広島旅行、1回目 撮影:1984年末〜85年正月
1984(昭和59)年末から85(昭和60)年正月にかけて、私は初めて広島を訪れました。戦争と平和という重要なテーマが常に掲げられているここ、広島ですが、同時に国内随一の路面電車(市電)王国でもあります。かねてより広島の市電に憧れていた私は、小学5年生(11歳)だったこの時、ようやく夢が実現しました。この時はもちろん家族旅行でしたが、以後私は数年置きに、一人で広島市電(および鉄道線)を訪れる様になりまして、2012年8月現在で、6回訪問しています。記念すべき初訪問となったこの時、沢山の市電に乗り、写真も撮りましたが、広島市電(正式には広島電鉄軌道線)の車両は、各所で何度も詳しく紹介されているので、当サイトではごく簡単に説明します。早速左の写真ですが、広島駅前にて撮影した、550形553号です。550形は1955年に5両が製造され、この時点ではまだ車齢30年目と、中堅どころでした。私にとっては、広電初乗車時の車両という、記念に残る1両となりましたが、2006年6月に引退。この553号が、最後まで残った車両でした。


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ご満悦な私のバックに写るのは、350形352号です。場所がどの辺りかは不詳ですが、電車は2系統で、広島駅−紙屋町−己斐(現広電西広島)の路線なので、恐らく土橋(江波−横川線の軌道)付近ではないかと思います。2系統は、現在では全て連接車による運行となっており、写真の様な単行運行は見られなくなっています。また、350形は2012年8月現在でも健在で、1958年製ですから、半世紀以上の長寿ランナーになっています。この時の旅行で乗ったかどうかは忘れましたが、少なくともその後、乗車しました。それにしても、まだ高齢化やバリアフリー化などが全く叫ばれていなかった昭和の世の中、電停は簡素な物ですね。また、黄色のジャンパーは、当時の私のトレードマークでした(笑)。


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大小のカタツムリの絵が描かれたこの車両は、当時はまだ珍しかったであろう、全面広告車両です。屋根部も水色に塗られていますね。車両は500形501号で、路線は1系統=広島駅−紙屋町−宇品(現広島港)です。撮影場所はこれも判りませんが、広島駅の近くでしょうか・・・・・?のちに一度乗車して、車内の写真も撮った事があります。全部で5両ありましたが、2003年に引退しました。


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さて、こちらは原爆ドームです。いくら市電目当てとは言っても、やはり広島に来たら、ここを訪れないわけには参りません。この写真の撮影から28年経った現在でも、変わらぬ姿を保ち続ける原爆ドーム。建物自体は1915(大正4)年竣工で、広島県物産陳列館として造られました。築30年で被爆。間もなく築100周年を迎えようとしていますが、3:7で、原爆ドーム≠ニしての被爆人生が長くなっています。既に写真やテレビでは何回も見た事があったこの記念物を初めて目の当たりにして、さすがに神妙な表情でカメラに収まっている私です。


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原爆ドームの次は平和記念公園へ。公園中央にある、原爆死没者慰霊碑です。現在は、手前の階段部分の周辺が、床面が1段下がって水が浅く張っている状態となっています。また、慰霊碑の向こう側も、現在では平和の池として整備されていますが、当時はついたてが張られ、工事中でした。2008年8月に、約24年ぶりに再訪しています。


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原爆による白血病で亡くなった佐々木禎子をモデルにした、原爆の子の像と、その上に両手を天に広げて立つ、佐々木禎子の像です。現在は像だけが存在していると思われますが、この時には私のバックに写っている様に、無数の千羽鶴が飾られていました。文字通り、千羽いるのではないかと思ったほどです。実際、モデルとなった本人が、発病して入院している間に千羽鶴を折り続けており、亡くなるまでに、優に千を超す鶴を折ったという事です。祈りは届きませんでしたが、この写真に写る千羽鶴を、本人の霊は周囲への感謝の気持ちを込めて、見守っていたのかも知れません。


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平和記念公園での最後の1枚は、鐙火堂です。この写真では、写っている部分だけが全ての様に見えますが、実際には画面上端に見える白い堂が、上に更に4つ、さながら五重塔の様に延びているのです。しかも、幅は上に行くほど少しずつ広くなっています。原爆ドームの前に建っており、ここでも沢山の千羽鶴を目にしました。銅像のバックの大きなパネルには、原爆投下直後であろう人々の様子が、彫刻で表現されています。


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暫し真面目な時間を過ごしましたが、ここからはまたいつもの(笑)、趣味タイムです。この写真は広島電鉄江波車庫で、3つある車庫の内の一つです。単行の路面電車ばかりが留まるのはこの車庫のみで、一番“市電の車庫らしい”と言う事が出来ます。祝日ダイヤでしかも昼間ですが、そんなに沢山の車両は待機していません。一番手前の、窓周り白に青色の車両は、元大阪市電1801形の、750形765号、その隣は550形554号、さらにその隣は元大阪市電2600形の、900形です。当時の広島市電は多くの車両に於いて、前面車番部周辺が、菱形状に警戒色となっていました。750形も900形も現在も活躍しており、塗装もほぼ大阪市電時代のままとなっています。さて、向かって一番右端に、顔が僅かに見える車両がありますね。そちらにご注目。


