石岡から鉾田まで27.2kmを結ぶ、鹿島鉄道という鉄道がありました。元々関東鉄道鉾田線だったこの鹿島鉄道は、昔ながらのレトロなディーゼルカーの、貴重な生き残りが走っていました。そんな、大阪では先ず縁の無いディーゼルカーたちに乗りたいと、鹿島鉄道を訪問してきました。ときに営業廃止7週間前。現地に着くと、名残を惜しむ数多くのファンや、地元の人などで賑わっていました。と同時に、存続運動が本当に熱心に行われている事が、ひしひしと伝わり、私も及ばずながら、応援したい気持ちになったものでした。しかし、2007年3月31日を最後に、廃止。それから1年、あの個性的で味わい深い車両たちに乗れた、鹿島鉄道の旅を振り返ってみました。

鹿島鉄道乗車 (1日目)    撮影:2007年2月11日    ※右側の画像をクリックすると次に進みます。

鹿島鉄道の起点、石岡駅です。いきなり渡り通路が写っています
が、JR石岡駅と一体となっていて、改札を入ってから鹿島鉄道の
駅に分かれていくという構造なので、この様なショットとなりました。
『ようこそ鹿島鉄道へ』、しかしこの文言も、もう見られません。

鹿島鉄道石岡駅ホームと、時刻表です。昔ながらの、
レトロな手書き調の字体の時刻表でした。待合室も、
いかにも古びた感じで、懐かしいですね。

路線図です。このサイズの画像では少し見にくいですが、
終点まで、所要52分でした。ちょっとした、“鈍行の旅”です。

さて、構内の車庫で待機する車両に、目を移します。手前は
元加越能鉄道のキハ432。1957(昭和32)年製で、かつて
大流行した『湘南型スタイル』を今に伝える、貴重な生き残りでした。
向こう側の車両は、車体が大幅に更新されているために、手前の
車両より新しく見えますが、実は戦前製という、日本最高齢の
ディーゼルカー(気動車とも言う)でした。

右側の車両は、元夕張鉄道の車両で、キハ714形と呼ばれて
いました。1953(昭和28)年製で、運用は毎月1回土曜日のみと
なっていました。あいにく私がいた日は土曜ではありませんでした。

キハ714の側面です。いかにも昭和20〜30年代という様な、
味のある格好です。窓と窓の間隔がやや広いのは、北国の
北海道で走るための設計だったからだと思います。

列車が来るのを、今か今かと待っていたら、やってきたのが
この車両でした。3枚前の、キハ432と同型の、キハ431。
「おお!一発目はこれに乗れるんだ!!」と喜んだのも
束の間、この後回送になって、入庫してしまいました(悔)。

結局私が乗る列車となったのはこの車両。KR-500形と言われる、
最新鋭の車両です。平成時代になってから誕生しました。旧型車が
来ることを期待していた私としては、ちょっぴり残念でしたね(^^;。
前面に、☆マークの電飾が付けられています。廃止が近付いていた
この時期、惜別を記念してのものでしょう。なお、この画像は、
終点の鉾田駅に着いてから、撮影したものです。

最新鋭車の車内ですが、車内にもこのように、天井一面に電飾が
なされていました。惜別ムードを盛り上げようと、全社を挙げて
力を入れていたことが覗えますね。

ズラリと同じ車内広告が貼られていましたが、内容は
『鹿島鉄道応援ソング』。なんと!歌まであったのですね。

前方の眺めを見る。ここはまだ石岡駅からさほど遠くないため、
周囲には家も見えます。しかし終点近くになると、ひたすら
雑木林のトンネルを抜けていくような路線となり、典型的な、
ローカル線の風景となっていました。

こちらは進行方向左側の車窓風景。西陽の演出で、車両の影が
長く向こうに延びています。一面田んぼが広がる、のどかな風景
ですね。向こうに見える、一見古墳らしき物は、何なのでしょう?

