福井→富山(立山黒部アルペンルート、黒部峡谷) [その3] 撮影:1993年7月10日
さあ、この日はいよいよ、最大のメインだった、『立山黒部アルペンルート』を訪問する日です。時に二十歳の誕生日の一週間前。朝から嬉しさでワクワクしていました。先ずは富山駅からJR北陸本線を、糸魚川に向けて出発。その時に乗った電車は、ご覧の419系でした。この419系は、寝台特急車583系を、近郊型座席車に改造した車両で、写真は撮れなかったのですが、車内はある種独特の形状をしていました。特に座席が、一見して寝台を改造したと分かる様な雰囲気で、異彩を放っていたものでした。因みに私は80年正月、旅行先の金沢から大阪へ帰る時に乗ったのが、この車両の原型の583系でした。いわゆるブルートレインと違い、昼間は座席車に出来る構造だったので、私が乗った時も座席車状態でした。


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糸魚川駅です。ここから大糸線が分岐しており、それに乗ると、アルペンルートの東側起点である、信濃大町に行く事が出来ます。この糸魚川駅で一瞬下車して周辺を歩き、下の写真は駅前商店街の様子なのですが、この糸魚川は、実は新潟県です。


新潟県糸魚川市。


『富山駅→立山・黒部』と聞くと、途中経路も当然全て富山県だと思われるでしょうが、実は新潟県を経由するのでした。もっと東のほうにあるというイメージが強かっただけに、実際来てみて、何か意外な気がしました。特に大きな特徴はない田舎町の駅でしたが、私が新潟県を訪れたのは、現在のところ、この時一度きりで、いずれ改めて、もっとまともに新潟県のメインの土地を訪れてみたいと思います。


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大糸線南小谷駅です。糸魚川から信濃大町まで一気に行ける列車は無く、全て途中の南小谷で終点となります。
ここを境に、路線がJR西日本管轄と東日本管轄に分かれるとともに、電化区間と非電化区間にも分かれます。糸魚川−南小谷が非電化で、乗った列車は写真のキハ52です。今となっては大変懐かしい、昭和30年代前半製の国鉄型ディーゼルカーですが、この大糸線では2010年3月まで定期運用が見られていました。
私は89年5月に、旧国鉄のいわゆるタラコ色のキハ52に、小海線で乗車したのですが、やはり国鉄色の方が一層懐かしい思い出となって残ります。


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信濃大町駅です。いよいよここから、待ちに待ったアルペンルートの旅が始まる事になります。上の写真は、発車していく同線の115系です。現在でも変わらず見られる、長野色を身にまとっています。


長野色、信濃¢蜥ャ・・・・・、そう、実はこの駅は長野県なのです。立山・黒部アルペンルートの直接の紀終点駅、だったら先ほどの糸魚川よりも、なお当然に富山県だと思うのでしょうが、意外や長野県から、アルペンルートはスタートしていたのですねぇ。さっき新潟県にいたと思ったら、今度は長野県。そしてその前はもちろん富山県にいたわけで、私は立て続けに3県を経由した事になったのでした。下の写真は駅前ロータリーを含めて駅舎を撮影したものですが、手前に写るバス停から、扇沢行きのバスに乗りました。このバスを撮影していないのは惜しまれますが、アルペンルート第一号の乗り物であるこのバスも、当時の私の目には、あまり重要に映らなかったのでしょう。


そう、私の最大のお目当ては、この次に乗る乗り物だったのです・・・・・。


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さあ、いよいよ扇沢に到着しました。前方に雄大な立山連峰が見えます。ところどころ、雪が積もっている箇所もありますねぇ。ちなみにこの日は7月10日です。
手前に写るのが扇沢の駅舎ですが、『夏でも銀世界』の入口にふさわしく、雪雲然としたグレーの建物。この駅舎は、かつて写真でも何回か見た事があります。
画面下部の左の方に、辛うじてバスが写っているのですが、もしかしてこれが、信濃大町から乗ってきたバスでしょうか?


