有田鉄道・南海貴志川線乗車 撮影:1991年8月7日
JR紀勢線藤並駅から有田町の金屋口まで、5.6kmを営業していた有田鉄道です。2002年大晦日をもって廃止されたこの鉄道は、当時両運転台の気動車(ディーゼルカー)キハ58003車両によって運行されていました。薄汚れた車体が、一層のローカル色を醸し出していたこのキハ58は、一見元国鉄に見えますが、実は国鉄キハ58と同一設計で製造された、富士急行のキハ58です。
みかん畑の中をのどかに走る有田鉄道、最末期は一日僅か2往復で、しかも日曜は運休というダイヤでしたが、この頃はまだ一日5〜6往復走っており、日曜日も運行されていました。
写真は藤並駅で、右側に見える電車は、2002年春に引退した165系です。


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これは上の写真の位置と反対側から撮ったもので、かなりアップして撮影しました。この写真の撮影時刻は、確か13〜14時台だったと思います。恐らく最末期には運休されていた時間帯でしょう。一人、お客さんの姿も見えます。しかしこうして見ると、『金屋口』という字幕表示が無ければ、本当にJRのローカル線かと思ってしまいます。何とも錆付いた車体の気動車です。


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こちらは車両の入口部分を撮影したものです。何しろ錆と褪色が著しく、痛々しくさえ感じられたので、かえって記念に撮ってしまいました(笑)。ちょうど扉のすぐ右に子どもが乗っているのが見え、上の写真とともに、当時はまだ昼間にも乗客がいた、『最後の良き時代』であった事が窺えます。
もう一つ注目すべきは、行き先表示のサボです。『金屋口⇔藤並⇔湯浅』と書かれていますが、この便は、JR紀勢線湯浅までの乗り入れ列車だったのです。私自身は藤並から乗りましたが、この列車の起点は湯浅だったのでした。1992年11月末限りで、湯浅乗り入れは廃止となり、従ってこれは、廃止約1年3ヶ月前という事になります。


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車内です。こうして見ると、すごくきれいで清掃も行き届いているように見えますが(実際写真を見てビックリしたのですが)、実は相当ほこりまみれで、全体の色が薄れて見えるぐらいでした。座席も軽くポンとたたいただけで、ほこりがブワッと舞うぐらいで、車体外側に負けず劣らず(!)、車内も汚れ放題の様相を呈していました。この辺りがローカル鉄道らしいと、マニアの私は吟味できる心境でいましたが、一般の人が乗ってきた場合は、「ちょっとこれは幾ら何でも・・・・」と思ってしまうのでは?と感じました。


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車窓風景を撮影しました。一面にみかん畑が広がっています。まさに、『有田みかん』の産地の風景です。もともとは、みかん輸送のために、この有田鉄道も開通したのでした。本場の取れたてのみかんを、そのまま1個いただきたい、とも思ったものですが(笑)。それにしても、列車は実にゆっくりとした走りでした。


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終点の金屋口(かなやぐち)駅です。ホームも鉄柱が錆びて、ひなびた感じが一杯ですが、もともとこの、車長的にはかなり長いキハ58が2両編成で止まることもあったので、なかなかホーム自体は堂々としており、奥行きもあります。前方に小さくですが改札口が写っており、何人か乗っていた乗客が出て行きます。それにしても、本当に国鉄の田舎の急行停車駅ではないかとも思えてきますね。この気動車は、国鉄としては急行型でしたし。


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金屋口駅の正面を外側から撮りました。プレハブみたいな駅舎ですが、歴史の古いローカル鉄道としては、むしろモダンにも見えます。キハ58003はまだ止まっていますね。右側が、タクシーの車庫になっています。


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駅前の通りです。結構商店が建て込んでいました。左側、『有交タクシーのりば』の看板が、土地を表しています。有交とはもちろん、『有田交通』の略ですね。
さて、上の写真でも分かりますが、この日は少々雨が降っていたようです。


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街中をしばらく歩くと、やがては田舎らしい(?)風景が出てきました。前を流れる川は、恐らく有田川ではないかと思われます。もし晴れていたら、前方の山ももっときれいに見えていたことでしょうね。


