チコの最後の計らい

 1985(昭和60)年12月初めのある日・・・・・、衝撃的な知らせが私の耳に飛び込んできた。
 私の最初の記憶がある頃からずっと傍にいた犬の一匹、チコが、ガンに侵されているというのである。既に手術は不可能で、余命数ヶ月という。飼い主は顔を曇らせながら静かな口調で、
 「最後まで会いに来て、可愛がってやってや。」と言ってきたが、当時12歳の少年だった私は、その思いがけない知らせに、一瞬絶句した。
 「ここら辺、触ってみ。何か、コリコリッとした物があるやろ?それがガンやねん。」
 飼い主が犬のお腹の真ん中辺りを撫でながら言って、私はやや恐る恐る、その部分を触ってみた。なるほど、確かに堅い球のような物に触れている感触がある。これがガンなのか・・・・・。直接手で感じたというのがあまりにもリアルで、一瞬、今の感触を忘れたくなったが、それでもじっとチコの顔を見つめていた。

 見たとこ、特に苦しくはなさそうであった。最初は激しく嘔吐したと言い、それで獣医に診てもらったところ、ガンが発見されたのであるが、一通りその症状が治まると、あとは取りあえず元気であった。散歩に行くとよく引っ張って、とても病犬とは思えなかった。

 さて、同じ月の暮れ、もう一つの大きなニュースが、私の耳に届いた。ちょうど小学校の二学期の終了式の日である。
 次の年の4月から、父の転勤のため、中国の北京に引っ越すというのだ。父が開口一番、
 「お前、北京に行く気あるか?」と訊いてきたから、私はその時は『何のこっちゃ?』と思ったものだった。

 北京に転勤・・・・・。その時期まであと3〜4ヶ月。父には、会社から3年間の転勤令が出たのだと言う。私は来年の春になったら、3年間日本を離れることが決まったのだった。
 一方、確実に死が近付く運命にあったチコも、余命は2〜3ヶ月前後とされていた。
 私の中で、時間と時間の闘いが始まった。
 「チコは、果たして私が北京に旅立つ日まで生き延びてくれるのか?それとも、チコの旅立ちを先に見送ることになるのか?もし、同時になったら・・・・・?」
 冬休みが明けてからの三学期は、落ち着かない毎日だった。あまりこういう時期比べ≠ヘしたくないと思ったが、のちにもっと残酷な時期比べをせざるを得なくなる運命にある事は、当時の私には知る由もなかった。まあ、その事はここでは触れない。

 さて、小学生最後の学期でもあった三学期は、一日一日が噛み軋まれるような心地で、毎日を送っていた。チコは思いのほか容態が安定しており、次第に会いに行くのもドキドキしなくなった。飼い主があきれ半分のような笑みを浮かべて、
 「この犬、ほんとに病気なのか?」と言うのを聞くと、本当に病気が治ってきているような心地さえ覚えたが、体を触ると否応なしに堅い球形のものに行き当たる。そしてそれは、不気味にも着実に大きくなっているのが分かったのであった。何故、見た感じのチコの状態が健康だった頃と変わりがないのか、不思議なくらいであった。歩く足取りもしっかりしていたし、エサも、さすがに量は減ったというが、きちんと食べていた。依然、予断を許さないことを認識していた私は、出来るだけ一緒にいる時間を設け、またひんぱんに散歩にも連れて行った。
 一方、私が日本を去る日も、着実に近付いていた。いつ犬の容態が急変するか分からないという不安を抱えつつ、3月、小学校卒業の時を迎えた。

 春休みになり、いよいよ北京に旅立つ日が近付いてきた。最初、旅立つ日は3月29〜30日頃と言われていた。だが、その後4月7日に延び、さらに間際になって、今度は4月12日に延びた。延びるたびに、チコと会える日がその分長くなって嬉しくなる一方、私の描く『最悪のタイミング』が現実のものとなりやしないかどうか、不安で胸がドキドキしていた。ただでさえ日本を離れるのは寂しいこと。その上、直前に犬との死別があっては、これはもう北京に行ってから、うまくそこで暮らしていく自信が無くなってしまう。私はどうか頑張ってくれと、チコに祈るばかりであった。

 そんな私の心配をよそに、チコは相変わらず元気であった。鼻の先も濡れていたし、散歩に行っても勢いよくダッシュした。だが、体型自体は着実に痩せ衰え、骨がむき出しで、ガンも身体の元々の線より外側に半径が広がるくらい、大きくなっていた。動きと体付きとの余りのギャップ。一目見て病犬と分かる体型をしていながら、元気よく毎日を送っていた。

 4月12日、ついに北京に発つ日が来た。
 家から空港に向かう直前、チコと、ほかの2匹の愛犬が、飼い主3人にそれぞれ連れられて見送りに来た。
 私は涙で霞む視界を晴らしながら、もう二度と会えない事が分かっているチコに手を伸ばした。チコ自身は、果たして己の死が近付いてきているという事を、察知しているのかどうか?いつもどおりに私の手に鼻先を付けてきた。これが今生の別れだとは、みじんにも感じていないだろう。チコはほかの犬たちに吠えかけたり、他の方向へ行こうと引っ張ったり、とにかく体力は充実していた。まだ、しばらく命はあるだろう。だが、私はもう、遠くへ飛び立つのだ。次に日本の地を踏むのは、最低でも4ヶ月は先だ。
 胸が締め付けられる思いがした。犬自身だけが別れを知らない光景の、何と切ない事か。と同時に、私はホッとした。

 「これでいいんだ。チコの元気な姿が、私が肉眼で見た最後の姿となった。辛い、苦しむ姿を見なくて済んだ。これこそが理想なんだ。」
 私は自分に言い聞かせて、間もなく迎えに来たタクシーに、両親とともに乗り込んだ。犬たちの姿が見えなくなるまで、手を振った。

 北京での新しい暮らしが始まって4日経った4月16日、この日は中学の入学式であったが、夜日本に国際電話をかけ、恐る恐るチコの様子を聞いた。
 「元気だよ。」ということだった。
 それから一週間後、犬の飼い主からの手紙が届いた。
 「チコは、4月19日の夕方、亡くなりました。みなさんが北京に行く時まで元気で、よかったですね。」
 手紙を読んで、母と2人、涙した。
 「とうとう逝ってしまった。距離が離れていて何かホッとするけど、でもすごく悲しい・・・・・。」
 だが思った。私と会える内はずっと元気でいてくれた事、しんどそうな姿など、みじんにも見せなかった事は、きっとチコからの、最後の計らいだったのだ、と・・・・・。

 花火や雷の音を極端に怖がっていたチコ。この文章を書いたのは、花火がよく打ち上げられる夏のシーズン。ポポン!ポンッ!音を聞いていると、チコを思い出す。


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