元大関魁皇引退、年寄浅香山襲名披露大相撲

    〜 引 退 1 周 年 記 念 公 開 〜


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東 方

西 方

2012年5月27日(日)、このところ度々荒れ模様の天候が各地を襲う中、見事なまでの好天に恵まれたこの日に、元大関魁皇の引退、年寄浅香山襲名披露大相撲が、両国国技館で行われました。会場入口に設置された案内看板です。次々とファンの人が、この看板と横のポスターと共に記念撮影をしていました。この日が来るのを、私はチケットを買ったその時からずっと楽しみにしていましたが、いよいよ当日を迎えたという事は即ち、魁皇の髷姿が見られなくなる日が来た事を意味します。 私が会場に入った時は、ちょうど十両の取組が終わって、髪結いの実演が始まるところでした。この写真は、その実演が終わったところで、モデルとなっていた友綱部屋の魁聖が礼をするところです。実は私は、髷結いの実演中、ずーっと館内をグルグル何周も回って、自分の席を探しておりました。そして漸く見つけた時には、もう実演が終わるところだったという訳です(照)。何故そこまで席を見つけるのに手間取ったのか?実は自分が思っていた席の場所と実際の席の場所が、ちょうど対角線上に180度違っていたのです(恥)。そのため、最初の内は自分の席から、対角線上に一番遠い所ばかりを探していたのでした(嘆)。


さあ、これからいよいよ、断髪式が始まります。午前中は子どもたちに稽古をつけるため、廻し姿だった魁皇が、紋付袴の正装姿でやってきました。先ずは地元、直方魁皇後援会の会長によるあいさつです。長年支援してきた者として、万感胸に去来するものがあったと思います。 私の席から、ズームを一切使わずに土俵方向を撮影した画像です。そう、実際にはこんなにも距離が開いていました。


いよいよ断髪式が始まりましたが、魁皇の向きにご注目。こちらには背中を向けていますね。先ほど、席の場所をなかなか見つけられなかったと述べましたが、それもそのはずで、私は魁皇を正面から見る位置の席を取ったものとばっかり思っていたのです。ところが、実際にはご覧の位置でした。私の周囲の席もほぼ埋まっており、超満員でしたが、それにしてもドジなミスをしたものよな〜、と悔やむことしきりでした。なお、魁皇の手前、鋏を入れ終わって退場しようとしているのは、麻生元首相です。歴代の総理大臣がいきない現れて、館内は「おおーっ!」と反応していました。 続いて上がってきたこの方は、サッカーなでしこジャパンの佐々木監督です。今や世界が認める「なでしこジャパン」。2011年FIFA女子ワールドカップでチームを優勝に導いた、その佐々木監督が登場したので、館内から歓声が沸き起こりました。この画像では誰だかよく分からない写りになっていて、どうもすみません(詫)。


これは館内に掲げられている優勝旗です。国技館といえば、やはり目が行くのはこの優勝旗ですね。このショットを収めたのには訳がありまして、国技館では東京場所毎に、直前2場所の優勝額が掲示され、最古2枚(2場所)の優勝旗が取り外されます。左の、平成二十四年三月場所の優勝額は、一場所前の物なのでこの時点で最新です。そして右は一気に遡って平成十八年九月場所で、これが最古という事になります。従って来たる九月場所前には取り外される運命にあり、この2枚が隣同士で並ぶのは、今だけとなるのです。 さて、断髪式の画像に戻りますが、土俵上、丁寧にお辞儀をしているこの人は、徳光アナです。恐らく知らない人はいない名アナウンサー、この画像も写りは悪いですが、徳光アナの登場に、またしても館内は「おおー!」と歓声が上がっていました。しかし流石は名大関にして人徳大関の魁皇、鋏を入れる人の顔ぶれも豪華ですね。


さて、こちらは特設の司会席です。向かって右に座っているのがお馴染み、NHKの刈屋アナです。この日の進行役を務めており、断髪の進捗状況を見ながら、次に鋏を入れる人の名前を呼び上げていきます。刈屋アナは、この直前に行われた夏場所で最高齢優勝を飾った旭天鵬への、優勝インタビューも担当していましたね。私は会場入りしてアナウンスの声を聞いて、すぐに刈屋アナだと判りましたよ(笑)。 こちらも司会席の刈屋アナですが、左手を前に伸ばして、何やら方角案内をする様なポーズになっています。実は時間が少々押し気味になっており、鋏を入れる人がスムースに動くよう、「こちらとこちらからも土俵に上がっていただけます」とアナウンスをしていたのです。つい手も動いていた訳ですね。


