福井→富山(立山黒部アルペンルート、黒部峡谷) [その1] 撮影:1993年7月8日
20歳の誕生日を目前に控えた、93年の7月上旬、私は福井県と、富山の立山黒部アルペンルート、黒部峡谷へ旅行に行ってきました。最初の1枚は、京福電気鉄道福井支社の、永平寺駅です。現在、京福電鉄は『えちぜん鉄道』となっており、またこの永平寺線は、2002年10月21日限りで廃止されました。この駅も現存せず、今となっては懐かしい記録となりますが、有名な永平寺を見学したいという目的も混めて、京福永平寺線に乗車したのでした。


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永平寺駅ホームにて、停車中の電車を撮影。えちぜん鉄道となった現在では、塗装自体も大きく変わり、この塗装も大変懐かしいです。私の中では、今でも馴染みのあるカラーですが、私の中でも記憶に新しい、2001年6月の衝突事故が、経営主体転換の原因となりました。停車中の車両はモハ251形で、1950年代に造られた車両。非貫通3枚窓のまとまったスタイルをしていました。前述の衝突事故の後、休車状態となり、そのまま廃車となりました。
ところで、ホームの上には小さな鳥居も作られ、木も覆い茂っていて、神社が近いことを窺わせています。


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永平寺境内です。参拝客で結構混雑していますね。夏の永平寺はなかなか涼しかったと思います。
永平寺は、道元が開いた寺で、ここが正門となるのですが、両側の石柱にはその道元の言葉が刻まれています。右側の言葉が「杓底一残水」で、左側の水が「汲流千億人」です。意味は、「柄杓の底に残った僅かな水でも、川に戻せばその流れの先で、千億人がその水を汲み取れる」というものです。つまり、一人ひとりが、少しずつ、資源を無駄にせずに自然に返せば、それで結果的に多くの人を救えるという事で、現代の、資源のリサイクルに通じる言葉だと思います。


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寺院の内部です。写真には撮っていませんが、途中、階段状の回廊を歩いたのを覚えています。僧堂でしょうか?何という建物(堂)だったかは覚えていません。ここで若い修行僧の人が、永平寺での日々の修行について紹介していました。ほとんど記憶には残っていないのですが、確か以下の話をしていた様に思います。
「風呂では身体だけではなく、心の垢も落とす」
「お手洗(トイレという言葉を使わなかったような気がする)では、ただ単に用を足すのではなく、仏教の法典の○条を口で唱える」
「食事は肉・魚・卵を使わない、山菜料理を採っている。」


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境内の建物の、瓦屋根を撮ったものです。寺院独特の風景ですが、本当に緑深くて、『空気の味』も全然違っていたと思います。修行僧の話を聞いた時には、僧侶の年齢があまり私と変わらなかっただけに、「こういう人生を送る人が、やはり実際にいるんだ」と、何やら衝撃にも近い心地になったのを覚えています。


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帰り道、外側に出てから参拝客入口を撮影。ここに来たのが切っ掛けとなって、私はその後、ことあるごとに冗談で、「おれ、ちょっと永平寺で修行してくるわ」と言う様になりました(笑)。実際に修行をしようものなら、多分一日でギブアップしてしまう事でしょう。何しろ雑巾がけ一つとっても、それこそ何往復も何往復も、広い廊下をピカピカになるまで磨かないといけないわけですからね。


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こちらは勝山駅です。永平寺線の後、京福電鉄勝山本線の終点まで乗りました。この勝山から福井に至る路線は、現在も『えちぜん鉄道勝山永平寺線』として運行されており、駅舎もほぼこのままです。地方のローカル鉄道の駅舎も、どんどん現代風の物に建て替えられている昨今、この駅舎は数少ない風情ある駅舎といえます。映画のロケでも利用されたとか。


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湘南型スタイルのこの車両は3001形です。元南海電鉄11001形で、京福福井支社に来て最も乗りたかった車両です。南海時代は特急車で、車内はその当時のままのクロスシート。福井までの27.8kmの旅を、ゆったりと過ごす事が出来ました。この当時、本家・南海には、高野線に、同様のスタイルの21000系が走っており、私自身、この旅行の僅か10日後ぐらいに乗車しています。だからまだ、そんなに『絶対貴重』というほどには映っていなかったのですが、それでもスタイルが好みだったのと、この線に一番マッチしている様に見えていたので、乗れてすごく嬉しかったです。2003年に廃車となりましたが、2001年以降、運用から外れていました。


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福井駅です。JRの電車も見える(少しだけですが)中で、左側に待機している車両が、阪神から来た2201形です。阪神時代は3301形で、単行運転時代の武庫川線の運行を独占していました。その当時に1回乗った事があります。えちぜん鉄道になってからも、新塗装となって使用されていましたが、2005年に廃車となりました。それにしても、何で車両がまともに写るように撮らないで、こんな、一部が柱に隠れる中途半端な撮り方をしたのか、本当に謎です。上の3001形と違って、あまり(この当時は)印象に残らなかったからですかね?


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