弁天町 大阪交通科学館 撮影:1979年2月
すべての画像の右側に解説文があります 国鉄(現JR)大阪環状線と大阪地下鉄中央線の、弁天町駅の横にある、交通博物館です。幼少時より熱狂的な乗り物好きであった私は、幼稚園時代、父に2度、この交通博物館に連れて行ってもらいました。今でも大変良い思い出として心に残っています。
なお、このページは本来、団体や家族での旅行≠フページで、弁天町へは日帰りの外出≠ニして行ってきましたので、ページ本来の目的から外れた内容になりますが、いちおうミニトリップ∴オいとして公開させていただきます。ご了承下さい。
最初の1枚は博物館内、旧型客車が展示されてある前の屋外スペースです。一番手前、走ってきているのが5歳当時の私です。


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この2枚の写真は、上の写真の上端に半分だけ写っていた、旧型客車です。昔、鉄道と言えば、蒸気機関車にこのような客車をつないで日本中を走っていたのでした。
私はこの客車がずいぶん気に入り、相当長い時間過ごしていて、最後は父から、「もういい加減帰るぞ」と言われたような記憶があります。この時代、写真のような古い客車は、まだ僅かながら現役で残っていました。しかし小さかった私にはそこまでの情報はなく、後で知って、「乗りに行けるチャンスがあったんだな」と思ったものでした。上は扉を開けて降りてこようとする私。いっぽう、下は車内で座席に座り、まさに満面の笑みを浮かべている私です。こうして見ると、本当に発車待ちの客車に乗っている私を、誰かが駅のホームから撮影しているように見えますね。
なお、これより約20年後にこの博物館を訪れた時は、この客車はデッキ部分のみ公開で、車内へは入れないようになっていました。この時はまだ自由に車内も堪能出来た、古き良き時代ですね。


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元気一杯、ダッシュをしている私です。後ろに展示されているのは、アメリカ、サンフランシスコのケーブルカーです。
私は中学2年生の冬休み(1988年正月)にサンフランシスコに旅行で行きまして、ケーブルカーにも乗ってきました。あの街の急坂のすごさは今でも忘れられません。何しろ、車の助手席に座っていたら、ボンネットの陰に隠れて前の路面が見えない≠ニいう状態だったのですから。ただ、惜しまれるのはその旅行の写真が行方不明になっていること。見付かったら、早速このサイトで公開したいと思います。


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さて、上の写真の説明では話が逸れてしまってましたが、こちらは弁天町交通博物館の建物内です。いろいろな模型が展示されているのを、興味津々に眺めていました。まだ幼い私のあどけない笑顔が我ながら印象的ですが(笑)、どうもこの日に撮ってくれた写真は、ほとんどが人の顔がピンボケ気味に写っているようで、唯一悔やまれるところですね。だけど私の表情なり気持ちなりは、伝わってくるのではないかと思います。




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こちらは国鉄(現JR)バスです。1969(昭和44)年に造られ、77年まで使用されていた、『大阪ー東京間夜行高速バス、ドリーム号』の車両です。ちょうど非常口が入口となっており、ここから車内に入る事が出来たのですが、現在は車内は公開されていないのではないかと思います。この時は、バスの中でかなり長い時間、休憩がてら、シートに座っていました。


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これは昔使われていた特急列車の車内だと思います。このほかに、東海道新幹線が開業した当時に使われていた新幹線車両なども展示されていました。


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さて、上の写真は蒸気機関車(SL)に入ろうとするところ。階段の上に私がおります。かつて、一番上の写真でも出てきた客車を牽引していた機関車だと思いますが、正面からの写真はなく、何型の機関車なのかはよく分かりません。そもそも私は、中国ではSL三重連(蒸気機関車が3台つながっていること)の列車に乗ったこともあって、それはなかなか印象深い思い出ですが、本来、あまり蒸気機関車に興味があるほうではなかったので、横から見ただけで形式を判別することは、ちょっと難しいのです。
下の写真は、最初にも出てきた客車です。この時の私は、なんか素≠フ表情ですね。




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最後は帰りに撮った、外からの博物館全景です。こうして見ると、意外に敷地面積は小さいことに気が付くのですが、幼稚園だった私にとっては、なかなか広々とした、大きな場所に映りました。
なお、先ほども書きましたが、このページの写真に写る私は、どれもあまり写りが良くありません。こちらのページをご覧いただくと、同じ父が私を撮った写真でも、かなりきれいに写っています。


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