弘前→恐山→盛岡→日光旅行 [その1] 撮影:1994年7月26日
全ての写真の右側に解説文があります 1994年7月26日〜30日まで、青森・岩手・栃木の各県を周る旅行に行きました。
正確には7月25日の夕方に大阪を出発し、その日は寝台特急『日本海』で一泊。そして翌26日と27日を青森県で過ごし(宿泊場所はそれぞれ別)、28日は岩手県の盛岡で、そして29日は栃木県宇都宮市内でそれぞれ泊まり、最後の30日は、夕方になってから日光を出発して東京・浅草へ直行、そこから地下鉄を乗り継いで千葉県西船橋に行き、大阪行きの夜行高速バスに乗って翌31日朝に帰ってくるというかなり“大きな”旅行でした。
このページでは、初日である26日の動きを見ていただくことにします。
最初の写真はJR弘前駅前です。大阪発函館行きの寝台特急『日本海』に乗って、弘前で降りた直後に撮影しました。


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弘前駅前を、違う位置(ちょうど、上の写真で自転車に乗っている人の横辺り)から撮影しました。私は生来バスが好きで、特に古い車両が好みなのですが、上の写真とこの写真に写っているバスは、この当時から見てもなかなか年代を感じさせる懐かしいものでした。前方左側には、立派なホテルも見えます。


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弘前駅前の商店街です。まだ比較的朝の早い時刻だったように記憶しているのですが、けっこう店は開いているし、人通りもあるように思えます。


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これは弘前駅前のバスのりば(イトーヨーカドー前)です。この時は確か、一度ホテルでチェックインをした後、写真に写っているマイクロバスに乗って、再び駅へとやってきたのでした。このマイクロバス、後ろ端とまん中前よりの2ヶ所にドアが付いています。後ろが入口、前が出口だったと思いますが、マイクロバスながらドアが2つ付いているのは珍しい、と思ったものでした。


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さて、この時青森県弘前市を訪れた目的というのは、この電車に乗ることでした。これは弘南鉄道弘南線といって、弘前と黒石を結んでいる電車です。この弘南鉄道、かつては昭和20年代以前に出来たような、いかめしい面構えの旧型電車ばかりが走っていました。実は私は1985(昭和60)年8月にも一度青森に来たことがあって、その時に、その旧型電車が轟音を立てながら走っているのを、バスの車内から見ました。それから9年、時代は変わり、車両はご覧のように、銀色(ステンレス製)の軽量車両に置き換えられていました。まだかつての旧型車両は残ってはいたのですが、既にほとんど動かない予備車状態。
「もう何年か早く来たらよかったな」
ちょっぴり後悔の念にもかられた瞬間でした。


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途中のある駅で撮影。私が本来乗りたいと思っていた旧型の車両が、車庫に留まっていました。
「走ってくれないかなぁ・・・・・」と思いながら見ていましたが、姿を拝見出来ただけでもよかったです。


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ガードレールがまともに正面に写っており、あまり褒められたアングルではありませんが、終点の黒石駅です。
画面まん中〜右にかけての位置に、車両が停まっているのですが見えますでしょうか?実はこれ、現在は廃止となった、弘南鉄道黒石線(元国鉄黒石線)の車両です。この後、その黒石線に乗りました。


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この写真は再び黒石駅前です。上の写真の、道路を渡って反対側から撮りました。ちょうどバスが横切ろうとしていますが、そのバスも、今から見れば大変年代物の車両です。


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弘南鉄道黒石線に乗って、終点の川部駅に着いたところです。二つ上の写真の解説でも書きましたが、この線は現在は廃止となって存在しません。最後の営業日は1998(平成10)年3月31日でした。そしてこの線は、元は国鉄の黒石線で、1984年4月に、弘南鉄道が経営を引き継ぎ、弘南鉄道の黒石線となったものです。写っている車両も元国鉄(現JR)の車両で、キハ22と呼ばれるものです。途中駅は1つのみという、ミニ路線でした。


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こちらはJR五能線五所川原駅です。川部から乗ってきました。ちょうど下校時刻だったのでしょうか?学生たちで賑わいます。この日は7月26日でしたから、普通ならもう夏休みの時期にあたるのですが、北国である青森は、冬休みを長く取るため、夏休みが始まる時期は遅いのかも知れませんね。


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五所川原駅からは、津軽鉄道に乗車しました。津軽鉄道は、冬には客車による『ストーブ列車』が走ることで、鉄道ファンの間ではつとに有名です。右側に停まっている古風な客車が、そのストーブ列車に使われる車両です。真夏だったこの時は、ずっと車庫で待機の状態でした。そして、左端に僅かに写っている、いかにも古そうな車両、これも、冬季にストーブ列車と一緒に連結されて走っている、電車を改造した客車です。


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金木駅です。作家、太宰治のふるさととしてよく知られている地名ですね。私は中学生の頃、太宰治にハマっていました。3年生の夏休みに出された読書感想文の宿題では、太宰治の『人間失格』を読み、原稿用紙で延々10枚ぐらい感想文を書いたような記憶があります。金木での途中下車も考えたのですが、時間の都合で出来ませんでした。


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津軽鉄道の終着駅、津軽中里です。左側に写っているディーゼルカー(気動車)が、私が乗ってきた車両です。


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津軽中里駅前を撮影しました。平凡な感じの駅ですが、場所としては津軽半島のかなり北、本州北端近くになります。


