サマースクール in Cushing Academy(キャンパス編) 撮影:1990年7月中旬〜8月中旬
全ての写真の右側に、解説文があります 1990年7月7日〜8月20日まで、アメリカのマサチューセッツ州にあるCushing Academy(クッシングアカデミー)に、サマースクールに行っていました。私にとって、生涯初の、そして恐らく唯一にもなるであろう、アメリカ東海岸への旅です。時に高校2年の夏休み。当時通っていた英会話教室の先生の勧めで、行ってみたのでした。ボストン空港からハイウェイバスで実に4時間半の長旅の末、到着したこのクッシングアカデミー。最初到着した時は夜でしたが、翌日、昼間にみたクッシングというのは、それはそれは広大な学校でした。見渡す限り広がる芝生の庭。とても同じ敷地内とは思えぬ間隔で、点在する各校舎たち・・・・・。アメリカの土地の広さをとことん実感させられたひと時でした。


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これは私が滞在中に暮らしていた、寮です。のちに大学に留学した時も、最初の1年は寮で生活する事になりますが、その『母体験』とでも言ったらいいのでしょうか?この寮はCooke(クック)という名前で、ローマ字の綴りを知る前は、てっきり料理のクックが名前になっているのだと思っていました(笑)。寮は2人部屋で、私は最初はベネズエラ人がルームメートだったのですが、1週間ほどで何故か部屋を変わるよう管理人から命じられ、その後はフランス人がルームメートとなりました。今から思えば、2人目の、フランス人のルームメートのほうが、私とは合う感じだったので丁度好かったのであるが、何故途中で急に部屋を変わることになったのか、その理由は永遠に謎です(^^)。ところで、この寮の管理人は、黒い大きな犬を飼っており、私にもすぐになついてくれました。そして犬を通じて、管理人と交流出来たのも、良い思い出です。


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こちらは寮の中です。撮影したのはルームメートで、写っているのが、顔は見苦しいのでボカしてありますが、17歳になった直後の私です。何か必死にノートを見ていますが、窓の外もどうやら夜らしいことから、多分翌日にテストかなんか控えていて、慌てて復習しているのでしょう(笑)。ベッドの上も机の上も、プリント類で散らかっている感じで、このあたりの整理整頓の悪さは、今でもあまり変わらないですね(汗)。部屋の一部しか写っていませんが、まあこんな感じの部屋だったわけです。なお、この写真を含めて、4枚連続で寮の部屋の写真が出て参りますが、全て2人目のルームメートと過ごした部屋での撮影です。


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こちらは机に向かって、勉強に励んでいる(多分)私です。いちおう辞書も広げたりして、それらしい事はやっている様です(^_^)。しかし机の上の散らかっている事よ・・・・・(汗)。この当時は、まだのちの留学時代ほどは英語力も充実しておらず、今思えば、よく宿題の内容に付いていけてたな、という印象です。まあ、かなりレベルへ低目のクラスではあったのですけど。確か毎晩8時から9時はでは『Study hall』といって、全員に対して、勉強だけしかしてはいけない時間が設けられていました。そして寮の管理人ほか、学校のスタッフが寮内を巡回し、みなが勉強しているかどうかチェックしていたのです。従って、部屋の入口は、必ず開けておく事がルールになっていました。今でも同じ体制かは全然分かりませんが、なかなかアメリカの学校は厳しいものだというのを、肌で感じましたね。


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ベッドの上で、お疲れの私です。これは昼間に撮影したものですね。今でも覚えています。横には無造作にパジャマも置かれていますね。クッシングアカデミーでの学校生活は、先ず学力別クラスで午前の3時間(確か文法、ヒアリング、スピーキング)あり、午後からは選択コースのクラスで2時間(?)勉強、最後はスポーツで、私は何と、テニス部でした。ほんの40日弱のテニス部生活でしたけど、事前に日本でラケットも用意して渡米していました。なかなか密度の濃い一日でしたけど、やっぱり若かったんですね。何だかんだ言って、結構体力的には付いていっていました。