再び断髪の様子へ。土俵上に立っているこの人、頭のてっぺんの、黄色いとんがりヘアに見覚えのある方も・・・・・。そう、はなわさんです。私もそんなには見た事が無いのですが、お笑い芸人であります。長所も短所も、「誰にでも気を遣う」だそうですね。因みに誕生日が魁皇と4日違い・・・・・(^^)。 さあ、このページの進行はまだ3分の1ほどですが、断髪式自体は大詰めを迎えてきました(笑)。ここからは、画像が正面からのアングルとなります。実は断髪式の終盤、魁皇にとって特に所縁のある人が土俵に登場するのに先立って、席を移動したのであります。しかし移動といっても、いい位置の席は当然満席。ですから私は他の“立ち見ファン”と共に、座席と座席の間の階段通路を、一番下まで下りたところで屈みこんで撮影していたのです。こうなりゃ意地でした(笑)。で、正面に回ってから登場した第一号は、漫画家のやくみつるさんです。相撲界の諸問題に対しても積極的に意見や指摘をしているやくみつるさん。知らない人はもちろんいません。刈屋アナに紹介されると、館内から一斉に「おおー!」と声が上がりました。


スキンヘッドのこの人は、元幕内戦闘竜のヘンリー・ミラーさんです。アメリカ・ミズーリ州出身の力士として話題を呼び、平成6年九州場所新十両、平成12年名古屋場所には新入幕を果たしました。その、新入幕を決めた平成12年夏場所に魁皇が初優勝。支度部屋でお互い抱き合って号泣して喜んでいたのは、今でもよく覚えております。怪我が多く、幕下に陥落して苦しみました。平成15年九州場所限りで引退しましたが、同場所中に横綱・武蔵丸も引退しており、戦闘竜の引退を最後に、アメリカ出身の力士がゼロになりました。 元幕内朝乃翔の小塚一さんです。朝乃翔は徹頭徹尾突っ張る相撲で館内を沸かし、平成9年春場所には横綱・曙を倒す金星も挙げています。自己最高位の前頭2枚目を2場所務め、成績はいずれも7勝8敗。惜しくも三役には上がれませんでした。網膜剥離のため、平成14年初場所前に引退しています。


元小結和歌乃山の、西崎洋さんです。魁皇とは同期生で同い年。『花のロクサン組』の一人でライバルでしたが、出世のほうは、新十両が平成3年名古屋(魁皇は同4年初)、新入幕が平成4年夏(魁皇は同5年夏)と、のちの名大関に先んじています。ただ、その後は糖尿病のため長く下位に低迷し、平成11年名古屋場所には、実に5年ぶりの再入幕を果たしてファンを感動させました。この間、2年にわたり幕下にも陥落しており、まさに『地獄を見た男』です。平成13年春場所に小結に昇進した時には、魁皇は大関になっていました。33歳で引退。39歳直前まで頑張りぬいた古きライバルに鋏を入れます。 元力桜の井上猛さんです。いわゆる『花のロクサン組』と聞いた時、曙・貴乃花・若乃花・魁皇・和歌乃山の5人を思い浮かべる人は多いと思います。しかしどっこい、この力桜も昭和63年春場所初土俵であり、幕内まで出世しているロクサン組です。年齢も魁皇と同い年。結局、幕内まで上がった『花のロクサン組』は6人という事になり、内3人(貴乃花・魁皇・力桜)が、昭和47年生まれの中卒たたき上げとなります。力桜は、新十両は21歳の時と早かったのですが、入幕まで実に3年を要し、終わってみれば最スロー出世力士の様な印象となりました。僅か24歳で相撲を辞め、プロレスラーに転向しましたが、古巣の同期同い年の新しい門出を祝って、鋏を入れます。


