福井→富山(立山黒部アルペンルート、黒部峡谷) [その6] 撮影:1993年7月13日
旅行最終日、雨の岐阜駅前です。本来なら家で迎えている筈の朝、前項に書いた様な経緯で、旅行が一日長くなりました。タクシーがアップなのでタクシーが主役の様な写真になっていますが、画面中央に写っている電車は名鉄岐阜市内線のモ770形で、ちょうど岐阜駅前に到着したところです。真っ赤な色が映える路面電車だった名鉄岐阜市内線は、2005年3月末日限りで廃止となり、写真の駅も車両も現存しません。予定外に岐阜市内で過ごす事になった私は、折角だからと、まだ廃止の話がカケラも出ていなかった当時の岐阜市内線に乗車したのでした。


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岐阜駅舎を背に、前方を撮影しました。やはり雨なので視界は悪いですが、果たして今、駅前の風景やいかに?さて、画面の左端、『あしたへの 夢の架け橋 この一票』という、デカい字の俳句が見えます。実はこれより5日後に、衆議院議員総選挙が行われまして、38年ぶりに非自民党による政権が誕生しました。首相になったのは細川護煕氏です。この選挙、私の20歳の誕生日の実に1日後で、「流石に僅か1日差では、投票用紙も来ないのではないか?」と予想していたのです。ところがちゃんと来まして、私は前日成人になったばかりという状態で、人生初の投票をおこなったのでした。早々に“成人”を実感した体験として、思い出に残っていますね。


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こちらはカラーは名鉄でも、外観はいかにも路面電車らしい路面電車、モ570形です。新岐阜から忠節までこの車両に乗ってきまして、これは終点、忠節で下車したところです。この電車、忘れられないのは『人生最大の発車ショックを味わった』事です。新岐阜を発車する際、およそ考えられない様な、凄まじい振動とショックが乗客を襲ったのです。本当に瞬時の出来事でした。『ガンッ!!!』という強烈なショックに、他の乗客も思わず「うわっ!」と言ってヒヤッとした顔になっていました。私も一瞬気分が悪くなるかと思ったですね。「古い車両なんだし、あんまり粗末に扱うな」と、内心運転士に叫んだものでした。そんな、ホロ苦(にが)ならぬホロ冷(ひや)な体験が記憶に残った、モ573での旅でした。


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忠節駅で私を待っていたのは、これまで本では何度もお目にかかっても、実際に乗る機会が訪れるとは思っていなかった超旧型車両、700形と750形でした。700形が昭和2年、750形が翌3年の製造で、ともに65歳以上という、大手私鉄としてはまさに骨董品クラスの車両でした。ここから黒野→揖斐・谷汲方面まで路線が延びていましたが、2001年9月末を持って全区間廃止となり、従ってこの駅も過去の存在となっています。それにしても、昭和初期の生まれの、面差しがどこか阪堺電車の161形に似ているこの車両を生で見た時の感激は相当なものでした。本来なら出会っていなかった筈の車両。これは記録的ラッキーだなと思ったものでした。この写真、画面の右端にも同型車が僅かに写っています。恐らくこの3両を撮りたかったのでしょうが、これほど貴重な出会いだと感じ入ったこの車両を、外から撮影したのがこの1枚だけというのは何とも惜しまれます。恐らく今だったら、デジカメで一気に10枚は撮っているところでしょう。もう一回、撮ってみたいですね。


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私は先発だった750形754の方に乗りました。これは車内で、最初で最後の乗車となった車両の車内は、しっかり捉えていた様です。昭和3年製のレトロな感じで、やはり半分路面電車の雰囲気を感じます。この754は2両編成で、もう一両は、これも名鉄の本では何度も目にした、2320形でした。発車前、しばし眺めていましたが、結局一枚も撮らず、この相棒≠ニの出会いも貴重だっただろうに、750形の記録だけを残したのでした。乗って深く時代を味わえる名鉄750形でしたが、80年代後半、名鉄はまだまだ旧型車天国で、吊り掛け式車両の王国でした。そんな名鉄の旧型車勢の中で私が乗ったのは、この車両と後述の510形の2形式だけとなったのです。まあ地元でも幾つかの旧型電車に乗る機会を逃しているので仕方が無いのですが、それにしても後々振り返れば後悔します。


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忠節で発車待ちをしている間、さらにすごい車両が現れました。510形です。大正15(1926)年生まれ、当年67歳。まさに名鉄最古参であると同時に、当代大手私鉄最古の車両でありました。昭和時代の戦前に流行した流線型も、この頃、同じ名鉄の3400系以外残っていなかったというのに、大正に流行した正面半円形五つ窓の車両が残っているというのは、これぞ正真正銘の奇跡でした。「そうだ。まだこれが残っていたんだ」と、私は700形と510形に挟まれて歓喜の極みでした。この時最末期だった510形は、リバイバルで旧塗装に塗り替えられていましたが、それでも何と急行運用で登場。「大手私鉄で、70齢以上の車両が優等列車か・・・・・」いかにローカル線と言えども、路線長はそこそこあり、そこで急行運用とは本当に目を疑う光景でもありました。「これにも是非乗りたいな。果たして上手く出会えるかな?」750形に乗れた余韻に浸りながらも、思いは更なる化石車両≠ヨ馳せていました。


