キップの画像をクリックすると、次へ進みます。なお、実際にオークション等に出展≠キる事は有り得ません。念のため。(^_^;

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各画像の右側に、簡単ですが解説があります。 時代は特定は出来ませんが、梅田から豊中まで乗車した時の、阪急電車のキップです。大人料金で買っているところを見ると、1986年以降(その年、私は中学生になった)でしょうか?現在では220円(小児110円)する区間が、90円だった時代です。梅田の『田』の字体は、自動改札化前の駅員の誤視防止対策の名残りで、現在も独特ですね。



画像が薄すぎて大変見辛いですが、現物がもうすっかり印刷が褪色してしまっているので、このようになりました。これは北大阪急行電鉄のキップで、千里中央から桃山台まで乗った時のものです。現在でも料金は80円と非常に安いですが、かつては何と40円(子どもは20円)という時代がありました。画像はその時のものですが、時期は、これも1986〜88年頃ではないかと思います。



これは大阪市営地下鉄御堂筋線の、新大阪から千里中央まで乗った時のキップです。日付が1月3日と、正月になっていますが、家族で旅行に行った帰りにでも乗ったのでしょうかね?これも時期がよく特定出来ませんが、1984〜85年ぐらいではないかと推測しています。現在は、この区間の料金は320円となっています。



これはガラリと場所が変わって、三重県四日市市の、近鉄内部・八王子線に乗った時のキップです。この路線は、現在は近鉄の路線としては廃止され、三岐鉄道の路線となっています。従って、このキップは近鉄時代の姿をとどめる、貴重な記録ということになります。2001年に乗車しました。



青森県を走っていた、南部縦貫鉄道の乗車券です。鉄道ファンの間では言わずと知れた、あのレールバスで有名だった南部縦貫鉄道。1997年5月に運行休止となったのち、正式に廃止されてしまいましたが、これは1994(平成6)年7月27日に乗車した時の物です。七戸発野辺地行きと書かれていますが、七戸というのが終点の駅でした。今となってはとても貴重な一品です。なお、レールバス乗車記は、こちらのページよりどうぞ。



同じく青森県を走っていて、2001年3月に廃止となった下北交通の整理券です。ワンマン運転で、この時は途中駅(田名部=恐山の最寄り駅だった)から乗ったため、整理券が発行されていたわけですが、実は手元に残っている事には気付いていませんでした(爆)。よくぞ残っていたと思いますが、完全に印字が褪せてしまい、『下北交通』の文字が肉眼でも判別し辛くなっていたため、相当画像補正をした上で載せております。これでも、辛うじて分かる程度ですね。補正の過程で、上下部分の色も相当変わってしまいまして、元々の色は、右下に薄く小さく写っている物です。



1993(平成5)年7月に、岐阜県の神岡鉄道に乗った時の『乗車証明書』です。これは帰りに、終点の奥飛騨温泉口から起点の猪谷(いのたに=JR高山本線と連絡)まで乗った際に発行されたもので、『猪谷駅からJR線に乗り継ぐ時は、JR係員に提出して下さい。』との内容が書かれています。ところで、『JR』の文字は、元々書かれていた別の文字を二本線で消して、その上にはんこが押されている格好になっていますが、線で消されている文字は『国鉄』です。もともとこの神岡鉄道は国鉄神岡線で、1984年に、第三セクターの神岡鉄道に経営が引き継がれました。そして87年4月に国鉄はJRとなり、私が乗った93年7月は、もうJRになって7年目になっていたにもかかわらず、まだ『国鉄』と印刷された証明書を使用していたことになるのですね。旅客輸送としての経営が、極めて苦しかった事を物語っています。2006年11月限りで、神岡鉄道は廃止となりました。