この人、久しぶりに見ました。元小結旭道山の、波田和泰さんです。旭道山は、魁皇と同門の大島部屋の力士でしたが(2012年4月大島部屋が閉鎖して、所属力士が友綱部屋に移籍)、新弟子時代の魁皇が、付き人を務めていたそうです。この時の紹介で初めて知りました。旭道山は現役中に突然国会議員になって角界を去るなど、衝撃的な話題をもたらしましたが、同じ九州出身の魁皇とは、その後も親交があった様ですね。 さあ、館内「待ってました」かの様な大歓声に包まれて、ついにこの人がやってきました。第64代横綱・曙です。この曙こそは、豪華『花のロクサン6人衆』の中でも出世頭で、一番早く大関・横綱まで昇進した力士。引退から既に12年目を迎えている曙ですが、魁皇がずっと現役で頑張っていたからこそ、その魁皇の名勝負の相手として、曙もずっと、時間的には近い¢カ在として印象が留まっていました。実に30回以上、ほぼ白鵬戦と同じ回数、曙とは対戦を重ね(曙引退の翌場所、白鵬が初土俵)、この巨漢横綱から6勝を挙げました。中でも強烈に印象に残っているのは、初顔だった平成6年春場所の一番です。横綱にさんざん突っ張られて海老反りになりながら、そこから逆襲して最後は押し出し。当時日本にいなかったのでラジオの中継で聞いていましたが、興奮しました。


鋏を入れた後、同期生に一礼する元横綱・曙。いやあそれにしても、ゴツイゴツイ・・・・・!一際デカさが目立ちましたね。館内からも改めて、「お〜」という、歓声ともどよめきとも取れる声が聞こえていました。魁皇は、大関に昇進した平成12年には曙に一度も勝てず、初優勝した夏場所も曙にだけは敗れました。最後、6連敗で終わったのは惜しまれるところですね。拡大版はこちら この画像、決して急にズームを後退させた訳ではありません。何せ曙から急に一般体型の小柄な人に代わったものですから、周囲の視界がエラく開けて見えるのです。で、この人が鋏を入れている間、館内はシーンとなっていたのですが、そこへおもむろに刈屋アナが一言。「曙さんの次にはどんな人が登場するのかと思いましたが・・・・・(館内爆笑)、実はこの方、魁皇の奥様のお父様です。」と聞いた瞬間、ドッと拍手が沸き起こりました。う〜ん、刈屋アナ、持っていき方が上手い!


代わって登場したのは、魁皇のお兄さんです。長年の土俵生活に積年の無理、すっかり弟の方がオッサン≠ノ見えますが、体型もスリムな実の兄が土俵に上がります。 鋏を入れる、お兄さん。特にここ数年、どの様な思いで弟の相撲を見続けてきたのでしょうか・・・・・?或る意味、家族にとっても「お疲れさま」なのかも知れません。


終始ニコやかな顔で参列者を迎えていた魁皇も、最終盤になると次第にグッと込み上げてくる様になります。中でもこの時が一番グッときたと、本人も述懐しています。お父さんによる鋏です。会場内の温かい拍手万雷の中、お父さんが万感の思いで鋏を入れます。魁皇と私は年が1つしか離れていませんが、私の父は平成10年2月、56歳で他界してしまいましたので、息子が40歳近くになってもまだまだ父親が元気というのが、ことのほか特別に見えてきます。拡大版はこちら お父さんのショットをもう一枚。この24年間というのは、父子にとっても特別な24年間だったはず。なるほど、魁皇の表情は、グッと何かを堪えている様に見えますね。