ひんやりした空気が漂う中、カメラを逆側に向けてみると、こちらは雪の箇所一つない、夏の山の色でした。本当に対照的ですね。こんなにも季節の色≠ェ違うというのは・・・・・。


なお、この扇沢も長野県大町市です。


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さて、いよいよ旅のハイライトシーンの登場です(笑)。写真のバス、見た事ある方もおられると思いますが、扇沢−黒部ダム間を走っている、関西電力のトロリーバスです。トロリーバスとは、架線から電気を取って走るバスの事で、日本語では無軌条電車とも呼ばれます(無軌条とは『線路が無い』という意味)。かつて全国の主要都市では、トロリーバスが存在していました。しかし自動車普及の波に押され、全廃。今ではこの黒部ダムで見られるのみとなっています。開通は1964年、東海道新幹線と同じ年です。そして写真のバスは69年製。開業初期の形のグループで、今はもちろん、当時も既にどこでも見られなくなっていた、懐かしいデザインです。大半がトンネル区間で全長も6km程度、しかも冬季は運休という運用である事から、長持ちをしていたのですが、この年から新型トロリーバスとの置き換えが開始され、余命短しの状況でした。その事を本で読んで知ったため、こうして乗りに来たのです。


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トロリーバスの車内です。60年代の雰囲気を今に伝えていたこの車両は、200形と呼ばれていました。何といっても側面の、バス窓と呼ばれる窓が一番懐かしいです。このタイプの窓はかつて本当に、どこに行っても当たり前に見られたものでした。私の地元である阪急バスだけを見ても、“バス窓世代”のバスに何回乗ったか分かりません。しかし、80年代後半までに大半が姿を消し、このトロリーバスは貴重な『昭和遺産』となっていました。モノコックボディーならではの丸みや、扉ガラスの形状など、どれを取っても『元祖私の乗ったバス』のイメージそのものでした。


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旅の最大の目的だったトロリーバスの乗車時間は短く、出発から15分余りで、終点の黒部ダムに到着しました。ご覧のとおり、トンネルのド真ん中です。トロリーバスがズラリと5台並んでおり、うち手前2台が旧型車両、後方3台が新型車両(300形)です。


乗る前の予想とは違い、トロリーバスは一便に、5台が一遍に運用されていました。まるで学校の遠足のバスのように、同時出発のバスが5台、ズラリと待機しているのです。扇沢でもその様な状況でした。
そして5台のバスの、どれでも好きな車両に乗れるのかと言えば、実はそうではありませんでした。夏休みシーズンのこの日は大変混んでおり、写真は人が全員去った直後に撮影したので窺えませんが、扇沢で乗車する際も、誘導員が各乗客に、「ハイ、こちらのバスに乗って下さい。次の方はこちら・・・・・」と、振り分けていたのです。
もちろん私も例外ではなく、従って私はたまたま、運好く旧型バスのほうに乗れた(誘導された)という事になります。そして、同じくたまたま先頭のバスに乗る順番に当たったから、バス正面の写真を2枚も撮れたのでした。もし、たまたま順番が違っていたら、私は後方の新型に乗るよう言われていた事でしょう。
そうしたら私は、お目当ての車両を前にしながら、それが叶わずに終わるという、無念の旅行になってしまっていたに違いありません。
つくづく私は、5分の2の確率で幸運をモノに出来たのだと思います。


下の写真は、なかなか本では見る事が無かった、60年代型トロリーバスのリア面です。


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トロリーバスに別れを告げて、トンネルから外に出た私。目の前で待ち受けていたのは、吸い込まれるがごとく壮大な立山連峰でした。まさに畏敬の念さえ覚える雄大な景色。かつてここで、命をかけてダム建設をおこなった先人の苦労が偲ばれます。のちにNHKプロジェクトXで見た時も、本当に過酷という表現でも物足りないような、壮絶極まりない現場だったのだなと思いました。こんな地に、よく物を造ろうという気持ちになったものです。


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黒部ダムに到着しました。
トロリーバスだけが関心の的だったわけでは決して無くて、やはりこの有名な黒部ダムそのものにも、興味はありました。
とにかく、一度は生で見てみたかった黒部ダムですが、やはり凄かった〜!
期待に違わず、超迫力満点の光景でした。


私が到着した時、ちょうど放水が行われていました。
ダムに着く前から『ゴ〜〜〜!!』という、地響きのような轟音が聞こえていましたが、私はダムの何かの装置の音、即ち機械から発せられる音だと思っていたのです。
そしたら、放水の音でした。つまり、水そのものからの音だったわけで、水というのは、いざとなったらここまでの轟音を鳴らすんだ、と感嘆したのでした。