1991年8月に、南海電鉄貴志線に乗車した時の切符です。和歌山〜貴志間通しで乗ったのですが、料金は290円でした。2ヶ所○印の穴が空いているのは、車掌または駅員が確認したという印だと思いますが、確か当時はまだワンマン運転ではありませんでした。白地の切符には、黄色の模様がビッシリ並んでいますが、これは通称『羽車マーク』と呼ばれる、南海電鉄の旧社紋です。そして走っていた車両は1201形。懐かしさいっぱいの切符ですね。なお、乗車した時の写真はこちらのページへどうぞ。



これは1985年5月、小学校の修学旅行で、愛知県の明治村に行った時の物です。名物の、日本最初の電車、元京都市電の車両に乗った時に購入しました。この時の修学旅行では、明治村に最初に行った後、長野県の天竜峡・妻籠宿(つまごじゅく)と行きましたが、乗り物大好きの私にとっては、やはりこの、明治村の京都市電が一番楽しみでした。ほんの僅かな時間の乗車で、車内もほかの生徒で満員でしたが、楽しめたと思います。もう一度、乗りに行きたいですね。ちなみに、現在は料金は、なんぼでっか?もちろん大人で(笑)。



何なんだ、この券は?と思われた方が多いでしょうが、これ、実は中国、北京市を走る市バスの券で、1986〜88年の物です。当時中学生だった私は、父親の転勤で北京に住んでいましたが、毎日のように、現地を走る市バスに乗っていました。左の画像、一番上には『北京市第二公共汽車公司』と書かれています。『第二』というのは、少なくとも当時、北京の市バスは3つの会社に分かれていました。『第一』『第二』、そして『電車』の3社で、いずれの名前を書いた券も手にした事があります。『電車』というのは、いわゆるレールの上を走る鉄道ではなく、トロリーバスを指します。日本では、トロリーバスは富山の黒部ダムで見られるのみですが、かつては主要都市で走っており、『無軌条車』と呼ばれていました(中国語では『無軌電車』)。因みに、鉄道は、中国語では『火車』と言います。日本語では『汽車』と言いますが、実はこの『汽車』が、中国語では『車』を意味するのです。従って、『公共汽車(『汽車』の2文字は簡略字になっている)』は、公共の車で、バスを意味するのです。最後の『公司』は、『会社』という意味です。その下の行ですが、『弐角』と書かれていて、これはバス代の金額です。1980年代半ば当時の弐角というと、日本円にして8円でした。何と8円でバスに乗れていたのですね(日本で170〜190円の時代)。一番安くて4円均一という路線もありました。その下に、1から30まで数字が書いてあるのは、これは何を意味しているか分かりません。この様な券を、私は北京駐在当時は、それこそ何十枚も持っていました。その中で、最もきれいな形を保ち、状態の良かったこの1枚が、現在も残っているという分けです。中国語で『ピャオ』といい、漢字では『票』と書きます。『ピャオ』の紙質は非常に劣悪で、手触りはザラザラ、カーボン紙の様な薄さです。当時の北京市バスは、車両もボロボロのガタガタで、窓ガラスは全部ハマっていなくて当たり前。窓ガラスと窓枠も噛み合っておらず、真冬でも窓が開いたら開きっ放しが当たり前、そして何より、乗り降りに並ばないのが当たり前でした。2008年、オリンピック報道に関連して、北京の街が度々テレビで出てきましたが、市バスは見違えるほどきれいになり、私の知る時代の面影を残していません。『隔世の感』とは、当にこの事を言うのだと思います。



これは東京メトロ日比谷線のキップで、昭和51(1976)年12月14日発行です。当時は東京メトロではなく、『営団地下鉄』と呼ばれており、正式には『帝都高速度交通営団』という長い名前でした。このキップの上の方に、一部切れていますが正式名称が書かれています。非常に時代を感じますが、大人料金60円とは何という安さ!因みに現在は初乗り160円です。上の真ん中辺りに、『M』の字を逆にした様な穴が空いていますが、これは当時、東京の地下鉄(国鉄=現JRや大阪の地下鉄も)が、自動改札ではなく、駅員が改札口でパチンと挟みを入れていたからです。私もよく覚えていますが、本当に懐かしいですね。なお、私自身、70年代に日比谷線に乗った事がありますが、これはその時のではなく、80年代前半に伯父がくれた物です。