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はい、出て参りました(笑)。元京都市電1900形で、広島に来ても1900形のまま使用されています。現在でも全車が健在という優良車両は、塗装も車番の自体も京都市電時代そのまま。私は大阪出身ですが、リアルタイムでの大阪市電は知りません。しかし京都市電は何回も乗車した記憶がハッキリ残っており、そのため私は広島に来て一番会うのを楽しみにしていた車両の一つが、この1900形でした。地元大阪の阪堺電車にも元京都市電はありましたが、やはり塗装が、よく覚えている京都市電時代そのままという魅力には勝てません。この時が1901形初乗車で、胸がときめきました(笑)。少し写りが暗いのが残念ですね。


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この一枚は最も印象に残っているスナップの一つで、宇品(現広島港)での一コマです。車両は続いて1900形ですが、今度は少し明る過ぎました(笑)。正面表示灯に左手を置き、右手はジャンパーのポケットに、上半身は軽く車両にもたれかかって、エラくポーズを決めております(笑&謎)。1901形は15両の大世帯なので、乗れる確率も高いです。この旅行でも3回は乗車したと思いますが、また是非乗りに行きたいです。この後、広島駅まで行き(帰り)ました(ホテルは広島駅近く)。


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水面にぽっかりと浮かぶ鳥居・・・・・。余りにも有名な風景ですね。ここは宮島です。日本三景の一つでもあるこの宮島ですが、正式名称は厳島です。この日は初詣のためにやってきたのですが、先ずはこの、厳島神社大鳥居をバックに記念撮影をしたのでした。海面上に浮かぶ朱色の大鳥居は、何やら幻想的にさえ見え、世界的にもつとに有名。私は初めてこの鳥居を写真で見た時は、元々鳥居は普通に地面の上に作られたのが、その後海面が上昇して海に浮かぶ格好になったのだと予想していました。実は最初から海上に誕生したと知ったのは、もしかしたら、実物を目の当たりにしたこの時だったかも知れません。


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物思いにふける少年。西の日差しを眺めながら、孤独な横顔、ただただ青春しております・・・・・というのは勿論全部嘘で、単に海の方向を向いてドラ焼きをパク付いているだけです。それにしても、なかなか旨そうですね。・・・・・ちょっと分けて(笑&爆)。


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宮島駅と宮島(厳島)を結ぶ連絡船です。上の写真が、船の全景と宮島口桟橋乗り場(宮島駅から徒歩3分)です。連絡船での所要時間は約10分です。運行しているのは、JR西日本宮島フェリーですが、撮影当時はJRではなく、国鉄でした。乗船人数が多いため、僅か10分乗車と言えども、なかなか大きな船を使っていると感じました。満潮時には、厳島大鳥居に大接近するそうですよ。


下の写真は、乗船中に船後方を撮影。丁度宮島に向かう時ですね。バックに見える景色が廿日市市(宮島駅がある市)で、手前にはひたすら水しぶきです。真冬の撮影でしたので、恐らく寒かっただろうと思いますが、夏に乗ったら気持ちがいいでしょうね。船に乗る機会も日頃は余り無いので、この連絡船往復も貴重な体験として記憶に残っています。


なお、私は宮島に初詣が目的で来たと、前に述べましたが、実は参拝客が余りにも混み過ぎていて、並んでいたらさすがに時間が無くなってくるという事態になりました。そのため止む無く初詣は断念し、そのまま結局何もせずに島を後にしました(汗)。


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宮島駅桟橋から見た、宮島(厳島)の様子です。少し逆光の写りになっていますが、このショットはのちにデジカメでもう一度撮影しています。画面中央に連絡船の姿が見えますね。それにしても、空振りの宮島参拝の後、その気分や如何に?


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この電車は宮島から広島駅まで戻る際に乗った電車で、広島駅で下車後に撮影したものです。
この電車こそは、私が広島で最も乗りたかった電車で、西ドイツ(現ドイツ)のドルトムント市からやってきた、西洋路面電車です。まだまだ和製旧型の路面電車が主力勢だった中、異彩を放っていましたね。登場(輸入)したのは82年ですが、ドルトムントは、当時路面電車の本場と言われていました。しかし地下線化が進み、2008年には路面電車は姿を消しています。


さて、この76号、一際注目を集める独特の顔、そして写真には収めていませんが、車内も私の記憶では、クッションの無い硬い座面で、座っていてツルツル滑る感じだった様な気がします。横揺れが大きく、お世辞にも乗り心地は良いとは言えませんでしたが、『動く路面電車の博物館』と呼ばれる広島電鉄市内線の中でも、極め付けとも言えるレア車両に、乗る事が出来たのは本当に幸せでした。
宮島駅に着き、この車両が停まっているのを見た時には、歓声を上げたものです。
因みに、当時宮島線には、鉄道線専用車両も走っていましたが、76号の横に、元阪急500形の1070形が停まっていた事も、よく覚えています。