さあ、お待ちかね!この人、貴乃花親方の登場です。最初に呼び出された時、雑事に追われていたのか、なかなか花道奥から姿を現さなかった貴乃花親方。すかさず刈屋アナの名フォローが入ります。「さすが貴乃花親方ですね。じゅーぶんに“引き付けて”からやって来ます」。館内がドッとウケたところで、当の本人、高見盛よろしくの駆け足で入場してきました。「走ってきましたよ」と刈屋アナ。だけど本当に急いでいたのでしょうね。一瞬呼吸を整えてから土俵に上がり、その後は尊敬する偉大な同期生を労い、終始柔らかな笑みを浮かべていました。人が人だけに良いショットを狙い過ぎて、かえって1枚しか撮れなかったのが残念です。貴乃花親方は特に、この日を温かく迎えていたのではないでしょうか?魁皇が髷を落とした直後、既に引退10年目に入っていた貴乃花親方は、関取第一号(貴ノ岩)を誕生させました。果たして将来、貴乃花部屋幕内vs浅香山部屋幕内の対戦が実現するのか?しかし魁皇−貴乃花戦は本当に熱戦でした。魁皇も3連勝をするなど、通算12勝もこの大横綱から挙げていますが、大関時代の貴乃花にはオール●。元から上位キラーで、対戦した横綱にも全員に土を付けた魁皇が、意外にも1勝も挙げられなかった大関が2人いまして、白鵬と、この貴乃花です。それにしても、この時は魁皇の顔も穏やかですね。拡大版はこちら 続いて丸坊主頭の巨人がやってきて、誰かと思ったら武双山でした。現藤島親方。或る意味、同期生同い年の貴乃花以上に、土俵世代としてはライバルだった武双山。この人の存在抜きに、魁皇の相撲人生は語れないでしょう。48回の対戦回数もさる事ながら、魁皇の力士人生の流れを大きく変えた転機となったのも、武双山です。平成12年初場所千秋楽、初優勝が懸かる武双山と、勝ち越しが懸かる魁皇、当時東西両関脇。結果は中途半端に変化した魁皇にすかさず武双山が対応して完勝。その、あまりに好対照な結果に、魁皇は一念発起して自らも優勝→大関への道を駆け上がり、終わってみれば大関としての実績も対戦成績も、魁皇が大きく上回る結果となったのでした。十両から大関まで、常に直ぐ横にいたライバル。何かというと、この両大関による対談コーナーが、よく組まれたものでした。魁皇が満を持しての綱盗りに挑んでいた平成16年九州場所3日目、武双山は引退しました。その報を聞いた魁皇が、「俺はまだ相撲を取れるのだから、それだけでも幸せだと思わなくてはいけない」とコメントした事は、今でも記憶に残っています。思えば武双山引退の時が、魁皇の絶頂期の最後でした。ライバルなき後は、苦戦・休場を余儀なくされる土俵生活が続いた魁皇。実は心のどこかで、武双山の引退が響いていたのか・・・・・?拡大版はこちら


かつての名戦友、藤島親方が、魁皇の方にポンと手をやると、何やら魁皇は楽しそうな顔をしています。ちょうど、面白い事を言われてウケている感じ・・・・・。そう言えば刈屋アナは言っていました。「藤島親方は、床屋でされた髪型が気に食わなくて、丸坊主にしたんだそうです」と。もしかしたらこれは、そのアナウンスがなされた瞬間でしょうか?ちなみに藤島親方も、何か笑っている様に見える・・・・・。 断髪式も最終盤を迎えました。横綱・白鵬が登場です。現役力士を代表して、力士会会長として、一門の関取を代表して、いろいろ理由は成り立つでしょうが、そんな事よりも、白鵬の場合は個人としての、魁皇に対する敬愛から断髪に参加したというのが、一番本人の気持ちに近いのではないでしょうか。対戦成績27勝6敗。数字の上でこそ魁皇を問題にしていませんでしたが、いち人間として、後輩力士として、「魁皇を越える事は出来ない」という何かを、白鵬は常に感じていたと思います。とりわけ、何かが起こって力士が結束しないといけない場面になった時には、大先輩大関の人望の厚さを実感した事でしょう。あの技量審査場所で敗れたのが最後の一番になった事は、きっと白鵬にとっても忘れられない思い出となるはず。力士としての魁皇の偉大さにかねがね敬服していた白鵬が、深い感謝の念を込めて、今、鋏を入れます。拡大版はこちら


鋏を入れた後、白鵬が両手をしっかりと魁皇の両肩に置き、顔を近付けて労いの言葉を掛けます。魁皇もそれを聞いてニコやかな表情。両者の信頼関係が表れたワンシーン。 さて、止め鋏の前、相撲の取組で言えば結び前の一番、土俵に登場したのは、大関・琴奨菊です。郷土の後輩大関。魁皇にとっては、この琴奨菊も特別な存在の一人です。福岡県出身の大関が消え、日本人大関も消えた、その穴を真っ先に埋めたのは、この琴奨菊でした。引退会見でも、琴奨菊に後を託す気持ちがある事を、魁皇は話していました。琴奨菊から見れば、自分が毎場所大関と対戦する地位に上がってきてからも、長く自分の前で地元を盛り上げてくれた牽引車。これからは名実共に、自分が郷土と相撲を結びつける牽引車になっていく、そう思っていたのかどうか?琴奨菊が鋏を入れます。拡大版はこちら