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さて、私は750形754で本揖斐まで行く予定だったのですが、途中黒野で発車待ちをしている間、見覚えのある超レトロな車両が向こうから入線。先程撮影した、大正生まれの正面半円形、510形でした。しかも【急】の標識を掲げています。「あーっ!」と思わず私は声を挙げ、本揖斐行きを急遽キャンセルして510形に衝動乗車しました。で、発車した510形は、そりゃあもう凄まじい走りです!時速65kmのスピードで駅を通過、悲鳴をあげるモーター、荷棚にぶつかる吊り革、身体ごと動く横揺れ、どれを取っても一流でした。特徴の、半円型五つ窓の正面も車内より撮影。車番も写っていますが、512です。いやぁしかしこの一枚は、いい記念になりましたヨ。乗れると思っていなかったし、この旅行のもう一つの大収穫ですね。これより3年前に、和歌山の野上電気鉄道を訪ねたのですが、実は野上にも正面半円の車両がありました。しかし乗る事は無く、従ってこの名鉄512が最初で最後の、大正型流行車両への乗車となりました。


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名鉄新岐阜駅に行くため、新岐阜駅前で下車。その後、商店街をゆく512を撮影しました。このショット、名鉄紹介や路面電車紹介の書籍の中では、幾度となく登場してきたショットです。ついに自分で撮りました。画面右上、アーケード手前には、赤と白の提灯が飾られていますが、これが510形のカラーと、良いコントラストを演出していましたね。それにしても本当に、商店街と510形はよく似合います。この光景が、岐阜の名物になっていたというのも頷けますね。


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1920年代製車両によるレトロな旅を終了して、私は新岐阜から犬山線に乗車してみる事にしました。まだ帰るには少し時間があり、幹線である犬山線なら本数も多いし、かつて修学旅行で行った明治村がある犬山まで乗って、引き返してこようと思ったのです。かくて93年夏の旅行最後の訪ね路線となったのですが、私が乗ったのは当然右側の車両だと思いきや、実は左側の新型です。本当なら右側に乗りたかったところなのですが、右の車両は犬山にはいかない列車だったのです。因みにその右の車両は5500系で、1959年製の名鉄初の、そして戦後の通勤電車初の冷房車です。これよりそう遠くない時期に引退となり、この時乗っておけばこれも貴重な記録となるところでしたが、まだそんなに“引退の危機感”も無かったのでしょう。割りに抵抗無く新車の方に乗りました。


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名鉄犬山駅前の様子です。手前の木が目立つように撮っているのは、決してワザとではなかったのでしょう(笑)。左端にはエアロスターの名鉄バスが停まっているのが見えます。ここで暫し駅前見物をし、これより8年前に訪れた明治村の事を思い出しながら、やがて今回の旅行先での乗車としての、最後の列車に乗ったのでした。


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犬山から新岐阜まで戻るにあたり、乗車したのは何とパノラマカー。名鉄の代表選手だった7000系です。当時、まだ特急運用にもバリバリ入っていて、『特別料金無しでは乗れない車両』というイメージも強かったパノラマカー。そのパノラマカーが、新岐阜行きの急行(多分)としてやってきて、私は初めてパノラマカーに、それも普通料金のみで乗車出来たのです。何か贅沢過ぎて実感が沸かなかったですね。ここまで名鉄の有名所に乗れるとは・・・・・。写真はパノラマ部の車内です。運よく最前席が空いておりまして、当然の様に陣取りました。さすが、眺めは最高!暫しのロイヤル気分≠スだ、一つだけ残念だったのが、途中で高校生が大勢乗車してきて、その内の1人が着席禁止となっている、最前席の前の台にドッカと腰を下ろした事です。まあ仕方が無いですけどね。私はこの時は、パノラマカーに乗るのもこれが最初で最後になると予想していました。しかし、その後十数年の時を挟んで、何度か再乗車する機会に恵まれたのです。引退を迎えるまでに・・・・・。


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この写真が、福井→富山(新潟・長野)→岐阜(愛知)と周った旅行の、最後の1枚となりました。普通に富山から折り返し雷鳥で帰阪する予定でいた出発時には、想像もしていなかったショットです。場所は犬山橋を渡った地点で、ご覧のとおり路面電車のごとく併用軌道となっております。この区間は鉄道ファンの間ではつとに有名で、2001年10月に道路と鉄道が別々になるまで見られていました。前方からは、当時まだ健在だった、白帯付き特急専用の7000系が来ています。パノラマカー同士が路面軌道ですれ違う。考えられない様なミスマッチ光景が、かつては日常でした。この後新岐阜からJR岐阜駅に行き、東海道線に乗って帰阪しました。


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