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さて、こちらが当時のルームメートです。前述のようにフランス人で、名前は確か、リオネルでした。ご覧のとおり、私よりは大分立派な体格をしている人でした。この写真、リオネルは上下ともカジュアルな服装ながら、いきなりネクタイをしたりしていますが、これは私が写真を撮ると言ったのに対して、ふざけてやった事です。そして右手を高く上げ、まるで選手宣誓のようなポーズを取っていますが、これも勿論ワザとです。とにかくこのルームメートはふざけるのが好きで、ひょうきんなタイプの人でした。一緒にいて、とても楽しい人でしたが、それでいて勉強は私よりもずっとよく出来て、英語にも丸っきり不自由していませんでした。サマースクール終了後、1年ぐらいは日仏間で、手紙のやり取りをしていました。しかし、やがて音信不通になって、現在に至っています。もし、サマースクールを体験したのが今だったら、間違いなく電子メールで、気軽にメール交換をしていた事でしょうね。当時はそんな時代が来るなんて、想像もしていなかった頃です。


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これは寮とダイニングルームが合わさった建物です。影が長いので夕刻ですね。ぼちぼち夕食が近い頃です。どこの学校でもそうかも知れませんが、この学校のダイニングルームもご他聞に漏れず、メニューの変化が乏しいものでした。それでも、味自体は美味しかったから、特に不満はありませんでしたけどね。今ではかなり少食になっている私も、この頃はまだ若かったので、それなりにたくさん食べていたと思います。それでも他の同年代に比べれば少なかったのかも知れませんが・・・・・。私は食事の時は、テニス部で友達になった香港人のグループと食べる事が、多かったと思います。それ以外は、クラスメートだった韓国人の友達・・・・・、外国人で英会話はしていますが、顔は同じ民族が多かった様ですね。


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この写真はダイニングルームの中です。なかなかきれいで、豪華な感じがしますね。この日は特にそうでした。テーブルにはクロスがかけられ、レストランばりの三角ナプキンも置かれていますね。中にいる人たちも、スーツを着ている人もいれば、何やら浴衣らしき物を着ている人も見受けられます。そして右側には、赤ん坊を抱いているお父さんの姿もありますね。まるで何かの交流会の様・・・・・。そうです。この日は実は、世界各地からサマースクールに来ている学生や、学校のスタッフが一堂に会した、文化交流会だったのです。それぞれの国から来ている学生の内の何人かが代表で自分の国の文化や特色を紹介し、作品や音楽などを披露していました。ちょうど、サマースクールの期間も終盤に入った頃で、盛大に異文化交流会が開催されていたのでした。これより4枚はその模様です。


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こちらはグッズの展示コーナーです。各国の各地の文化や伝統を紹介するグッズや写真などが、多数並べられていました。みなさん、これだけいろいろ、用意してきていたのですねぇ。確か日本の絵本もあった様な気がしますが、ハッキリとは覚えていません。そして私はというと、さしたる展示品も用意していなかったので、とりあえず、日本の文学を紹介する物と称して、持ってきていた自作の短歌・俳句集を置いておきました。何人かの日本人の学生にはウケていたような、いなかったような・・・・・(笑&汗)。その短歌・俳句集、当時は思春期の私の内面を映し出す、鏡の役割を果たしていましたが、時代は変わり、現存しません。その代わりではありませんが、当サイト内に、『一句・一首掲示板』というのを設置しています。閑古鳥が鳴いていますが・・・・・。


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代わりまして、ステージ上でのパフォーマンスのコーナーです。この時上がっていたのは、香港の学生たちです。一番手前で両手を上げてニコニコしているのが、司会をしていた人ですが、この人とはクッシングにいる間、仲が良く、いろいろしゃべったりしました。ただ、英語力はかなり上のほうの人だったので、どうしてもこちらは聞き取るのに四苦八苦し、せっかく相手が熱心に話してきても、こちらは半分以上、分かっているフリをするだけに終わったという、ホロ苦い思い出もあります。香港人の友達は一番たくさん出来ました。何人かとは住所交換もして、帰国後、手紙も書きましたけど、さすがに18年経った今、連絡し合う事はありません・・・・・。


