富山県伏木、高岡 撮影:1984年3月末
富山県立伏木高校の校庭で撮影したものです。Vサインをしているのは、10歳当時の私です。ちょうど小学校4〜5年生にかけての春休みで3月末、大阪では桜が咲き始めていましたが、北陸の富山ではまだまだ雪が残っていました。
伏木高校は、実は母の出身高校で、この時は母と2人で、母の出身地である富山を訪ねたのでした。数多い家族旅行の中でも、母だけと行ったというのは、非常に少なかったと思います。このページの写真は全て母の撮影ですが、田舎の校庭らしく、本当に広々としていました。周囲にも木造の住宅が見られるなど、古き時代の面影が濃く残る風景です。


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校庭の、違う位置から撮影。私のバックをご覧あれ。雪が小山の様に積まれていますね。あまり寒かった様には記憶していないのですが、とにかく雪多き風景でした。雪山の後ろには校舎が見えますが、上の写真から、何となく木造の校舎が似合いそうだと思われたかも知れませんが、鉄筋コンクリートでした。


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校庭から周囲の住宅地を望みます。写真が褪色が進んでややセピア色に近くなっている事も相まって、本当に昭和30年代の様な風景が展開されています。しかし、この時から約23年が経った今、このあたりの景色も、さぞ様変わりしている事だろうと想像します。
母が富山を去ってから、この時点で既に20年近くが経過していたのですが、まだ母が知っている風景が、数多く点在していたと言います。


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さて、いきなりバス停が登場ですが、伏木高校前の停留所です。そしてバス停に乗っかって、すました顔をする私・・・・・。
まあ相変わらずというか、どこに行ってもバス好き。富山でも当然、興味はバスのほうに行っていました。特に、もう大阪では見られなくなっていた古い年式のバスが見られた事から、なおさら喜んで眺めていたと記憶しています。これは加越能バスの停留所ですが、ホテルは富山駅近くのものを取っていたため、地鉄バス(富山地方鉄道バス)も、よく眺めていました。写真を撮っておけば良かったですね。


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『写真に撮っておけば良かった』と書きましたが、実は1枚だけバスを写した写真がありました。私自身も確かに記憶しているのですが、加越能バスに乗って、石堂(いするぎ)駅に行った時のスナップです。後ろに写っているバスが、実際に乗っていたものです。随分長い時間乗っていた様に記憶していますが、確か1967年製と書かれていた様な気が・・・・・。この形は扶桑呉羽ボディーですが、私はこのタイプのバスがお気に入りだったため、たっぷり乗れてご満悦でした。
富山には、確か3泊4日いたのですが、その間、まともに長時間バスに乗ったのは、この時だったと思います。


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最後の一枚は、加越能鉄道万葉線の写真です。バックに車庫が写っており、その事からして、米島口電停付近であると思われます。写っている電車からお分かりいただけるでしょうか?これは路面電車で、富山には市内にも路面電車が走っているのですが、この加越能鉄道にも乗って、高岡駅前まで行きました。手前の私、何だか楽しげな表情で写っていますね。
ところで、加越能鉄道は現在は、第三セクター経営による、万葉線株式会社に生まれ変わっています。会社の名前が『○○線』というのがユニークですよね。そしてバックに写る電車の色も、今ではもう見られません。


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・・・・・と、ここでこのページは終わりなのですけど、最後に一つだけ、この旅行での思い出話を。
私は、上でも書いたとおり、滞在中は富山市内のホテルに泊まっていました。そして目の前を走っていた富山市電(富山地方鉄道富山市内線)にも何回か乗車したのですが、ちょうど私がいた時、富山市電の路線が一つ、廃止されようとしていました。それは、西町ー不二越間の路線で、非常に短い支線だったのですが、この線が1984年3月31日で廃止されるという事で、確かその前日に、私は同線に乗りました。電車には、前面にさよなら横断幕が掛けられ、惜別列車となっていましたが、私は不二越まで往復した後、近くの売店で、その記事が載っている新聞(北日本新聞)を買い、記念に持って帰ったのを覚えています。
さよなら列車の写真が、カラーで大きく写っていたその新聞を、私は貴重な資料として保存していたのですが、残念なことには、いつの間にか紛失してしまい、今ではもう、その紙面を見ることが出来ません。もし今でもあれば、間違いなく、当サイト内『掘り出し物のお宝(?!)』のページに、登場していた事でしょう。






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