前方に見えるのは霞ヶ浦です。実に美しい、霞ヶ浦の夕陽を
撮影する事が出来ました。こんな美しい景色を、この鹿島鉄道
からは見れたのですね。つくづく、無くなったのが惜しいです。

もう1枚夕陽の画像を。たまたま地平線に太陽が沈む、その
一番良いタイミングに、この地点の通過時刻が重なった事を、
心から幸運に思いました。夕陽に照らされて、ビニールハウス
の反射も、また美しいですね。印象に強く残りました。

運転席部分を撮影です。外は民家もまばらに。
『石岡⇔鉾田』の表示が見られるのも、あと僅かでした。

終点、鉾田駅にて。正面に、太陽のような形の電飾がなされて
いますが、反対側の正面は先ほども登場してきた☆で、両側で
それぞれ違う形の電飾を施していたのですね。凝っています。

終点、鉾田駅の、駅名表示です。この、昭和の香りが漂う字体が、
何とも言えません。相当な年季を感じさせますね。

鉾田駅の駅舎。開業は1929(昭和4)年で、78年の歴史が
偲ばれる、原型に近い駅舎でした。

駅舎内部。正面が改札口ですが、何とも簡素ですね。ここでも
存分に『古さ』・『懐かしさ』を感じました。出来るものなら、
一つの“建造物遺産”として、保存してほしかったですね。

駅舎を正面にして、左側にタクシーの営業所がありました。
『鉾田駅前タクシー』と書いてありますが、果たして鉾田駅が
消えた今は、どうなっているのでしょうか?

最新鋭のKR-503正面です。空が完全に暗くなって、電飾が
より一層、きれいに映える様になっています。鉄道廃止にともな
って、僅か15年ほどの活躍で廃車になってしまった車両も
いるわけですね。もったいない話です。

反対側の正面。これは富士山を形どっていますね。本当に各車両
電飾の形が違って、見事だと思いましたが、ここまで芸の細かい
『惜別行事』をやったからには、それだけ名残惜しさも強いという事
ですね。左には、『かしてつ(鹿島鉄道のこと)を救え!」と書かれた
横断幕が掲げられているのが見えます。子どもが作ったのでしょう
か?“かしてつ”は、子どもたちの思い出も運ぶ存在でした。

これは先ほども少し出てきましたが、戦前製のディーゼルカーです。
キハ600形と呼ばれるこの車両は、正面から見ている限り、そんな
に古そうには見えないのですが、それは1972(昭和47)年に大幅に
リニューアルされたためで、実際には1937(昭和12)年製という、
実に70歳の、日本最古のディーゼルカーだったのです。確かに、
傍に立っていて、漂ってくる匂いとかに、古さを感じました。

鉾田駅で待機中の、キハ602です。扉や窓並びなどに、時代を
感じます。非常に貴重なディーゼルカーの生き残りで、鉄道廃止
による引退は、惜しまれるものがありました。なお、このキハ
600形は、元国鉄(現JR)の車両で、07形と呼ばれていました。

キハ602車内。木張りの床、ズラリと長いシート。往年の通勤
車両の面影を感じます。風格がありました。

乗務員室です。円状の、ハンドルの様な操作器が懐かしい・・・・。

ボッコリ大きいボックスになっているのは、冷房装置です。
車齢70年という『大老』でしたが、冷房化はなされていました。

キハ602のドアです。鉄道でもバスでも、古い車両のドアでは、
将来窓ガラスをはめ込む事を想定しているかの様な、『縁取り』、
または『型取り』がされている物が多く、、これがマニアにとては
たまらなく魅力的に映っていました。キハ600形は2両あり、
これが602号車だったのですが、もう1両の601号車は、ドアが
ステンレス製の新しい物に更新されていたため、古い味一杯の
このタイプのドアは、602号のみでした。

石岡に到着したキハ602。この日のお勤めは、これで終了でした。

JRのホームから見た、石岡駅。夜間には、駅ホームも、電装が取り
付けられていました。因みにホームの手前部分は何もない地面にな
っていますが、恐らくかつてはレールがあったのだろうと思われます。


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