異文化ムードの詰まった珍車、76号。2008年に現役を引退してからは、広電本社横にあるスーパーマーケット『マダムジョイ千田店』前で、レストラン電車として第三の人生(広電車両としてが第二の人生だった)を送っていましたが、現在はレストランとしての使用は終了(閉店)し、保存展示状態となっています。
レストラン電車として使用開始される際に、塗装も大幅に変更され、現在もその塗装のままで展示されています。


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ドルトムント車76号の運転席です。レストランに改造された現在では、この運転台は撤去されています。T字ハンドルで見た感じはコンパクトにまとめられた、近代的な運転台。およそ従来の路面電車らしからぬ雰囲気ですね。前に停まっているのは500形ですが、そのコントラストや如何に。なお、76号が一般の営業車両として使われていたのは、1998年までです。その後、引退する2008年までは、イベント専用車両となっていました。また、兄弟車として色違いの77号もいましたが、2006年1月に廃車解体されました。


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比較的狭い道であるこの場所は、観音町付近だと思われます。写っている車両は、2500形2505+2506です。3連接車が目立つ広電車両の中で、この車両は全部写りきっていませんが、2両連結です。宮島行きに運用されていました。この年(1985年)の暮れ、2500形は3連接車の3100形に改造されて、形式消滅しました。原型の姿だったこの時は、まだ非冷房でしたね。因みに、単行の車両を単純に2両つないだ、2000形という車両も当時主力として活躍していたのですが、宮島に行った時、行きしなに乗ったのが2000形でした。大混雑だったのをよく覚えています。2000形の写真はこの時は撮っておらず、2両のみ在籍はしているのですが、2009年より休車状態です。


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この2枚の写真は、いずれも3000形連接車を写したのですが、いずれも人や車の影になって、まともに撮れていません。3000形こそは、この当時の宮島線乗り入れ主力車両。そして現在も市内線で、収容能力をいかんなく発揮して使用されています。3000形は、元は西鉄福岡市内線の1100、1200、1300形でした。
独特のピンクのカラーリングが大変印象的で、また、この車両には大変似合う塗装だと思います。現在もこの塗装のまま運用に就いているのが嬉しいですね。
広島にやってきたのは1975年で、丁度10年が経過したというこの時は、まさに華やかなりし時代でした。


3000形には、この時を含め、その後もなかなか乗る事がありませんでした。
もっとマイナーな車両に目が行って、主力型の中堅どころであったこの車両を敬遠していたのか、はたまた再訪する度に、前回訪問時にはまだ無かった新車を狙おうとするのでスルーされてしまったのか、とにかく、意外なほど縁がありませんでした。
実際に初めて乗ったのは、6年ぶり5度目の訪問となった、2008年8月の事で、既に貴重な旧型車両の部類に入っていました。


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こちらは当時はエースで現在も市内線の主力、2代目700形です。阪急6000系の路面電車版と言いたくなる様な正面スタイルで、ヘッドライトがそっくりです。都電7000形も連想させますね。このカラーリングも、700形には非常によく似合っていると思いました。誕生したのは1982年です。


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広島旅行も終わりに近付いていた頃、ようやく私は、これも一目見たかった車両である3500形を撮影しました。新世代の路面電車第一号として、1980(昭和55)年に登場した『軽快電車』です。塗装もその後の宮島直通系統の標準色の第一号となり、この時まさに花形時代。唯一の次世代型路面電車でした。3連接車両ですが、不意に現れて思わず撮ったため、先頭車両のみしか写せていません。これにも是非乗りたかったのですが、出会う事が出来ず、結局ギリギリセーフでの撮影のみに終わりました。試作的要素が強い故に、量産型の軽快電車が増備されると徐々に予備車扱いとなり、2010年1月以降は休車となっています。営業復帰の望みも少ない事を思うと、この時、下手な写真1枚だけでも記録に残せたのは大変良かったと思います。願わくば、一度は乗車の夢が叶う事。


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最後は広島を去る前、広島駅で撮影したバスの姿です。赤と白の塗装で、西の小田急バスと表現した事もある(私が勝手に)広島バス。この車両は当時はまだ若手〜中堅だった、富士重工業のE型と呼ばれる車両です。全国各地で見られました。まだまだMR系と呼ばれた旧世代バスも貴重な存在ではなかったこの時代、広島旅行中も一度、白にオレンジの塗装の広島交通のバスに乗り、車両が1971年製の西工カマボコだった事をよく覚えています。97年に訪問した時には、広島バスの斜めメトロ窓車両に乗った他、2002年にも、メトロ窓に4枚折り戸のブルドッグに乗車して、大いに旧型バスを堪能しましたが、それも今は昔です。2008年にも、当時は既に24年選手になっていた、15型Eと呼ばれる車両に乗りましたが、翌2009年には引退した様です。さて、最後はバスの話になりましたが、広島を初訪問し、市電に宮島線に連絡船に、大いに楽しんだ正月が、これで終わりました。しかし、広島の電車・バス巡りは、この後、“続編”が誕生していく事となります。


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