福井→富山(立山黒部アルペンルート、黒部峡谷) [その5] 撮影:1993年7月12日
旅行5日目、本来ならこの日が最終日でした。この日の昼の雷鳥で、大阪に戻る予定だったのです。しかし、予定は未定。一人旅に急な行程変更は付きものです。結局旅行は一日延びる事になったのでした。この写真は午前中、まだ予定を変更すると決める前に、富山駅前を撮った一枚です。中央に市電が、その周りに地鉄バスが写っていますが、印象としては、ブルドッグが多かったですね。当時、阪急バスでは既に最晩年になっていましたが、全国では各所で見られたものです。中央の市電7000形は現存していますが、塗装は変わっており、今となっては懐かしいこの姿を、もっと間近で写しておけば良かったと思っています。


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さて、一日行程を延長したと述べましたが、その理由が写真の車両です。富山地方鉄道14710系。元名鉄3800形で、1948年製。この時引退直前で、この1編成のみ残っていました。私は折角富山に来たのだからこれにも乗ってから帰ろうと、最終日、富山駅で張り込むも現れず。結局、かなり時間的に際どくなってきた昼前になって、漸くやってきたのでした。そして改札口手前から1枚撮影。しかし結果的に写真はこの1枚のみとなり、何故もっとアップで、しっかり姿を残さなかったのだろうと、最近になってから後悔しています。確かに手前の手動の改札口は、どうやら現在でもこのままの様ですが、懐かしいですけどね。列車は上滝線運用で、時間が無かった私は南富山までの短区間、乗車しました。車内の様子も撮らずじまいでしたが、連結部の貫通扉が両開きだったと記憶しています。座席は赤だったでしょうか?とにかく、旧型色満点で楽しめましたが、どうせ行程を一日延ばす事になるのなら、もっとたっぷり乗っておきたかったですね。この2ヶ月後、14710系は全車引退しました。


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さて、所ガラリと変わって、ここは『猪谷(いのたに)』です。画面右にバス停が写っていますね。実はここ、JR高山本線の猪谷駅の近くで、元々予約していた大阪行きの雷鳥に乗り損ねた私が、一転、進路を南に変え、岐阜経由で帰ろうと思い立ったのでした。ならば当然JRに乗るところでしょうが、たまたま猪谷へ行くバスがおり、たまにはバスの遠乗りもいいかと思って、乗車したのでした。バスは確かスケルトン世代の車両で、従って写真には残していませんね(笑)。それにしても何故猪谷なのか?ここに何があるのでしょうか?それは後ほど明らかになります。


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こちらは遊歩道の様になっていますが、右手に流れる川は神通川です。四大公害の1つ、イタイイタイ病が発生した河川としても知られているのですが、この写真を撮った時、ちょっと不思議な現象が起こっていました。川の水面をスラ〜ッと雲が覆いかぶさる様になっており、水面がよく見えない、蒸気が立ち込めている様にも見えました。一体この現象は何だったのか?今でも謎のままです。その現象が見られたがゆえに敢えて写真に残したのですが、川の表面を水蒸気が覆っている様子は、写真ではあまり確認出来ないですね。因みにこの時、天気は薄曇りで、特に悪くはありませんでした。


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JR高山本線の猪谷駅です。富山県と岐阜県のほぼ境目付近に位置するこの駅、富山駅からバスで1時間半は掛かったのではないかと思います。バックには大高山(洞山?)がそびえています。冬は一面、雪景色に染まるのでしょうね。駅舎の様子は現在も変わっていません。
ここから列車で一路岐阜に向かったのか?と言えば、そうではありません。通りついでに、あるもう一つの鉄道に乗ってみようと思ったのです。


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神岡鉄道おくひだ号です。そう、先程、猪谷に何があるのか?何故猪谷に寄ったのか?と謎掛け質問を書きましたが、その答えがこれなのです。神岡鉄道、元国鉄神岡線。これに乗ってみようと思ったわけですねぇ。おくひだ号は1号・2号とあり、これは写真のとおり、2号です。正式な形式はKM100形、150形で、KMとは『Kamioka Myrail』の略だという事です(KaMiokaの略ではない)。写真は150形(車番は151)ですが、何故形式が分かれているかというと、車内において、100形は普通仕様、150形はイベント対応仕様と、それぞれ異なっていたからです。正面の三枚窓と、縦型のヘッドライト(この並びは60年代のバスを思わせる)が特徴でした。
神岡鉄道は、三陸鉄道に次ぐ全国2番目の、国鉄赤字線転換の第三セクター鉄道として、1984年10月1日に開業したのですが、2006年11月30日限りで廃止されました。


