叡山電鉄乗車 撮影:1989年10月10日
叡山電鉄(叡電)本線の終点、鞍馬駅にて撮影した、デオ600形606です。この当時は主力として活躍していましたが、2008年10月に全車引退しました。前身である京福電鉄叡山線時代の面影を最後まで伝えていた車両として、最後は貴重な存在でしたが、冷房車化されなかったことから、2004年以降は予備車的存在となっていました。
ホーム上、至るところに『祝』の文字が見えますが、これは京阪電鉄鴨東線(三条ー出町柳)開通を祝福したものです。この開通によって、叡電は初めて他の鉄道と連絡する駅がある鉄道となり、『京の離れ小島鉄道』の状態が解消されました。その意味でも、京阪の延伸は叡電にどれだけの利益をもたらしたか分からず、開通に合わせて、鞍馬駅も大変きれいになりました。
なお、この日は本線のみ乗車し、宝ヶ池−八瀬遊園には乗車しませんでした。この5年後の1994年8月に、比叡山ロープウェイ→ケーブルカー経由で八瀬遊園駅を訪問、叡電で出町柳まで乗車しています。


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鞍馬駅周辺の様子です。
上の写真は、鞍馬寺仁王門を望んだショットで、祝日とあってかなりの賑わいを見せていました。大阪方面から叡電に乗りやすくなったことで、叡電を利用しての参拝客も増えたことでしょう。鞍馬寺は796年頃に創建されたと言われているので、この時は1200年近い歴史を刻んでいました。

そして鞍馬寺に入る直前、階段の手前で道が右に折れていますが、その地点まで行って右方向を撮影したのが、下の写真です。
奥は鞍馬山、そして手前は古さを感じさせる軒並みで、洛北の町の風景でした。


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鞍馬寺仁王門から境内に入り、上から駅方向を撮影したものです。この日、天気は薄曇りだったと思います。少し到着した時間が遅めだったように記憶しており、従ってあまりゆっくりとは過ごせなかったと思います。改めて、参拝客多いですね。
なお、仁王門は770年に創建されるも、1891(明治24)年に一度火災で焼失するも、20年後の1911年に再建されました。


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鞍馬駅まで戻ってきたところで駅舎を撮影。入口の両脇にも『祝 京阪鴨東線開通』の垂れ幕が下がっており、この開通を叡電がいかに歓迎していたかが窺えます。駅も私が持っている『鉄道ピクトリアル85年3月増刊号<特集>関西地方のローカル私鉄』で写っているものと比べると、見事に化粧直しをしていました。それまでずっと離れ小島鉄道だったのが一転、大阪の淀屋橋から乗り換え1回で来られるようになったのですから、体裁も整えたいというものです。
現在、叡電は宝ヶ池駅に於いても、京都市営地下鉄烏丸線が、すぐ近くの国際会館まで延伸してきており、地下鉄では最長で奈良まで直通出来るようになっています。

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これぞ私が叡電を訪ねるにあたり、最大のお目当てとしていた車両、デナ21形です。写真はトップ編成のC#21+22。1928(昭和3)年登場で、阪急でいえばあのP−6(デイ100形=元新京阪)と同世代で、この時点で既に還暦を越えていました。

この日は京阪延伸直後の祝日で鞍馬駅は相当混雑しており、そのため、当時大阪地下鉄梅田駅で毎朝見られていたような、改札制限が行われていたのです。ひとたび駅員の指示で改札内に入ったら、その時停まっている電車絶対乗らなくてはならない状況で、デナ21形の前には先発列車のデオ300形が停まっていたのですが、それに乗らなくてはならなくなるかも知れませんでした。
「何とかお目当てのデナ21に当たってくれ」と願っていたら、めでたくそのとおりに。何発車前の撮影も辛うじて出来たのは本当に今となっては貴重な記録となりました。車内が相当混雑していることが、この写真からも分かるのではないか?と思います。

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辛うじて1枚だけ撮れた、デナ21形車内の写真です。何しろ混雑が激しく、その上揺れというのがこれまた、ウルトラ激しくて、まともに写真を撮れたものではありませんでした。こんな老体でよくここまで走るものだと思ったほど、結構スピードが出ていましたね。
車内全体を撮りたい気持ちはもちろんあり、この日は状況的に無理だったので、「またもう一度来ようか」とこの時は思いました。しかし結局それが実現することは無く、従ってこの時の乗車が、デナ21形への最初で最後の乗車となりました。こんな切れ端みたいな写真でも、ニス塗り木目の内装の様子が伝わる写真が残っているのは貴重なこと。また、ピントもバッチリ合っており、恐らく現在のデジカメならばかえってここまで撮れなかったのではないかと思います。89年は、自分のアナログカメラを使い始めた元年となったのですが、その15年後には、完全にデジカメが取って代わっていました。
ところで、この電車に乗った感想を歌った短歌が一首。【洛北の 山眺めつつ 老体を ふるわせ走る ローカル電車】。この作品が、これより約1ヶ月後、朝日歌壇の馬場あきこ選に掲載されました。生涯一度の入選、貴重な青春の思い出です。


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これは下車後、出町柳で撮影したもの。一つ上の解説でも述べたとおり、60年選手の古豪に乗ったのはこの1度きりとなりましたが、今となってはそれでも良かったと思っています。デナ21形は1994(平成6)年11月に全車引退し、実に66年に及ぶ生涯でした。
今では車両もすっかり衣替えされて久しく、この当時の面影はありませんが、平成も元年だったこの時は、まだまだ昭和の香り漂う、古き良き車両陣営でしたね。


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帰り道、京阪の出町柳駅を取った1枚。鴨東線祝賀ムードに沸いています。まだ開通6日目でした。確かこの時は、改札口を出たところの地下通路沿いで記念品の販売が行われており、私も『鴨東線開通記念乗車券 京都洛北車窓風景絵巻』と書かれた絵巻を購入したのですが、現在それが行方不明なのが惜しまれます。あの祝賀ムードを覚えているファンはまだまだいると思いますが、当時は鴨東線開通に備えて登場した8000系新特急車もまだ1編成のみであり、この日私は行きしなに運よく初乗車。そしてこの写真撮影後、帰りに淀屋橋まで乗った特急は3000系でした。
なお、淀屋橋までは、当然千里中央から北急+地下鉄御堂筋線でやってきましたが、この日、少なくとも行きしなに乗ったのは30系だったことを、何故か今でも憶えています。


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