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この写真、右上の方に、着物姿の2人が立っていますが、確か日本人で、私もしゃべった記憶があります。そして、一つ上の写真で各国の学生がパフォーマンスをしていましたが、日本人の中からは、上記の2人と、あと何人かがステージに上がり、ピアノで『さくら』の曲を紹介していたと思います。あとは何をやっていたか覚えていません(爆)。写真手前では展示品が写っており、ここでは絵葉書がたくさんあります。なお、余談ですが、このダイニングルームの隣には、学生センター(Student Center)があり、毎週末、ダンスパーティーが開かれていました。私も友達としゃべるために顔を出してはいましたが、根がダンス嫌いな私は、ほとんど踊ることはありませんでした。ダンスホールの横にはビリヤードのコーナーもあり、私は前述の香港人の友達と、よくビリヤードに興じていました。私がビリヤードを体験したのは、思えば後にも先にもこの時だけです。


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最後の1枚は、ある日の放課後、バレーボールのコートでの一コマ。とにかく広大で、自然も豊かだったクッシングアカデミーは、スポーツをするための各スペースも、豊富に点在≠オていました。そして、学校と外とがハッキリ区別されていなかったために、学校の中だと思って歩いていたら、いつの間にか外に出ていた、なんて事もありました。ところでこの写真、一番右に写っている人は、ポールを必死に引っ張っている様な格好で立っていますね。実は本当にポールを引っ張っていたのです。というのも、どうも安定が悪いのか、パッと手を離すと、ポールが内側に倒れてしまう状態だったのです(汗)。ともあれ、本当に解放感を味わえた空間でした。


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約40日間の、クッシングアカデミーでのサマースクール。辛い事やしんどい事もありましたけど、とても楽しく、また気分も最高の日々を過ごせたと思います。今振り返れば、我ながら何とぜいたくな体験をした事か。もう二度と出来る体験ではありませんね。
ところで、このサマースクールでは、ひとつ忘れられない思い出があります。それは、滞在中の7月17日、私が17歳の誕生日を迎えた時の話なのですが、それについては、こちらのページにて、エッセイを公開しておりますので、ぜひご一読下さい。なお、エッセイの中では、このページと同じ写真が出て参ります。重複致しますが、なにぶん手持ちの写真が少ないが故に、どうかご了承下さいませ。
そしてもう一つ、ある事を思い出しております。それは、スピーキング(Speaking)の授業の時、各自が将来の夢と、10年後に何をしているかを話すという日がありました。私の答えはこうでした。
「夢はエッセイストになる事。10年後には、エッセイを書いている。そして第一作目のエッセイは、クッシングアカデミーでの生活の事。」
先生は大変喜んでいましたが、もちろん私の中では、実際にその通りになるかどうか、半信半疑でした。
果たして、プロのエッセイストになる事は、ありませんでしたが、当時まだ想像すら出来なかった、インターネット上のホームページという物を作成。そしてその中で、クッシングアカデミーでの生活の、全部ではありませんが、一番印象に残った出来事を書いたエッセイを、公開する結果となったのです。先ほどリンクを張った、誕生日の思い出についてのエッセイがそれであり、今回読んで頂いたこのページと合わせて、あの時授業で話した事が、実現する結果になりました。時期こそ10年後ではなく16〜18年後となり、またエッセイの作品としても、処女作ではなく4作目となりましたが、実現はしたのです。
ある部分、有言実行。何よりもこうやって、いつまでも記憶が鮮明なまま残っている事が、喜ばしいと感じますね。
さて、こちらのページでは『ボストン見物編』と称して、マサチューセッツ滞在中、州都のボストンの各地を観光した記録を公開しています。

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