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この写真は、津軽中里から五所川原に戻る途中、走行中の列車の車内から撮りました。写っているのは先代のストーブ列車用客車で、1983(昭和58)年まで使用されていました。なお、先代の客車も現在の客車も、元は国鉄の車両だったものです。


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2011.6.3追加分


五所川原まで戻ってきました。ここで私は、駅に隣接している車庫に留まっていた、ストーブ列車を撮影しようとしましたが、そこで思わず考えました。どうにかして、車内の様子を撮れないものか・・・・。この時は真夏なので、もちろんストーブ列車が稼動する訳がありません。しかし冬の津軽に来る勇気(?)も無い私は、せっかく訪ねてきた記念に、ぜひストーブ列車の車内を見せてもらいたいと思ったのです。ちょうどホームに駅員が一人いました。私は思い切って声を掛けてみました。すると親切にも快諾して下さり、しかも記念写真として私を写してくれたのです。いや〜駅員さんの心遣いに感謝!でしたね。このショット、駅員さんはホームからの撮影です。


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2011.6.3追加分


さあ、いよいよ念願叶って、ストーブ列車の車内に入りました。旧国鉄型の客車の車内に入ったのも、現役車両では初めてだったかも知れません。そして私が座っている手前にあるのが、名物のストーブです。これを見たかった!真夏の炎天下、窓を閉め切っている休眠状態の客車の車内は、それはそれは蒸し風呂の様な暑さでした。それにもかかわらず、駅員さんは終始親切な表情を浮かべながら同乗、写真を撮ってくれました。本当にいい旅の思い出です。休眠中での対面とはいえ、やはり本物のストーブ列車を生で見るのはいいですね!鉄道ファンとしてはたまらないです。正直、最初に駅員に声を掛ける段階では、断られるだろうと思いましたから。さて、このストーブ、真ん中の壷状の物が石炭だるまで、使用時は車掌自らこの中に石炭を入れます。


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2011.6.3追加分


もう一両のストーブ客車にも案内してもらいました。こちら左手前にあるのがストーブですが、この写真では屋根への煙突がよく写っていますね。こちらの車内は、先ほどの物と違って木目調の車内であり、よりレトロで味があります。やはり木張りの車内が、旧型客車には一番似合いますね。案内してくれた駅員さんも、「こっちの方が車内(の造り)がいいですね。」と、ファンの視点になって話してくれました。サウナ状態の車内に長居は無用でしたが、やはりこうして実際に現物を見ると、乗ってみたくもなりましたね(笑)。実際に冬に乗ったら、この木の温もりが、ますます極寒を忘れさせそうです。このストーブ列車は、一時は廃止の話も出たそうですが、地元の人などの強い要望で存続が決まっています。末永く走って欲しいですし、この日、私に大サービスをしてくれた駅員さんには、改めてお礼を言いたいです。


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2011.6.3追加分


ストーブ列車を見た後、ホームとは反対側(つまり車庫内)に下ろさせてもらい、ストーブ列車を牽引する機関車を撮影しました。『安東』と書かれたヘッドマークを付けていますね。この機関車も、夏季はお休みタイムです。冬眠の逆で、夏眠ですね。この後、一旦ストーブ列車に乗り込んで、またホーム側の線路上に降り立ち、そこからホームに上がりました。で、その時なんですけど、ホームにいた高校生から、エライこと注目されてしまったのです(汗)。いきなり車庫に留まっている車両から人が降りてきて、喜色満面の表情でホームに上がってきたものだから、みんな「何やってんだ?あれは」と思ったのでしょう。駅員と2人でいた分けですが、一目見て旅行者だと分かったと思います。「こんな暑いのにあの中(ストーブ列車)に入るなんて、物好きだな」と思われたのでしょうが、それにしてもさすがに照れくさかったので、駅員さんと別れた後は足早に改札の外へと向かいました(笑)。


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五所川原に戻ってきて、いったん駅の外に出ました。JRとの乗換駅になっているわけですが、こちらは津軽鉄道側の駅前です。左側の建物は、なかなかレトロな感じがしますね。


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さて、五所川原から再び弘前まで戻り、今度は弘南鉄道の大鰐線に乗るために、起点の中央弘前駅に行きました。
と、そこへ停まっていたのは、弘南線では乗れなかった旧型電車。「ヤッタ!こっちでは乗れるぞ」と喜んだの束の間、実は団体戦用の『涼風電車』、いわゆるビール電車でした。イベント用の列車だったわけですね。結局私が乗ったのは、ステンレス製の電車でした。残念といえば残念でしたが、それでも一応、現役として走っている旧型電車を撮影出来たのですから、それだけでもよかったです。


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大鰐線の終点、大鰐駅にて撮影。そろそろ日も沈んできました。先ほどの、旧型車両による『涼風電車』です。ホームと反対側の扉も開け放し、車内は飾りつけもされて、大勢の人で盛り上がっています。この車両に気を取られて、自分が乗った車両を写すのを忘れてしまったのですが(爆)、向こうのほうに少しだけ見える、銀色に赤帯の電車がそれです。


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涼風電車の車内もお祭り騒ぎでしたが、駅を降りて少し歩いたところにあるこの川沿いでも、人々が出てきてお祭りムードでした。北国にとって、この季節が一番過ごしやすいひと時でしょうね。


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『大鰐若松会館』と書かれているこの建物、「大鰐温泉はどこですか?」と私が訊いて、地元の人が案内してくれたところです。外からは普通の銭湯ですが、中はかなりゴツイ大浴場になっていました。ここで、この日一日の汗を流しました。確か東京から来た旅行者に話しかけられたのを覚えています。


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