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正面の顔が個性的な神岡鉄道おくひだ号ですが、車内にも大きな特徴がありました。この手前部分、囲炉裏(いろり)の様なコーナーがありますね。本物の囲炉裏ではないですが、囲炉裏を模した寛げる、暖かな雰囲気を醸し出そうとしていました。何せ冬は豪雪で、寒さが半端無く厳しいですからね。この囲炉裏を模したコーナーは、イベントを行う最はテーブルセットに替わるという事でした。因みにイベント仕様であるこの車内は、テレビモニターも設置されていて(画面中央上)、トイレも付いていました(100形は無し)。よく鉄道雑誌でも紹介されていたこのコーナー、私も往復この部分に座って、神岡鉄道ならではの車内風景を楽しんでいました。


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終点の奥飛騨温泉口です。駅名からしてすぐに温泉がある事が解る様にしていたのは、観光利用に懸けるという気持ちの表れでしたね。国鉄時代は線名の由来となる、「神岡」という駅名でした。おくひだ号の側面を撮影したのですが、手前のオレンジの手すりが目立ち過ぎています。駅全体と併せ撮りたかったのでしょうが・・・・。トイレ付きのおくひだ2号は、その分窓が無い側面が目立ちますね。因みにその隣に留まっているディーゼル機関車はDE10形で、この時は現役でしたがこの3年後に事実上引退、2007年に解体されました。


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奥飛騨温泉口駅全景です。直ぐ前が駐車場になっている、典型的な田舎の駅、周囲に山深き風景が広がっていて、“奥地”である事を実感しました。折り返し猪谷行きで戻ったので、短くしか滞在しませんでしたね。


神岡鉄道は、元々神岡鉱山で出る濃硫酸などの輸送のために存在していたのですが、2004年大晦日限りで全貨物輸送が終了となり、この時点で鉄道としての存在意義は、事実上無くなっていました。末期は定期券を所持していた乗客が、高校生1人のみだった様ですが、私の手元には、定期券では勿論ないですけど、乗車証明書が今でも残っています。


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なかなかきれいな、新調したての様に見える改札口。でも、手動の改札口。この駅は、高山駅です。決して改札口を撮ったというわけではありませんが、高山の駅から町を覗いた様子を撮りたかったのです。飛騨の高山。この地には、実はこれより12年前(1981年)の夏に、旅行で来たことがありました。その時の事を思い出しつつ、シャッターを押した次第ですが、やはり駅前が広くなり、ネオンが増え、私が訪ねた時よりは大分開けてきたというのはよく分かりました。この日、私は神岡鉄道乗車後、猪谷からJR高山本線に乗りましたが、高山までの区間が初乗車区間となりました。そして高山で下車したのは、猪谷が普通列車しか止まらず、高山からは特急で岐阜まで行けるからです。従って乗り換えのために降りなくてはならなかったのですが(普通は高山が終点)、かつて旅行で訪ねた駅でもあったというわけです。


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高山からはこちら、キハ85系の『ワイドビューひだ』に乗りました。富山〜名古屋間を運行していますが、81年に高山に来た時は、今は無きキハ82に乗車していました。キハ85は平成生まれの新車でしたが、猪谷→高山は、年季を感じさせるキハ58に乗って移動しており、せっかくだから、キハ58を撮れば良かったと思っています。この当時はまだ各地で見られましたからね。今では風前の灯で、定期運用は富山地区の4両のみです。写真を見て分かるとおり、もう空は薄暗くなってきています。本当なら既に家に帰っていた時分ですが、この後岐阜駅に着いてから、今夜泊まるホテルを探し始めました。この辺りの気ままでのんきな旅スタイルが、学生時代らしくもあり、懐かしいです。


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