弘前→恐山→盛岡→日光旅行 [その3] 撮影:1994年7月28日
イタコで有名な恐山に向かう途中、バスの車窓から撮影しました。山間地帯をひたすら走っていた時で、ぼちぼち恐山が近付いていた時です。昼間でも薄暗く、どこまでも緑深い山は、心霊特集でお馴染みの恐山へ向かう気分を盛り上げるのに充分だと思ったものでした。


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恐山に到着しました。これはバスの駐車場から、向かい側の景色を撮影したものです。
霧がかなり濃くかかった山。この日の天気は薄曇りでした。画面真ん中の道を挟んで、両側が駐車場になっているのですが、いずれも舗装されていないため、その影響で間の道も白くなっています。向こうには湖も見えますね。


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恐山です。この時の旅行で私が目的としていた内の一つが、この恐山訪問でした。
というのも、実はこの当時、私はどういうわけか、いわゆる『心霊写真』というものに興味を持っていたのです。
霊感が全く無い私は、根本的に心霊現象を信じてはいませんでしたが、それだけに、逆に、「もしそんな場面に遭遇出来たら面白い」と、興味が沸いていたのです。真夜中に、好んで石像などが建っている場所に行き、わざわざ写真を撮った、なんていう事もありました。結局この『心霊趣味』は長続きしませんでしたが、いっときの好奇心に任せて21歳の夏に訪れたのが、この恐山となったわけです。


さて、実際の風景を見た第一印象ですが、ハッキリ言って、「どこが『おそれ』ざんやねん?」というものでした。
昼間明るい時で、観光客も確かに多かったのは事実ですが、それにしてももう少し『不気味さが漂う』風景だと期待していたのです。何だか拍子抜けするほど、『晴れやかな』景色でした。
荒涼として乾燥た感じの山肌は、確かに本の写真で見た覚えのある風景で、この山独特のものだと感じさせてくれましたが、やはり人も多かったせいでしょうか?ただ「観光地に来ました」というノリにしか、なれませんでした。


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恐山の、別の角度です。石が盛られて、霊(?)が祭られていますが、この場所に、『イタコ』はやってくるのでしょうか?
お賽銭箱も見えます。
確かにこうして見ると、山らしからぬ『白く、荒れた』という風景だという印象も受けなくはないです。しかしそれでも、必ずしも空が晴れていたわけではなくても明るく見えたという恐山からは、その昔、本で読んだような『独特の不気味さ』は感じられませんでした。正直、その点が期待外れだったとも言えますが、それでも『霊場恐山』に一度来れたのは良かったと思っています。


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上4枚の写真の風景からは一転、緑濃い、奥まったところで撮った一枚です。
この場所のほうが人が少なく、元々期待していたような雰囲気が多少は感じられましたが、こうして写真で見ると、普通の山の中腹と変わらないようでもあります。それにしても、祭られている像の顔は、鬼みたいに見えますね。


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下北交通キハ85−2です。この写真は恐山に向かう途中、起点である下北駅で発車待ちしているところを撮影しました。
下北交通は、JR大湊線下北駅を起点として大畑へ至る、全長18.0kmの鉄道で、元は国鉄大畑線でした。
1985年4月に、民間会社である下北交通に経営が移管、同じ青森県内の国鉄黒石線とともに、全国でただ2ヶ所の、民間会社に転換した国鉄の特定地方交通線(赤字が大きいため廃止対象に指定されていたローカル線)となりました。
車両は、国鉄時代の最後に走っていた物を、色と形式だけ変えてそのまま使用。塗装はご覧のような、明るい赤色基調となりました。
本州最北端の鉄道として知られていましたが、累積する赤字には勝てず、2001(平成13)年3月31日限りで廃止されました。
この時に撮った写真は、本州最北端の鉄道の在りし日の記録となりました。


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下北交通田名部(たなぶ)駅です。この駅は、恐山の最寄り駅でした。
白色と、鮮やかな赤色に塗り分けられたモダンな駅舎。この写真を撮影した後、先ほど乗った下北交通に再び乗り、終点大畑に向かいました。


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終点大畑駅です。折り返し下北駅に向けて発車して行くキハ85を撮影しました。左端に駅舎が見えますが、色は全て車両と同じ赤と白に統一されていました。右側には車庫があり、別のキハ85が休んでいるのが、半分だけですが見えます。
下北交通は、先ほど述べたように、2001年3月31日限りで廃止されましたが、この大畑駅の設備と、キハ85の車両はそのまま保存され、廃止された年の11月には、鉄道愛好家らの手によって動態保存が実現しています。


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大畑駅の駅舎全景です。
全体のようすと、停車している車両が入るように撮影したはいいのですが、手前の草ぼうぼうのスペースが入り過ぎて、少々目障りな感じになってしまいました。今更ながら、若い頃の撮影センスの未熟さを痛感します・・・・・。


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『歓迎 ここはみちのく 終着の駅』と書かれた看板です。土地柄が非常によく表れていますね。
下北半島のてっぺんの駅だった大畑駅。この看板は、今でも残っているのでしょうか?


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この写真では少し小さくて分かりづらいかも知れませんが、向かって右のほうに立ってる木の看板には、『本州最北端の駅 大畑』と書かれています。そう、大畑駅は、本州で最北端に位置する駅だったのです。廃止された今、最北端の駅はどこになったのでしょうか?ともあれ、『最』が付く駅を訪れることが出来て、嬉しかったものです。


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大畑駅から歩いて直ぐ、下北半島北端の港です。この写真では空が薄曇りというのもあって見えないと思いますが、実際に肉眼で見ていた時は、はるか向こうに北海道の陸地も望めていました。もし天気が快晴だったならば、もっときれいに見えていたことでしょう。この当時、私はまだ北海道に行った事がありませんでした。だから、海の向こうに見える陸地は、『未知の土地』だったわけで、「北海道ってどんなとこだろうな?」と、率直に思っていました。もちろん、写真では鉄道写真等で何回も見ていましたけど。
さてこの小さな港、真夏でもどこか寒さを思わせる空気に感じました。決して気温そのものが低かった分けではないのですが、いかにも北の端っこだなあという雰囲気を感じたものです。土の地面もむき出しの、どこか“荒涼と”した風景。冬にはさぞ寒いのだろうなあ、と思ったものです。真冬の銀世界を、しばし頭に描きながらたたずんでいました。


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下北交通キハ85の車内です。帰りの列車の中で撮影しました。あまりよくは写っていませんが、車内は国鉄時代そのままです。そして、この画像だと本当にわからなくて申し訳ないのですが、扉のガラスに、赤色のラベルで『手動』と書かれています。昔から、『自動扉』というラベルは、何度見てきたか分からない私。乗り物好きだけに、扉のガラスに貼られているラベルにも、少なからず目線は行っていましたが、『手動』という表示とは初めてお目にかかり、「何と珍しいのだ」と思ったものでした。北国の地では、扉は車内保温のため、手動扱いする比率が高いからですね。ただし夏であったこの時は、扉は自動扱いだったように記憶しています。定かではありませんが・・・・・。


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恐山に行き、下北交通で終点の大畑まで行ったこの日、私は実は盛岡で一泊しました。盛岡着は21:30。下北からJR大湊線で、東北本線との連絡駅である野辺地まで行った後、私は鈍行の客車列車に乗り換え、ひたすら4時間近く。盛岡へと向かったのでした。写真は途中、八戸駅で、連絡列車待ちのため待機していた時のスナップ。右側に写っている、一見ブルーとレイン似の青い客車が、私の乗っていた客車です。確か12系と呼ばれる車両だったでしょうか?


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