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これは金屋口の車庫で眠っていた、DD353ディーゼル機関車です。この機関車は、もうこれより何年も前から、ほとんど稼動することなく、車庫で休業≠し続けていました。元々は、有田鉄道が貨物輸送(みかん輸送)をしていた頃、貨物車を牽引するのに使われていました。
手前の草がかなり画面に入る苦しい角度ながら、撮影出来たのは嬉しかったです。数年後には廃車となりました。


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金屋口駅から少し線路沿いを、藤並(起点駅)方向に歩いた地点での撮影です。右側の線路は、レールも錆が目立ち、レール間にもペンペン草が生えていて、まだ週7日、日中にも列車が走っていたこの時期、既に廃線のような表情を見せていました。これより11年余りも走り続けたことが、逆にすごい事だったのかも知れません。


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写真の右下のほうが、光が入り過ぎて黒くなってしまっていますが、これは有田鉄道のバスを写した写真で、取りあえず、肝心のバスはちゃんと写っています。真ん中手前、入口が開いているバスが、私が乗ったバスです。金屋口から帰る時に乗ったのですが、これは確か、藤並駅前で降りた時だったと思います。このバス、車内はなかなかきれいで、およそ鉄道とは対照的でしたが、昔懐かしいモノコックボディーで、恐らく70年代末〜80年代始め頃の製造ではないかと思われます。まとまったスタイルの中型車だと思いますね。


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有田鉄道訪問を終えてJR和歌山駅に戻ってきた私は、もう一つ、南海貴志川線を訪ねました。南海貴志川線は、JR和歌山から貴志までの14.3kmの路線で、南海本線の和歌山市駅とは別の、JRの駅から出ている離れ小島路線です。この当時は、もっぱら戦前製のクラシックな旧型車両、1201形によって運行されており、1990年代に入った大手私鉄に残る、大変貴重な戦前生まれ車両でした。先に訪ねていた、水間鉄道500型の本家生き残りでもあり、水間に行った車両より後まで生き残ったと思います。また、現在はワンマン運転ですが、当時は車掌も乗務していました。
写真は和歌山駅に着く1201形です。右方向には、阪和色の113系や、原型の外観をとどめる103系といった懐かしい姿も見えます。


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こちらは終点、貴志で下車後に撮影した1201形ですが、この車両、ずいぶん塗装がきれいだなと思われた方もおられると思います。2両編成の列車でしたが、貴志側のこの1241号車は、塗装も車内もピカピカだったのです。恐らく検査&簡単な更新明けだったのでしょうが、まさに、走り続けて半世紀の老雄、いまだ輝きを失わずといった感じでした。こんなにピカピカになっていたこの車両は、果たして引退時、さよなら運転に使われたのでしょうか・・・・?
なお、引退したのは1995年です。初登場から実に60年も走り続けました。


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1241号車車内です。落ち着いた木張りの内装。天井に整列する扇風機、そして座席の両側仕切りも、木のぬくもり満載。本当に貴重な原型の味でした。車内もとにかくピカピカで、動態復元されたのかと思ったほどでした。天井の白色も木目の色によく映えていました。


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これは運転席部分ですが、これまた懐かしい簡易区切りの運転室。右側の座席前にある手すりは、恐らく後付けではないでしょうか。戦前は標準的だった半室運転台です。このような姿で、平成の時代まで残っていたことに感激を覚えずにはいられませんでした。貫通扉のところにはスタフもかけられており、見事なまでにレトロです。


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貴志駅の駅舎です。駅舎も木造の邸宅を思わせる、古い建物でした。何もかも一昔前がそのままタイムカプセルに入っているという雰囲気でしたね。


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一級河川、貴志川です。この川が貴志線の線名の由来ですね。この写真を撮った時、横にお婆さんが立っていまして、実に怪訝そうに、「何を撮ってるんじゃろう?」という顔で私を見ていたのは、いまだに覚えています。写真右下のほうは少々ゴミが積まれていて、景観が崩れていたのが残念です。


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