深々と頭を下げる琴奨菊。今一度、郷土の鑑に最敬礼です。豊真将の様に、両手をきちんと腰部にやって、きれいなお辞儀をしています。それを見て「これからも頼んだぞ」と、安心の表情も交えながら笑みを送る魁皇。いかに魁皇が後輩から慕われていたか、それを実感させられるワンシーンでした。 土俵を降りようとする琴奨菊。まだ何か語りたげにこちらを見ていますが、そういう相手の雰囲気を察したからかどうか、魁皇、目にハンカチを当てています。今改めて、万感の思いが込み上げてきたのでしょう。現役末期、相撲界は立て続けに色々な不祥事に揺れ、昨年は本場所(春場所)が、八百長問題のためよもやの中止。辛うじて開催された五月場所も、通常開催とは全く違う技量審査場所。「早く元の形態での開催が認められるように」と切望していた中、ようやく迎えた名古屋本場所。そこで記録を達成し、当時関脇だった琴奨菊とも対戦して完敗し、引退しました。大相撲が再生に向けて、何とか息を吹き返しかけたのかな?と思う頃、魁皇の髷は役目を終え、間もなく切り落とされます。師匠の前、最後に鋏を入れた琴奨菊の存在に、今改めてホッとした気持ちになったのかも知れません。


ここで一度、館内の照明が落とされました。そして土俵上の魁皇にのみスポットライトが当てられる状態となりました。過去に観賞した引退相撲でも見られた光景です。ここで刈屋アナによる、魁皇全土俵生活の軌跡の語りが行われました。平成4年初場所、19歳で新十両、翌5年夏場所、20歳で新入幕、いずれも負け越し。大関昇進後、優勝4回(通算5回)の栄光の一方で、度重なる怪我と、それによる休場→カド番。私も思い出していました。初めて千秋楽観戦をした平成18年春場所千秋楽、魁皇はカド番で7勝7敗でした。対する相手は13勝1敗の白鵬。当時関脇だった白鵬相手に、命綱の右上手を引いた瞬間、館内のボルテージが物凄い事になったのを今でもよく憶えています。デジカメで画像を撮るのも忘れて、ひたすら生で観ていた目の前で勝ち越し。首の皮一枚つながってから、実に5年以上も取り続けました。平成23年5月場所千秋楽、再び右の上手を取って完勝したのが、既に大横綱となっていた白鵬との最後の対戦となりました。翌名古屋場所、4日目、豊ノ島に勝って難産の末、通算1045勝を達成。そして5日目、史上1位の1046勝目を挙げた旭天鵬戦の実況は、刈屋アナによって再現されました。「右の上手を取った魁皇!寄るのか?投げるのか?」ここで館内から万雷の魁皇コール。一度生で聞いてみたかった魁皇コール、期待通り、耳にする事が出来ました。この後、照明が元に戻され、いよいよ止め鋏へと向かいます。 「皆さん、いよいよ魁皇が髷に別れを告げる時がやってきました。止め鋏は師匠、友綱親方です」。万雷の拍手と共に、入門以来、苦楽をともにした師匠、友綱親方が土俵に上がりました。24年前の春、魁皇が入門してきた時、友綱親方も、まだ親方1年目のフレッシュ師匠で、35歳でした。それが、気が付けば今年で還暦。すっかり古豪親方となったわけで、元関脇魁輝の友綱親方としての歴史は、まさに魁皇との歴史でした。親方としての様々な経験を、魁皇と共に味わいました。その愛弟子に、今、感無量の面持ちで止め鋏を入れます。館内は声援のるつぼ。そして友綱親方、もう寂しいを通り越してホッとしているのか、表情が柔らかいですね。


ニッコリ微笑む魁皇と、鋏を入れていく友綱親方。魁皇のこの表情は大変印象的で、師弟の関係が大変良かった事を窺わせるものだと思います。ただ、顔は笑っていますが魁皇、内心では感情を堪えていたのかも知れません。そして実は友綱親方も、この写真では顔が写っていないので判らないと思いますが、笑っていたのです。愛弟子に鋏を入れながら、「本当にご苦労さん」という笑顔で語りかけていました。この瞬間の、別アングルの写真(マスコミが撮影)を、後日確認して判りました。師弟とも、笑顔の止め鋏です。もう思い残すはありません。引退から10ヶ月以上、充分に気持ちの整理を付けてから、満を持しての髷との別れです。拡大版はこちら 左の画像とほぼ同じですが、魁皇の表情はやや緊張気味になっています。友綱親方は丁寧に、慎重に鋏を進めていきます。時に絆を深め合い、時にまた、衝突した事だって、お互い人間だからあったかも知れません。そんな、まさに山あり谷あり、天国と地獄を行ったり来たりの23年間でした。思い出が走馬灯の様に蘇る中、いよいよ大たぶさが切り落とされます。