 
1991年8月に、京都交通のバスに乗った時の乗車券です。この時は家族で、亀岡の湯の花温泉に一泊旅行に出かけていました。何故か急に、思い立った様に亀岡に行き、その行き方も、千里中央から阪急バスで余野まで乗り、そこから亀岡まで京都交通に乗るというものでした。余野から亀岡までの京都交通は、現在は廃止されています。そして温泉旅行の帰りに、今度は亀岡から京都まで京都交通に乗ったのですが、その時は亀岡駅前のバス案内所で先に乗車券を購入し、それがこの画像です。退色が激しいので、公開にあたっては文字が読める様、かなり補正を加えました。そのため色調がかなり変わり、原色の乗車券は、右下に小さく併載しております。この京都交通は、亀岡に本社を持つバス会社だったのですが、2004年1月に事実上倒産し、現在は京阪バスグループの京阪京都交通となっています。従って、『亀岡駅前より』と書かれた京都交通の乗車券は現在では見る事が出来ず、大変貴重と言えます。亀岡駅前自体も様変わりし、この乗車券を買った案内所も現存しません。



1994年7月に、弘南鉄道黒石線に乗った時の乗車券です。黒石線についてはこちらのページでも解説していますが、国鉄黒石線を引き継いだ民鉄路線でした。98年3月限りで廃止されています。この時は終点の黒石から起点の川部まで乗った後、JRに乗り換えて五所川原に行きました。キップに『川部→JR線390円』と書かれているのはそのためです。私が乗った黒石線の車両はキハ22でしたが、この翌年、旧同和鉱業小坂線で使用されていた2100形に置き換えられました。



一つ上の切符に何やら似ていますが、それもそのはずで、ともに現在はJR東日本である路線の切符です。ただしこの切符はまだ国鉄時代。成田から、従姉妹が住んでいた酒々井に行く時に乗車したものですが、年月日が昭和52年(1977年)3月20日となっていますから、私が3歳の時です。幼少の頃はよく従姉妹のいる千葉に遊びに行っていました。だから横須賀色(通称スカ色)の113系は本当に懐かしいです。この切符はもう、『国鉄線』の表示。これに限りますね!時に国鉄分割民営化10年前です。



最初の展示画像に戻ります 平成5(1993)年7月13日に、名鉄揖斐線に乗った時の乗車券です。先ずは新岐阜から忠節駅まで岐阜市内線に乗ってきました。そして忠節から本揖斐まで乗ろうとした訳ですが、黒野で発車待ちをしていたところへ、谷汲方面から岐阜市内線直通のモ510型が現れ、「こりゃあいい!」と、思わず衝動乗車をしたという経緯があります(笑)。こちらのページに詳細はまとめていますが、黒野−本揖斐は結局、乗車券を購入しながら未乗に終わった区間という事になり、これは私の旅行史の中でも大変珍しいケースです。名鉄岐阜市内線・揖斐線・谷汲線とも全区間廃止された今、手元に残ったこの乗車券は貴重な記念品になっています。



私の地元、阪急宝塚線豊中駅の入場券が1枚残っていました。12月27日とありますが、いつの年かは不明です。因みに大人100円、小児50円というのは、初乗り料金と同額なのですが、阪急が初乗り大人100円だったのは、1987(昭和62)年5月16日〜1991(平成3年)11月19日までの4年半でした。そしてこの内87年と89年の12月27日は日本にいませんでしたので、購入したのは88年か90年の、12月27日ということになります。しかし私自身、豊中駅で入場券を買った記憶がそもそもありません。こんな、年も暮れてきた頃に、駅に入場だけして一体何をやっていたのでしょう(笑)?もしかして、落ちていた切符を拾ったのですかね(汗)?ともかく、今となっては貴重な一枚です。


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