それにしても、こんな地形的にも気候的にも厳しい場所に、よくぞこんなデカい物を造れたもんだな、と、改めて感心しました。
直接工事に携わった人の心境を想像すると、気が遠くなりそうになったものです。
何とまあ巨大なダム。放水の激しさも手伝って底の方がよく見えなくなっており、文字通り“底知れぬ”規模だと思いました。


ダム本体や放水の勢いも凄かったですが、ダムの上に広がる岩壁に満ちた風景と合わせて見ると、余計迫力のある物に感じられました。
いや〜、来てみて良かったです。


いずれもう一度訪れて、今度はデジカメで、もっとリアルに色々表情を撮ってみたいですね。


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黒部ダムを後にし、黒部湖から黒部平までケーブルカーで移動しました。もっとケーブルカーに近付いてから、車両全体をきれいにアップで撮れば良かったですね。今なら当然そうするのですが、この当時の撮影センスというのはどうも・・・・・(嘆)。ま、しゃーないですな(汗)。
乗り場はひたすら、半円形のトンネルでした。
ところでこのケーブルカーの車両は、今でもこの写真の物が使用されているようです。


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黒部平からは、大観峰までロープウェイ移動。本当に、『交通手段博覧会』のごとく、いろいろな種類の乗り物が登場しますね。それでいて、ごくごく実用的な理由からこうなっているのです。ここではまた、エラいドアップで撮っておりますね。このロープウェイは、途中に支柱が一本も設けられていないのが特徴でして、支柱無しのロープウェイとしては日本最長なのだそうです。


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ロープウェイからの眺めです。車内から歓声が多く聞こえていましたが、視界を遮る支柱が全く無いということで、雄大な立山連峰を欲しいままに眺めることが出来ました。今までいろんなロープウェイに乗った中でも、この立山連峰は、眼下に広がる眺めとしては最高だったのではないかと思います。ここでもところどころ、残雪を確認することが出来ました。


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大観峰駅からは、撮影はしませんでしたが、トンネルバスで室堂駅まで、そして室堂駅からは再びバスで美女平まで移動しました。
このうちトンネルバスは、当時はガソリンで動く普通のバスだったのですが、現在ではトロリーバスとなっています。
先に登場した『扇沢−黒部ダム』のトロリーバスが、長らく『日本唯一の』トロリーバスであったのが、現在は2ヶ所という事になります。


さて、左の写真はいずれも美女平です。真夏であるにもかかわらず、雪に覆われ、路面は凍結し、真冬そのものという光景が広がっていました。遠目に残雪を眺めているのとは違って、こうして目の前に銀世界が広がると、「すごい」と思いました。
本当に、季節とのギャップをまざまざと感じましたね。
このまま余裕でスキーも出来そうです(私自身は滑れないですが)。


それにしても、真夏でさえこの様相だったら、冬はホントに、どうなっているんだろう?と想像せずにはいられませんでした。恐らく、南極とも比べられるほどの寒さになる事だろう、と。
風邪を引かない内に、名前とはあまりに裏腹な風景を見せる美女平を後にしました。


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これもケーブルカーの下の方が完全に切れてしまっている、出来損ないの写真ですが、美女平から立山駅に下るケーブルカーです。このケーブルカーを持って、立山黒部アルペンルートは終了となります。いや〜本当にユニークな、他では味わえない“ルート”の旅でした。まだまだもっと、次々続いてほしいな〜と、趣味心には思わずにもいられませんでしたが、とにもかくにも、無事目的を果たしたのでした。


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富山地方鉄道立山駅です。信濃大町からここまで、直線距離では25km弱という事です。しかし高低差では2km近くあり、美女平と立山では、ケーブルカーで距離にして僅か1.3kmを挟んで、気候は雲泥の差でした。そして東側の起点がかなり広いスペースからスタートしていたのに対して、こちら西側の基点はごじんまりとしたローカル私鉄の駅です。ただし富山地方鉄道は、車内設備など、車両のグレードはかなり高い事で昔から知られています。
この駅から一路、富山駅へ。興趣に満ちた一日が終わりました。


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