館内、名残りを惜しむ大声援の中、遂に止め鋏が完了しました。魁皇の大銀杏が、今ここに、切り落とされたのであります。数々の軌跡、そして奇跡も詰まった大銀杏が、今、23年間の務めを終えて、魁皇の身から離れました。左手で持ち上げる友綱親方。魁皇は、顔が少し師匠の手の方に向きかけている様に見えます。そしてその表情は、「ああ、遂に力士の象徴が無くなった。うーん、何か頭が軽くなったかぁ?」と語っている様に見えますね。今この瞬間が来たのだという事実を、一瞬で確認していたのかも知れません。拡大版はこちら 350人以上が鋏を入れた断髪式が、無事終了しました。師匠と共に起立し、超満員の観客に向かってお礼をする魁皇。これで名実共に、浅香山親方となりました。心身共第二の人生となった訳ですが、ともあれ23年間、本当にお疲れ様でした。昨今の、相撲人気低迷の時代の中で、最もファンの心を掴んでいた力士の一人だった魁皇。本人が望むと望まざると、その存在感は大きくなる一方でした。師匠ともども、本当によくここまで闘い抜いたものだと思います。その中身の濃い土俵生活ゆえに、労いの言葉も一言で済ますのはあっさり過ぎる気がしますね。惜しみない拍手と声援、興奮絶頂の国技館でした。



以上、元大関・魁皇の断髪式の様子をご覧いただきました。皆さん、いかがだったでしょうか?
私はこの後、諸事情により、櫓太鼓打ち分け実演を見て、国技館を後にしました。しかし断髪式を最初から最後まで堪能し、特に最後の方では正面に回って画像を収める事が出来たので本当に良かったです。館内の至るところ、泣き腫らして目が真っ赤になった人がいたのも印象に残りました。
引退相撲は3年半ぶり4回目でしたが、やはり館内のボルテージは一段も二段も違いました。それだけ、魁皇が稀代の人気力士だったという事ですし、本当に魁皇の存在で、或る意味相撲界が救われている側面も、無かったとは言えません。

ことに、年に一度の地元大阪場所が、八百長問題で中止となってしまった時は、私自身も一瞬、相撲ファンを続けようかどうか迷いましたし、魁皇も「あの時点で気持ちが切れてしまっていた」と、記者の取材に対して述べていました。
人間、一度途切れかけた気力を戻すのは、特に40近い年齢になると本当に大変なのですが、魁皇は見事に最後の気力を絞り出し、技量審査場所千秋楽で白鵬を破り、名古屋場所で、私は正直無理だろうと予想していた、通算勝ち星記録の更新をやってのけました。直後に引退、本当にギリギリだったわけですが、晩年、8勝7敗のオンパレードになろうとも、応援する人のために一本の芯を通して土俵に上がる姿というのは、そう、誰にでも見られる光景ではないでしょう。これが、他に類を見ない大人気現象を呼んでいました。

私は、『魁皇』という四股名が初めて誕生した時からずっと見てきているので、何かと印象に残る場面も多いです。
平成6年初場所には、5勝7敗から3連勝と粘って勝ち越し、初の上位進出を決めました。平成8年九州場所と翌9年春場所には優勝決定戦に続けざまに出場し、その間の9年初場所には、13場所連続関脇という記録を作りました。一場所で関脇に戻った9年夏場所には、終盤、貴ノ浪戦で足を大怪我。この後、大勝ち出来ない低迷期が続きます。その後の大関への躍進は、周知の通りですね。

平成元年初場所から相撲ファンをやっている私が、初めて魁皇の存在を知ったのは、平成2年九州場所でした。当時は本名の古賀で取っていて、幕下力士。何でもこの場所は、ほかの友綱部屋の力士が全員勝ち越して、ただ一人負け越したのが古賀だったという・・・・・(笑)。
しかし翌平成3年の御当所九州では、新十両昇進を決め、その翌場所から20年近くにわたって関取を務めたのでした。
思い出はいろいろ出てきますが、どうか今後も、『魁皇の弟子らしい』、誇れる関取を育てて下さい。本当にお疲れ様でした。

最後に、魁皇が師匠と共に土俵を去る時、刈屋アナの音頭で沸き起こった、『最後の魁皇コール』の動画をご案内します。僅か30秒の短い動画ですが、良かったらご覧下さい。



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