北条鉄道乗車 撮影:1991年11月4日

国鉄末期だった1985年4月1日、兵庫県下で2ヶ所の第三セクター方式・レールバス使用の鉄道が誕生しました。一つは、現在は廃止となった三木鉄道、そしてもう一つが、このページでご紹介する北条鉄道です。北条鉄道は現在も走り続けており、同期の片割れ(?)無き後も頑張っています。
私は、18歳だった91年11月に、北条鉄道を訪ねました。写真は姫路駅前で、この日は最初に姫路に立ち寄り、駅周辺を見物しました。駅前ターミナルの様子そのものは、現在と大きくは変わっていないのかも知れませんが、写っている神姫バスは、全車モノコック世代の懐かしい物です。


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これも姫路駅前で、姫路城方向を撮影したショットです。実は、この写真ではかすかにしか見えないのですが、姫路城も、画面奥、中央よりやや左部分に写っているのです。遠目でも姫路城を見たのは、この時が初めてでした。その後、国宝・姫路城へは何回か足を運び、天守閣にものぼりました。姫路城をアップで撮影した事もありますけど、その画像はまた今度、公開したいと思います(いつの事になるか分かりませんが・・・・・)。それにしても、この駅前はこの当時から、歩道も広く、整備されていましたね。


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北条鉄道の車両と初の対面です。開業以来活躍を続けていた、フラワ1985形です。何ともユニークな形式名ですけど、1985というのは、開業年に因んでいます。同時開業の三木鉄道の車両と双子のレールバスで、当時はデザイン的にも新しい印象でした。少し光が入り過ぎて、白っぽく写っていますね。3両あったこの形式は、現在は1両のみで、しかも予備やイベント用という事で、通常、営業運転に就く事は、滅多に無くなっています。全国で一気に、国鉄〜JRの赤字ローカル線転換による、『ニュー・レールバス』が増産された時代のスタイル。現在も残る1両は、貴重な生き残りと言えるでしょうね。起点の粟生にて。右端にJRの気動車が僅かに写っていますが、現在は電化されています。


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終点の北条町駅です。前身の国鉄北条線が開通したのが1915(大正4)年で、その当時の面影そのままの、いかにも古い面構えの駅舎ですが、2001年に新駅舎に建て替えられ、駅の位置自体も少し移動して、この写真の、のどかな田舎の木造駅という風景は、過去のものとなりました。


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駅構内より、検車場を撮影しました。ローカル色満点、周りの家屋も古い物が目立ちますね。しかし、駅が新しくなって以降、この辺りの景色も大分変わったのではないかと思います。前方に見える山は、深山でしょうか?元々、この辺りには貨物用ホームも存在していました。


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北条町駅前のメイン通りです。この日は日曜日だったでしょうか?昼間でもみんなシャッターが下りています。現在は駅前も随分整備されて、この辺りもガラリと変わっていると思います。もしかしたら、道路も拡張されたかも知れません。よく見られた典型的な、田舎のローカル鉄道の終点駅前の街です。


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駅から少し歩き、小高い丘の上まで来て撮影しました。田畑が目立つ、のどかな風景です。気持ちが疲れている時、ホッと一息、気分転換出来るかも・・・・・。北条鉄道は、全長13.6kmの路線で、隣の三木鉄道の6.6kmと比べると倍以上あり、従って乗車時間も長く、列車もそれなりにスピードを出して、『鉄道の旅』という気分になりました。


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北条町駅にて、フラワ1985形同士の並びです。1両しか残存していない現在、このような並びはもう見られません。旧駅と合わせて、時代を物語る貴重なショットとなりそうですね。現在残っている1両は、塗装も開業以来のものとなっています。それにしても、この写真を撮った時は、大正生まれの古い駅舎と、1980年代生まれの新しいレールバスとのコントラストが、何とも奇妙に思えたものでした。ともすれば、レールバスの新しさだけが浮き立ってしまう様にも映りましたが、この車両自体が旧形になったのはともかく、駅舎そのものもガラリと生まれ変わったとあっては、歴史がある事自体、実感しにくくなった事でしょう。


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フラワ1985の車内です。同期の三木鉄道ミキ180が、今やバスでもほとんど見られなくなった上下段式窓を採用しているのに対して、フラワ1985は、現在も主流の『引き違い+一部固定』の窓を採用しています。そのぶん、長距離を走りそうな雰囲気に見えましたが、実際路線長は、先ほども述べたとおり、三木鉄道の倍以上あり、最高速度も大分速いので、このスタイルの窓となったのかも知れません。それにしても、この頃はシャッターを押すと『ジーカシャ』と音がする、フィルム自動巻き式のアナログカメラを使っていたので、人が乗っている車内で撮影すると、どうしても音で目立ってしまい、撮影は勇気の要るものでした。実際、カメラの音に反応して乗客がこちらを向き、従って古い写真ではあっても、加工処理をしています。そんな思い出も今は昔ですが、この車両、乗り心地はなかなか快適だったと記憶していますね。そして座席真ん中にも手すりがあります。


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起点の粟生駅まで戻ってきたところで、粟生駅のプラットホームと周囲を撮りました。この位置からは見えませんが、向こうのほうには加古川が流れています。何やら白く写っている部分もありますが、実際の写真を見ても、湯気か雲のように見えるだけで、何なのかよく分かりません。


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帰りは神戸電鉄で新開地へと出ました。ここ、粟生は、神戸電鉄粟生線の終点でもあります。粟生−三木間は、この時が初乗車でした。新開地直通列車は無く、途中、志染駅で乗り換えとなりました。のどかなローカル駅の粟生ですが、3つの鉄道が接しているジャンクションでもあるのです。現在、ホームはだいぶんきれいに整備されています。神鉄電車の左後方には、JRの気動車も小さく写っているのですが、これもほとんど分からないでしょうね・・・・。


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